その年のマスターズは小車が制した。仲間がタイトルを取ると、嬉しい反面悔しさも感じる。しかしそれは当たり前のことだ。同郷のライバルの栄光をただ喜ぶだけでは勝負師としてあまりに覇気がない。もちろん当日は全力で祝福するが、翌日からは負けた悔しさを実力の向上に繋げることがあるべき姿だとそう思う。





東京に慣れるのにそこまで時間は掛からなかった。気づけば東京の言葉遣いが身についたし、電車に乗ればどこへでも行ける。





東京の人は冷たいという印象もすぐになくなった。確かに九州ほどありがた迷惑に思われても仕方がないほど周りに干渉しようとする文化はないが、しかし皆基本的に身内に優しい。ただ、無駄を嫌うので、そこは気をつけなければならなかった。







対局も最初は順調だった。D3リーグからスタートし連続昇級。2年目はD1リーグで一度足踏みしたもののその後昇級。この年は十段戦で二段戦から7連勝し九段戦Sまで勝ち上がり、王位戦はベスト16まで残り、グランプリMAX出場まであと一歩という所まできていた。その後は特別昇級リーグで優勝し、上京して2年半でB2リーグに昇級した。







勝ちが続いている時は気分が大きくなるものだ。ただ、何故か必要以上に自信を持ってしまっていた。このまま上のリーグまで駆け上がれると思い上がっていた。







 
しかし、その後すぐに忠告を受ける。







「東谷君はさあ、良いものを持ってるとは思うけど、麻雀が雑。このままだと絶対B2かB1で降級することになると思うよ」






そう勝又が予言にも似た指摘をしたのだ。確かに自覚はある。ふとした時急にスイッチが切れる瞬間がある。





公式ルールは考えなければならないことがあまりに多い。相手の手出しツモ切り、順切り逆切り、誰がどう対応しているのかを頭に入れ、そこからどのターツを持っているのか、ドラはあるのか、何シャンテンなのかを常に考えなければならない。
牌で会話する、という言葉があるが、公式ルールほどそれを実感できる頻度が高いルールはない。






しかし、だからこそ浪費も早い。瀬戸熊が鳳凰位決定戦の為に走り込みをするのは有名で、心技体が揃わなければ麻雀もいいパフォーマンスを出すことはできないのだ。





この時はまだそれを十分に理解できていなかった。A1に昇級した勝又ほどの実力になれば、情報処理能力も尋常ではない。一緒に打っていてノイズを感じればすぐに議論になり、半端な回答をしようものなら理路整然と説き伏せてくる。






よく勝又は頭がいいという表現をされる。確かにそうなのだが、決して天性のものだけではない。解説がわかりやすいと言われるのは若かりし頃に話の上手い人を見続けたから。麻雀の情報処理が異様に早いのは、ずっとトッププロの牌譜を見続けてきたから。 






「俺より努力しないと永遠に追いつくことなんてできないよ」





お前らの努力は足りていない、暗にそう言われていたのに、この時はどう努力して雑だと言われている部分を改善すればいいのか、まだわかっていなかった。






(続く)