こんにちは

 

今日は小春日和

ぽかぽかの陽気の中

 

義父の三回忌の法要でした。

 

朝から喪服姿で自宅マンションの

エレベータで降りる途中

 

こんな日に限って

他の階から乗り込む人が多く

怪訝な顔をする人もいて

 

「法事なんです」と心で呟く

 

義父は圧倒的な存在感を放つ人だった

 

家の中で、常に

発言権があるのは義父であり

 

如何なる時であっても

1時間でも2時間でも話をし続けて

他の人の介入は一切認めない人

 

この家の中心は自分であり

自分が1から築いた家族である

 

そうした圧倒的なエゴを放っていた

 

地域にも貢献し

色んな役割を務めてきた義父

 

途中から家族に参加した私には

到底、理解できない存在で

どんな時も義父が前に立ち塞がり

主張をし始める面倒な存在

 

本当に、苦手だった魂

 

そんな義父が

闘病生活の末に亡くなって

 

色んなことが変わって

 

これまでまともに

話を聞いた事がなかった

義母が話をするようになり

 

義弟が自分の考えを

言葉にするようになり

 

長年、圧倒的な支配下で

言葉を発してこなかったからか

誰もがぎこちなく

 

旦那が話を回そうとしても

上手くゆかない

 

やっぱり義父には叶わない笑

 

義父の存在を超えようと

誰もが、もがいていた

 

本当にあっという間の2年だった。

 

 

お坊さんのお経が始まって

 

2年が過ぎてようやく

 

家督を継いだ旦那と私達家族に

家系の流れをを引き継ぐと

その準備が整ったのだと

 

正直、お葬式の頃は

まだゴチャゴチャとしていて

誰が何処に座るのか?

その本当の意図も分からなかった

 

なんとなく

所詮、余所者だし

嫁だし

 

引き下がらなきゃいけないようで

後ずさりしてきた

 

義父の兄弟の方々や

田舎の親戚筋や義母

義母と同居する義弟

 

そんな純粋さに凝縮された

家系の流れに圧倒されていた

 

いつだって抜けてやるわと

自分を鼓舞したりして

 

それが

喪主の旦那の横に座って

法事が始まり

お坊さんのお経と共に

 

色んな葛藤や感情が

薄っすらと消えて

 

すんなりと受け止められた

 

上から流れが

降りてくるのが分かった

 

家督の流れを受け継ぎ

 

これからは

 

義母と義弟が

それを支えるのだと

 

法事って、昔からの風習で

未だに何故やるのか

不思議だったのだけど

 

見える世界が全てでは

無いのだということを

体感として教わった気がする

 

肉体は消えてしまっても

 

私達の心には何時だって

圧倒的な存在感を放つ

義父の姿があって

 

私達はそんな

義父の思いを受け継いだ