4年生引退ブログ 大倉 昇樹「どんな時でも"自分次第"」 | 立教大学体育会サッカー部日記

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立教大学体育会サッカー部のマネージャー日記です☆
2013.3~

☆4年生引退ブログ☆

 

 

 

 No.35 大倉 昇樹

 

 

「 どんな時でも"自分次第" 

 

 

 





《プロフィール》

 


学部学科:コミュニティ福祉学部スポーツウェルネス学科

出身校(チーム): 神戸国際大学附属高等学校

ポジション: MF

背番号: 15

 

 

 

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 『 どんな時でも"自分次第" 』



 


僕は、有難いことに17年間のサッカー人生を通して本当に多くの経験をして、沢山の人に出会いお世話になり、学びがあって今の自分が形成されました。

 

そんな17年間を振り返って今思う素直な思いを書いていきたいと思います。

長くなりましたが、最後まで読んでいただけると幸いです。

 

 

 

「何事にも自分次第」ってことを、サッカーを通して1番学ぶことができた。

 

去年も書いたけど、やっぱ何事も自分に矢印を向けることが本当に大事だと思う。

良くも悪くも自分の全ての結果を左右するのは、自身の判断・決断からの行動。

 

今まできついことや上手くいかないことの方が圧倒的に多かったけど、取り組んでいることから逃げ出したり辞めたりはしなかった。

泥臭くてもなんでもいいからとにかく全力にやらなければ気が済まないタイプの人だから。

 

自分なりに日々試行錯誤しながら行っていたけど、なかなか目に見える結果や思うような変化は出なかった。それでも諦めずに前を向いて、自分に矢印を向けて、謙虚な心を忘れずコツコツと直向きに取り組み続けてきたつもり。

どんなにしんどい時間が長くても、上手くいった時やチームに少しでも貢献できた時、勝った時の喜びを味わえたとき、それまでの苦しみなど、なんにも無かったかのような達成感や嬉しさは最高だった。

 

嬉しいことに、同期を初めとする沢山の人達が、僕を支え助けてくれる。

けれど結局状況を変えたり、より良くしたりすることは自分自身以外の誰もできなくて、自分が行動しなければ何も変わらない。

だからこそ矢印を他に向けてる時間は無駄で、矢印は自分に向けるべきだと実感してる。

 

 

毎日、サッカーをするのはたったの2時間しかない。

それ以外の22時間をより充実させるために、尊敬する一つ上の先輩の影響で大学3年から

毎日to do リストや日記などをつけるようになった。

 

複数のノートで言語化することが自分と向き合う貴重な時間になり、24時間の中で色んなことを感じ考え、記録して反省の繰り返し。

「明日はやってやろう」

「昨日よりちょっとでいいから良くしたい」

と思うことがほぼ毎日だった。

 

部活を生活の中心において逆算し優先順位を決めながら、何時に寝て起きて、その日は何からすべきなのか、何をいつ食べるのか、体の状態をみてストレッチ等はどのくらいやるべきか、Iリーグ2日前だからおふろの王様いかなとか考えるのも楽しくなっていた。

自ら変化を与え、継続することでサッカー以外の部分でも充実感は上がった。

サッカーに対する取り組む姿勢や意欲、準備の質も上がった。それまではただなんとなく生活することもあった。

有意義な時間を過ごすのも自分次第ってことがサッカーを通して学んだ。

 

 

なぜやるかっていったら1日1日を無駄にしたくないと思ったから。

その積み重ねが自身の成長に繋がり、きっと何かしらチームに貢献できると期待したから。

 

貢献して所属している組織で自分の存在意義を感じたいからだと思うし、多分誰もが、どんな環境であれ周りから必要とされたいはず。どうせ所属しているなら、貢献しようと行動することがやりがいも増すような気がする。選手である以上、試合に出るために貪欲になって、個人の事を優先してしまうかもしれない。でも最初は自分のための行動が気づかないうちにチームのためになっていたりする。ならそのためにも日々何ができるかを、考え行動しなきゃならないと思う。

 

僕自身今まで、どの年代でも立場や状況関係なく、自分なりにチームに貢献するために、自分ができることを必死に見つけて、とにかく行動しようと思ってきた。

妥協せずに頑張れていたのか、実際に貢献できていたのか、めちゃくちゃ自己満だったかもしれない。

評価は自分以外の周りがするわけで、スタッフや仲間にどう評価されていたかはわからない。プラスになっていないかもしれないけど、自分がそう思って行動してきたことには間違いないと、自信を持って言える。

 

 

自分自身チームの為に声を出し鼓舞することは、昔から大切にしていた。

チームが僕の声をきっかけに、全員が少しでも同じ方向に向かい、活気が出ればいいなと思っていた。

それに付随して、自己犠牲心のような思いも常に持つことを意識していた。そのような心意気は、いつか自分のためになるということもサッカーが教えてくれた。

 

自分は上手くないし能力も高くない。これといった武器や特徴もなんもない。そんな僕だけどチームにはどんな形であれ貢献したかった。自分が貢献するには誰よりも声出して鼓舞することなら出来ると思った。それ以外見つからなかったって言う方が正しいと思う。そうとなれば、どんな時であれ明るく前向きに割り切ってやるって決意した。

勝ちたいし、少しでもみんなの役に立ちたいから。

 

 

上手い下手、カテゴリー、試合出てる出てないなどの自分の状況とか環境とか関係ない。

どんな人でも組織に貢献する方法は探せばいくらでもある。

貢献するかしないかは自分の行い次第でどうにでもなると思っている。

誰にどのくらい貢献したいのか、自分のなりたい姿や目的を忘れなければ行動もついてくる気がする。

 

例えば今年、心強い同期たちとCチームで勝つ為に色々考えて取り組んできた。一人一人が個性を活かしてチームの為に行動していた。そんな同期に負けてられないと思い、頑張れた。

だけど悔しいことに、昇格には全然及ばなかったし、問題も多々起こった。どのようにすればいいかわからなくなる時もあった。

でも、そんなこと関係なく富士見ではどんな時でも自分が率先して、空元気でも前向きにやって活気だそうと思った。C全員で勝ちたかった。試合に出させてもらっている以上、僕がチームを救うような役割・仕事をしたかった。

個人としてもチームとしても思ったような結果何一つ出せてないけど、前期の筑波戦のミーティングで飛さんが4年に向けて言ってくれたこと(4年のせいで大敗したけど)、後輩がたまに言ってくれたことなどやってることは間違ってないと思える時もあった。

でもそれはCチーム全員の取り組みのおかげで、そのような体感ができた、いいチームは作れた。

だからこそ、最後は勝ってみんなで笑って終わりたい。

 

些細なことや誰も気づかないようなこと、なんでもいいから、誰か一人にほんの少しでも刺激や活力を与えることができれば、それは紛れもない貢献だと僕は思う。

 

 

しかしながら、サッカーを通して失敗から得た2つの学びがある。

1つ目は、どんなに貢献しようと積み重ねたとしても、信頼がなくなるのは本当に一瞬のプレーや些細な言動であり、その信頼を回復するのがどれほど大変なことなのかを学んだ。

2つ目は、納得いかない状況でも受け入れて、割り切って物事をポジティブに捉え、自分ができる事をとにかく100%やろうとすることが大事ってことも学んだ。

 

時々自分も他人と比べて羨ましく思い、劣等感を抱いたり、他人や環境とかの外的要因のせいにしてしまったことも全然ある。矢印を他に向けだしたらいくらだって言い訳出来るからこそ、自分に矢印を向け続けるってとても難しいことだと思った。でも成長するには自分に矢印を向けておかなければいけないと思った。

 

だからこそ、毎日の言動や振る舞いを大切にすることだったり、置かれた状況を受け入れることも大切なんだと思う。自分に矢印向けて、昨日よりも今日だけを意識する。その積み重ねがいつかきっと報われるはず。

チームに貢献するために、勝ってみんなと喜びたいから。

 

どんなにちっぽけなことでも自ら行動することが大切で、その一つの行動がすぐには、自身やチームにいい影響をもたらさないかもしれない。むしろすぐいい方に転じることなんてほぼない。どんなに過程を頑張っても大事なのは「結果」だとは思うし、ついてこなければ諦めたくなる。

そんな時こそ踏ん張って、少しずつ少しずつ良くなると自分だけは信じてあげて、愚直にやり続けてれば、いつかいい事が起きるはず。

例えば自分にとって何かのきっかけになったり、仲間やスタッフの信頼を掴むためのきっかけになったりする。

 

実際に何らかの形で、時間がかかっても最終的には、積み上げてきたご褒美みたいなものが、たまたま毎回自分に返ってきた。

こんな僕を仲間が必要としてくれ、信頼してくれたり、応援してくれたり、勝利に貢献できた時、やっててよかったと心の底から思えた。

そんな経験を繰り返せば返すほど、

 

「もっともっとチームの力になりたい」

 

って日々想い、いつの間にか原動力になっていた。

 

 

 

これらの積み重ねが一人間としての成長やチームの貢献などピッチ内外、繋がっていないようで繋がっていると思う。

多くの支えがあるからこそ感謝と謙虚な気持ちを忘れずに、自分と向きあってコツコツと誰かや組織のために貢献しようとすること、何かを継続し続けることが、自分のためになるとサッカーを通して教わった。

それができずにチームに迷惑をかけた時があったからこそ、今改めて強く思う。

 

 

このようなことを学べたことはとっても貴重で、これから社会に出てもこの考え方はずっと大事にしていく。

(この文を見て後輩とか、特に組織においての自分は必要なのかと悩みもがいている人、1人でも何かの行動のきっかけになれば幸いです。)

 

 

これ以外にも本当にサッカーを通して多くのことを学んだ。

小学生では、サッカーの楽しさや一生懸命に頑張る大切さを。

中学生では、仲間と頑張る楽しさや難しさの一片を。

高校生では、自分の人生にとって、とても大切で自分の基盤になるようなことを。

大学生では、大きな組織で、自分の価値観や考え方を色んな人に大きく広げてもらい、人として物凄く成長させて貰ったと実感している。

 

 

仲間と共に頑張るやりがい、仲間や同期の大切さ、チームがひとつになった時の強さ、裏方と呼ばれる人たちがいることや応援してもらえることの有り難さ、なかなか取れない疲労感(特に大学2年、PK外して当時の4年生を引退させたこと以外は今となれば良い思い出。太雅さん感謝しています。)、怪我した時のもどかしさ(硬い硬い体でしたが治療院、トレーナーの皆様のおかげでプレーできました。頭上がりません。)目標に届かなかった時の空虚感など。

 

沢山の感情を日々味わいながら、ここまで17年間やってきた。

 

 

書いたこと以上に、サッカーをしているだけでもっともっと色々な事があった。

 

そんな17年間を振り返って最近感じるのは、

 

ほんまにサッカーやっててよかった。

 

 

 

家族へ

絶大なサポートがあったから今までめげずに頑張れました。

一人暮らしをすることで、家族一人一人の有り難さを身に染みて感じてました。

沢山の時間とお金、迷惑をかけ続けたのに全て受け入れてくれたおかげで、何不自由ない幸せな生活を送れました。たまに送ってくれる冷凍のおかず美味しすぎて、それを食べる日はその日の楽しみでした。

本当に今までありがとうございました。

これからもよろしく。

 

最高の同期へ

尊敬できて良い人すぎるみんなが大好きだし、みんなと過ごした日々がいい思い出だらけ。富士見・治療院とかに同期がおればおるほど、なんか嬉しくなるし、みんなと一緒におれるから部活に行くのが楽しみでした。

そんなみんなからグラウンドやメーリスでは刺激をもらい続け、みんながいたから頑張れた。

みんなの同期でほんまによかった、ありがとう!!

 

 

長くなりましたが最後に。

17年間のサッカー人生を通じて、同期やスタッフ、先輩後輩、治療院の方々など関わっていただいた全ての方々の支えがあり、学ぶことができた為、サッカーをしながら選手、一人間として大きく成長することができました。それと同時に日々「全然ダメ、もっともっと」と思わせられ、自分の惨めさ、力の無さを痛感することで満足することなくやってこれました。

立教大学体育会サッカー部をはじめとする、所属したチームを選んで、本当に良かったと言い切れます。

 

 

サッカーは好きやけど

それ以上にサッカーに取り囲まれる環境や人が大好きでした。

 

 

関わっていただいた、全ての方々へ感謝致します。

本当にありがとうございました。

 

 

ラストやりきって、最高なサッカー人生にします。




 

 

《お気に入りのプレー写真》

 

 

 




 

 

 Next…

今井 翔太郎(DF/JFAアカデミー福島)