平林 翼(MF/八千代高校)
『 ハラダイチのブログ 』
こんにちは。
8月にも入り、夏感半端ないですね!
朝から、冷やし中華、お昼に冷やし中華、夜に冷やし中華というThe 一人暮らしという生活を送っております!経営学部経営学科3年の原 大知です。
このブログをご覧のお母様方。
いつでも晩御飯食べに行きますので、お誘いお待ちしております。
あ、、、、
同期は、よく休みの日になるとサッカー部の5.6人くらいで伊豆に旅行に行ったり、温泉旅行に行ったりしてますが、一度も誘われたことはない私にそんなお誘いが来るわけないか笑笑
このブログを読んだみなさんは是非ハラダイチを旅行に誘い出してくださいね〜
日頃からみんなにぽんたってよばれてます!
その話はまた、引退ブログにでも書かせていただきますね!
是非みなさんもポンタって呼んでもらって構いませーん!
さて!!そろそろ本題に行きましょう〜
むずかしい理論的なことなんてみんな俺には求めてないと思うんで、ちょっと自分のことを知ってもらえるよーなお話しちゃいます!
いま、ハラダイチは何のためにサッカーをしているのか。
4歳くらいかな?そのくらいの時からサッカーを始め、もー21歳なんで17年くらいサッカーしてることになります。
でも、結構長いことサッカーしてますが努力をすることがとても苦手で、中学生の頃朝の5時から走りに行ったら母から500円もらえるという中学生の少年にはとても嬉しい特典付きのトレーニングも三日坊主。サッカーは好きだけど休みの日、観戦するのは野球。(巨人が大好きすぎて毎日試合見てます)
こんな私が今でもサッカーをやっている理由はたくさんありますが、1番の理由は応援してくれる家族の為です。
もちろんサッカーが大好きで、子供の頃はプロになりたいって気持ちが強く、高校も家族と色々話して、C大阪のユースチームに入り、プロへの道を目指しました。しかし、高校2年の夏、試合中に左膝の前十字靭帯を断裂してしまい、約1年ものリハビリ生活を送ることになりました。その時期は試合にも出ていましたが、一年間サッカーができないこと、周りのみんなとの差がどんどん開いていくのを感じ、プロになりたい!という気持ちはその時になくなってしまいました。
当時の私は、高校生ながら、なんのためにサッカーしてるんだろって考えるようになり、正直リハビリをする気にもならなかったのを覚えてます。
そんな時に、感じたのは家族の存在の偉大さ、家族への感謝です。今までサッカーしてこれたのはサッカーができる環境に身を置かせてくれた家族のおかげです。怪我した時、約一年かもサッカーできなくなって、正直やめたくなる気持ちもありました。
しかし、怪我する前も、怪我した後も誰よりもサッカーしている私を応援してくれて、サポートしてくれました。また、試合のたびに連絡もしてくれていました。実家は熊本なので、高校時代の三年間、離れて生活を送っていましたが、いつも支えられていると感じていました。
私の家族は本当に仲良しで最高の家族です。
そんな家族の支えのおかげで怪我からリハビリ生活も頑張ることができました。
そんな、復帰まもない高校三年の春に思いもよらないことが起きました。
いつも私のことを全力で応援してくれる、誰よりも優しい父に「大腸ガン」が見つかったのです。
見つかったときには結構、進行していて、絶対に治るという保証もなく、最初聞いたときはもちろん、実感が湧きませんでした。私は夜な夜な寮で1人大泣きしてしまいました。
父はいつも、私のサッカーを応援してくれていました。
私は中学生の頃クラブチームが九州リーグに参加していたこともあり、週末になると九州のあちこちで試合をしていました。
父は、毎週毎週、私の祖父を連れて試合観戦に欠かさずに来てくれて、試合の帰り道は三人で焼肉を食べながら、試合の振り返りをし、三人で仲良く帰るのがとても楽しかったです。
いつも優しく、気遣いができて、一番応援してくれる。私の父は最高の父です。
それから父は、母とともに、[また、元気になったら家族みんなで私の試合を見に行こう]という目標を持って「がん」と戦いました。
実家に帰るたびに、父のもとを訪れると、「サッカーを頑張れ」って励まされ、次会うまでの目標を2人で立ててました,
しかし、私の父は、私が大学一年の夏、2017年8月に他界しました。
人生1そのときは泣きました。
実感も湧きませんでした。
なにも考えられなくなりました。
父の会社の荷物をまとめていると、わたしのサッカーの小さい頃からの新聞の記事やウェブの記事が綺麗にファイリングされているのを見つけて、父は心の底からわたしのサッカーしている姿を応援してくれて、喜んでいてくれたんだなと、おもい、また泣いてしまいました。
父はサッカーをやっているわたしの姿が好きなんだ、と感じることができたので、私は大学生活の中で全力でサッカーに取り組むことを決めました。本気で、父にいいところを見せられるように頑張ると。
それだけではなく、母1人で3人の子供の世話をしている母にも私はとても感謝しています。
去年の関東リーグの試合にも実家から飛行機に乗ってわざわざ何試合も見に来てくれました。
いいプレーができたかどうかは別として、母が応援に来てくれてると頑張れるのです。
本当にありがとう。これからもたくさん迷惑かけるけど、おかんのために俺はサッカー頑張るよ。
私はこの最高の両親にいつも応援させているからサッカーを頑張れています。
私が立教大学体育会サッカー部に所属し、サッカーをしている理由はもちろん、たくさんありますが、一番は両親、家族への感謝。その応援に応えるためです。
いま、立教サッカー部は関東2部で戦う試合は多くの人が応援してくださってます。
本当にありがとうございます。
応援の力が本当にメンバーの力になってます。
そのプラスアルファでわたしには天国から父が応援してくれています。
いつも、大事なリーグ戦の試合の始まる直前に、私は、「今日もみててね」って父に話しかけてから試合に臨みます。
それが今の私のルーティーン。
父の応援に応えられるように今後も私は立教大学サッカー部の一員として、試合に勝ち続けていきたい。
結局なにが言いたいかっていうと、私に限らず、みんなにも家族がいて、その家族がいなければ絶対にサッカー部の一員としてサッカーをすることができないと私は思います。
だから、日頃言えない
ありがとう。サッカー頑張るよ
それを是非しっかりと家族に伝えて、胸を張ってサッカーしましょう。
そうすれば、必ず家族は応援してくれる。
だから私は今もサッカーを続けているのです。
えー。文章がごっちゃごちゃでなにが言いたかったかわからない部分もあるとおもいますが、今後とも応援よろしくお願いします。
以上。
《お気に入りのプレー写真》