学部学科: 現代心理学部心理学科
出身: 成蹊高校
ポジション: MG
最近ハマっていること/新しい趣味: 夜の散歩
平素より、マネージャー日記をご愛読いただきありがとうございます。
今年はコロナウイルスの影響で活動を自粛しなければいけない期間もありましたが、こうしてまた活動ができている状態に改めて感謝しながら日々生活しています。
自粛期間中は、自分の生活の8割が部活で成り立っていることを痛感するほど時間が余りましたが、家でダラダラした時間を過ごせることに実はとても幸せを感じていました。映画を見たり、目が覚めるまで眠りつづけたり、家でダルゴナコーヒーやスイーツを作ってみたり、、、
普段時間に追われているときはしないようなことが沢山できて、結構充実していたような気がします。
でもそんな生活を続けていくうちに、やっぱり飽きてきて、また部活のある生活が恋しくもなりました。みんなに会いたいなあ、仕事したいなあ、と。
そのときから、自分がなぜ自由な時間を犠牲にしてまでサッカー部で活動しているのかを改めて考えるようになりました (でもすぐには答えが見つからず、そのまま部活が再開しまったので、なかなか考える時間もなく答えが出ずにいました)。
そんな中、創史のブログでも取り上げられていましたが、先日「自分は組織にとって必要か」というテーマについて話し合う機会があり、その時に自分なりの答えが見つかったので、それについて少し書いてみようと思います。
選手がプレー面や性格面において、自分は組織にとって必要である、必要ではない、と話している中で、マネージャーは少し違う立ち位置だなと感じている部分がありました。
マネージャーという職業は、正直誰でも仕事を覚えればこなせます。仕事を行ううえでの各々の“個性”はあるものの、それは実際にサッカーの勝敗に直接的な影響を及ぼせるような“個性”ではなく、そういう意味でマネージャーは誰がやっても務まってしまいます。
実際、私はその話し合いで「自分は必要である」と主張しましたが、選手にとっては、私ではなくても“マネージャー”という役割を持った存在が必要なだけなのではないかと、何となく感じていました。
しかしそのMTの後で、私の身近にいる元サッカー部員が「組織に自分が必要かっていう前に、自分にとってその組織が必要かどうかだよね」とその内容を聞きながら言っていて、なるほどなあ、と思いました。
当たり前のように聞こえて、意外とそういう考え方をしている人は少ないのではないでしょうか。みんなのブログを読んでみても、「チームのため」「組織のため」に自分がどれくらい貢献できるか、というような内容をたくさん見たような気がします。
何より、その考えに基づいて、実際に行動に移した彼の言葉は、私にとってとても影響力のあるものでした (惚気ではありません)。
私はこれまで、マネージャーはあくまでサポートする側の立場であり、他人から必要とされて初めて存在価値が見出される存在だと思っていました。
しかし大事なのは、前提として自分にとってその組織は必要なのか、自分はその組織を支えたいのか、といった多少自分本位ともいえる考え方だと気づかされました。あ、もっと自分のためでいいんだと。
もちろん、チームの勝利のために組織を支えることは1年の頃から変わっていません。が、自分の中での“サッカー部に属している理由”を、3年目でようやくはっきり認識することができました。
「自分がサッカー部で活動しているのは、人を支えることが自分の喜びであり、それを成し遂げるためにサッカー部が自分にとって必要であるから。」
これが私の出した答えです。
この文章を読んで、部活に限らず「自分の属している組織が、自分にとって本当に必要なのか」を改めて考えていただけたら幸いです。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
ちなみにですが、①があるということは…
そういうことです。
《お気に入りのプレー写真》