浜上は言葉を続けた。
「鳳凰位戦に出たいなら毎月東京に通えばいい。タイトル戦も頻繁にあるわけではないから、九州で地盤を固めながら中央で名前を覚えてもらい、皇帝位を取ってから上京しても遅くはないと思う」
浜上は決して無理難題を提案しているわけではない。なにせ浜上自身が10年(5年前の当時)もの長い間、毎月リーグ戦の度に飛行機で福岡と東京の間を行き来するということを実践し続けているのだ。
浜上は覚悟を試そうとしているのか、それとも今のままでは通用しないと心配をしてくれているのか、はたまたその両方なのかこの時はわからなかった。
ただ、少なくとも浜上は中央で結果を出せずに埋もれていく人達を見続けてきているのだ。東京へ行けば茨の道が待っていることや、半端な覚悟で行くぐらいなら九州に残った方がいいということはよくわかった。
もう一度しっかり考えた方がいい、そう言って浜上は席を立った。
帰って布団の中に入ると浜上の言葉と共に様々な思いが頭を駆け巡った。何故プロになったのか。自分は何を成したいのか。
九州に残ればいつかは皇帝位を取れるだろう。だが、それは何年後の話なのかわからない。その時自分の価値は今より上がっているのかもわからない。
結局上京するにしても九州に残ることにしても、勝負師としての道を歩む以上、成功するか否かはやってみなければわからないのだ。埋もれ、何も成せなければそれだけの存在だったのだと自分を笑えばいい。ただ、自信がないわけでもない、そう思える今がベストなタイミングなのではないか。ふわふわとしたものが自分の中で決意に変わり、そして思いは固まった。
浜上に会い、上京を決めたことを話すと「そうか、がんばって」とそれ以上反対はしなかった。
どうでも良ければ最初から反対などしなかっただろう。心配してもらえたことは素直に嬉しかった。
九州本部の面々、その他にもお世話になった麻雀業界の人、友人、そして家族、東京に行くことを伝えると皆一様に声援を送ってくれた。
吉田は泣いてくれさえもした。ああ、こんな居心地のいい場所を棄てて今から魑魅魍魎が集う未開の地へ行くのかと思うと、後ろ髪を引かれる思いに駆られた。
だが、それで決意が揺らぐことはない。もうやるしかないのだ。
各地で挨拶を済ませ、飛行機に乗ると、わずか一時間半で東京へたどり着いた。
見知った羽田空港。だが、この時は以前来た時とはまるで違う別世界のように思えた。もう帰る場所はないのだ。外に出ると太陽が落ちかけていた。夕陽がこれほど寂しさを感じさせるものだとは思いもしていなかった。
しかし感傷に浸ったのも一瞬。マスターズ本戦の日はすぐにやってきた。
順調にポイントを重ねトーナメントまで勝ち進んだ。ベスト56はわずか2回戦のトータルで決着が着く短期決戦。親番で満貫を聴牌すると、暴牌ともいうべき牌を勝負した。西岡は顔色一つ変えず牌を倒した。
「24,000」
覚悟していたとはいえ、頭をかち割られるような衝撃だった。
ただこの時はやってしまったという気持ちよりも、まだ負けたくないという気持ちしかなかった。がむしゃらになり、必死になって勝ち上がりの可能性を模索した。最後まで抗ったが届かなかった。
終わってしまった。もっと上の景色を見たかった。そう思いながら得点表を書き、挨拶を終え、ふと横を見ると同卓していた魚谷の様子が少しおかしかった。
対局中は毅然としていたが、表情がこの時一変したのだ。うっすらと涙を流していた。
その時初めて、自分がまた対局を壊してしまったことに気づいた。
短期決戦や親の満貫を聴牌していたことなど言い訳にもならない。切ってはならない牌を切って壊してしまったのだ。
魚谷の涙は心を深く抉った。彼女は対局にまるで命をかけているかのように全身全霊で臨んでいたというのに、自分は歯を食いしばって何故あの牌を止めなかったのだろうか、と。
皇帝位決定戦で負けた時の記憶が蘇ってきた。ただ、その時の自分が今の自分に重なったのではなく、魚谷に重なったのだ。
いたたまれなくなった。
魚谷のことは上京する前に福岡で挨拶をしたことがあった為、面識はあったがとても声は掛けられなかった。今、その資格すらもないと思った。
自然と足が動いていた。そのまま静かに会場を後にした。
(続く)