4年生引退ブログ 穴吹 瞬平「アイデンティティとしてのサッカー」 | 立教大学体育会サッカー部日記

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立教大学体育会サッカー部のマネージャー日記です☆
2013.3~

☆4年生引退ブログ☆

 

 

 

 No.40 穴吹 瞬平

 

 

 

「アイデンティティとしてのサッカー」

 

 

 

 

 

 

 

 

《プロフィール》

 

 

学部学科: 法学部 法学科

出身校(チーム): 三菱養和SCユース(都立駒場高校)

ポジション: MF

背番号: 13

 

 

 

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『アイデンティティとしてのサッカー』

 

 

いよいよ引退ブログの時期がやってきてしまいました。
毎年この時期に先輩方のアツい文章を読むと、自分が4年生になった時、どういう想いでこの時期を迎えているのか楽しみにしていました。

が、いざ引退が目前に迫ってきても特段いつもと変わらないから不思議です。

引退という一つの節目に対して寂しいという感覚は特にないし、たぶん今この瞬間に「終わり」と言われても一抹の後悔も見当たりません。と強がっておきます。

同期のサッカーや仲間に対する心震えるブログの最終回が冷めた内容になりかけてしまっていますが、サッカーは当然好きだし、同期のみんなのことも大好きなので安心してください。

たぶん終わってから寂しさに気づくのでしょう。というか気づけないと困ります。

高校の同級生に冷めた人間と言われ、同期にはひねくれ者だと毎日のように言われていますが、自分自身そこまで情のない人間ではないと思っています。

去年のリーグ戦、5連敗の後に勝利を手にした瞬間にはこれまでのサッカー人生で初めて嬉し涙を流しました。
勝てない時期も応援し続けてくれた同期や、全員が身を投げ出して一つになって戦ったことを思うと、涙が止まりませんでした。
こればかりは経験した人間にしか分かりませんが、改めてサッカーというスポーツの魅力を感じた瞬間でした。

ちなみに後輩から「いキリ」というあだ名を付けられている桐くんも泣いてました。

さて、そろそろ自分の純情さとサッカーに対する熱をアピールできた頃だと思うので、本文に入るとします。

少し長くなりそうなので、なかなか寝付けない夜にでも読んでいただければと思います。


「部活でサッカー続けてるなんて凄いね」


大学生になって、友達に会うとよく言われます。

どうやら5歳から始めたサッカーも今年で17年目になるようです。
これまでの人生を振り返っても、こんなにも長い間続けてきたものはないし、続けようと思ったものもありません。

小学生の時のサッカーノートをいま見てみると、何冊かは途中から白紙だし、資格持ってればかっこいいっしょとイキって買った簿記の教科書は机の上で埃をかぶっています。

大学の講義も、、
おっと、危ないところでした。この先はやめておきましょう。
オンライン授業にも柔軟に対応し、3年で卒業単位は取り終えましたのでご心配には及びません。

早々に話が逸れましたが何を言いたかったかというと、自分にサッカーがなければ今も昔もいわゆる続かない性格なんだろうなってことです。

そんな自分がなぜサッカーだけは続けているのか。

多くの人は最終的には、「好きだから」とか「楽しいから」という答えに辿り着くと思います。
実際、好きなことを追求している姿はカッコいいと思うし、楽しいことならいくらでも続けられると思います。

ただ、僕はそんな簡単な理由でこのブログを締め括るつもりはないし、僕にとってのサッカーはもっと複雑で、単純です。

サッカーをやる理由は、好きだし楽しいから。
ここが揺らぐことはありませんが、続ける理由となるとまた違ったところに答えがあるように感じています。

僕の場合は簡単に言ってしまえば、

「サッカーしかなかった」

この表現が1番しっくりきそうです。

なぜそうなったのか簡単に振り返ってみようと思います。

サッカーに出会ったのは5歳の頃。
幼稚園児の小さな体には少し広めの園庭でゴールを決める喜び、出来なかったことが出来るようになる楽しさを知りました。

小学生になるとチームに所属し、ただの楽しむサッカーは徐々に競技へと移り変わりました。
勝負に勝つことの楽しさ、苦しい練習を乗り越えた先にある達成感を知りました。

初めて両親以外の大人に怒られる経験もしました。
今考えるとただの煽りでしかない「ゴールキックカット1点」という謳い文句があるように、小学生のゴールキックなんてせいぜい飛んできてもボランチ辺りです。
ちょうどそこにいる自分がその飛んできたボールをヘディングで跳ね返せない暁には、ベンチの方なんて見れません。
今でもヘディングは嫌いです。

この頃はチームの本拠地が実家から離れていたこともあり、キッズケータイと定期を首からぶら下げ、電車を乗り継いで練習場まで通いました。
練習は週4日、平日にはナイター練習があるので家に着くのは23時を回ることも。
友達と放課後遊ぶなんてことはほとんどなく、この頃からサッカーが生活の中心にありました。

中学生になって地元のクラブチームに所属しました。
放課後、家に荷物を置いたらすぐにグラウンドに向かい、練習前に1時間近く壁に向かってボールを蹴り続けました。
そのおかげか1番成長を実感でき、色々な経験をさせてもらいました。努力が成果に結びつき、自分に自信を持てるようになりました。

高校はそのままユースに上がり、練習場と家の間にある高校を選びました。
進路選択の軸足も当然サッカーです。
試合があれば文化祭だろうと休んだし、帰りが遅く毎日寝不足で学校に向かっていたのを覚えています。
それでもサッカーをやめようとは思いませんでした。

そして大学。
よく人生の夏休みと揶揄されますが、毎日2時間、周りには田んぼしかない富士見まで通いました。滅多に遊びになんて行けないし、オフの過ごし方や食べる物も自然と気を使ってきました。

だいぶネガティブに振り返ってしまったせいもあり、そりゃなんで続けてるのと言われるのもよく分かります。

その答えは立教での4年間で見つかりました。

きっかけは某ウイルスの影響による活動停止。
家で一人で授業を受け、河川敷に自主練に向かう代わり映えのない日々。
サッカーの無くなった無機質な日々を送っていると、ふと、自分に何の価値があるのか怖くなりました。

ここまで振り返った通り、5歳からの17年間、僕の生活にはいつもサッカーがありました。

楽しかったことはほとんどサッカーが与えてくれて、その倍以上の苦しかったこともサッカーが僕にもたらしました。

サッカーに友達の作り方や、人との関わり方、勝負に向かうことの楽しさや苦しさ、本気で向き合い叶わなかった時の己の未熟さを教わりました。

そして何より、試合に出れずにいる時も頑張れよと声をかけてくれる仲間や、お前が必要だと奮い立たせてくれる仲間。
サッカーはこんなかけがえのない仲間を僕の周りに置いてくれて、その仲間達はこんな自分を必要としてくれました。

今年の関東リーグ、産業能率大学戦。
久しぶりのスタメン、自分のゴールでの勝利。

試合終了と同時に溢れるみんなの笑顔。
仲間の想いに応えられたという安堵感。
誰かの喜びの一端を自分が担えた喜び。

自分に価値を見出せた瞬間でした。
この時ようやく自分がサッカーを続けてきた理由がハッキリと分かりました。

この瞬間の為に続けてきたのだと。
自分はサッカーによって生かされ、サッカーによって自分を認識していたのだと。
サッカーしかしてこなかった自分がこの人たちを喜ばせるにはサッカーしかないと。

その事実のありがたさや尊さ、それを失った時の喪失感。

サッカーを続けてきて、間違いなく辛いことの方が多くありました。
理不尽に怒られ、努力を否定され、自分の存在意義まで疑うこともありました。
何で自分がこんな目に遭わなきゃならないのかと何度も思いました。

辛いことなんてない方がきっと幸せです。
誰かの想いなんて背負わない方が気楽に生きていけるでしょう。
自分のことだけ考えてればうまく行くかもしれません。

けれど辛いことが多いからこそ輝く、刹那の瞬間があるとサッカーに教わりました。

これから先も辛いことの方が多い人生のような気がします。
けれど、自分に価値があると思える瞬間の為に、辛いこととも向き合います。
みんなの笑顔を見るために、みんなの想いを背負いたいと思います。

立教に来て、この同期達だったからこそ気づけました。
自分のことなど顧みずにチームに尽くせる人、
真に相手を想い厳しい言葉をぶつけられる人、
誰かが苦しんでいる時、静かに横にいてくれる人。

十人十色なみんなの優しさに触れたから、自分も何かを返さなきゃいけないと思わされました。
自分がサッカーを続けてきた意味はみんなに見つけてもらいました。
いつもだる絡みしかしない自分に居場所を与えてくれてありがとう。
引退してもみんなと月1くらいでは会って、一緒に笑い合えたら嬉しいです。

最後になりましたが、きっとみていると思う両親への感謝は直接伝えたいと思います。

このブログを書き終えることに多少の寂しさを感じますが、深夜テンションで書き連ねているために自分だけが感傷に浸っているのも恥ずかしいので、ここらで終わりにしておきます。


サッカーのなくなる新しい自分の価値が見つかることを祈って。
 

 

《お気に入りのプレー写真