自転車はこいでいると倒れず、止まると倒れやすいのでしょうか。物理の世界のようですが、さまざまなモーメント要因が関わっているのでしょうか。

 

お医者さんに行って血圧を測定するとき、”昔ながらの水銀メータ”を使うと興味深いことがあるような気がします。はじめに横になって測定しているとき 水銀上面はある一定の位置で止まっているのですが、そのまま起き上がると”ぴょこん”と上昇します。本人に上昇させる意図はなくても、自動で上昇しているのでしょうか。クリックで低血圧関連ブログヘ

 

人生の1/3は睡眠時間ですが、起床するときは”まどろむ時間”も重要な気がします。可能であればもっとまどろんでいたいのですが、キリがありません。人間の3大欲に”睡眠欲”があるからには、『いいんだよ~』と自分自身を慈しみます。しかしながらひとたび起き上がると、スイッチが切り替わるような気もします。クリックで”人生の1/3は睡眠”ブログヘ

 

物理の世界でも"動摩擦係数"と"静止摩擦係数"があつて、前者の方が小さいらしいです。重いものを動かす時、動くまでは少し力が必要ですが動き始めると小さい力でも動き続けます。

時間の経過とともに刻む”人生の軌跡”は、常に上昇していることが好ましいのでしょうか。”希望”が”努力”の原動力にもなっているような気がします。

 

追い求めている”何か”が見えるようになるまでは、不安になることがあるのでしょうか。”ひょっとしてムダなのでは。。。”などなど。。。

 

過ぎ去った過去に自分をタイムスリップさせると、同じように”ひょっとしてムダなのでは”と思っていた時期があったことを思い出すことはあるものなのでしょうか。その思い出は、結果(=今からの振返り)としては【やはりムダだった/ためになった】というよりも、”ストーリー”になっているような気がします。

 

好ましくも”追いもとめていた何か”が見えたとしても、また新たな別の何かを追い求めて邁進し、常に”向上”を目指すのでしょうか。

 

未来に自分をタイムスリップさせて ”今を含めた過去”を振り返ると、ムダなことなどはなく 『なにかに導かれてここまできた』と思えるのでしょうか。

 

 

『めがねをなくした。。』と、メガネをかけながら主張する大先輩像”は未来の”第一人称”でしょうか。いつの頃からか”紙”をめくる円滑さが変化してくると、昭和のお店での会計時に、レジ袋を” 指を とある方法で湿らせてから”いとも簡単にめくってみせてくれた大先輩に憧憬を覚えます。

 

さまざまな世代間ギャップがある中で、実は 時の流れで同じ境遇をさらっているような気もします。各世代固有の”先輩度合い”を歓迎して、皆が感謝・尊敬の念で包まれるとよいのでしょうか。

 

<当てはまる数で 先輩度が1~∞>

▼立ちあがるときには必ず『よっこらしょ』(あるいは『どっこいしょ』)と言う。

▼関節にコラーゲン、グルコサミン、コンドロチン、ヒアルロン酸が存在することの重要性を実感してきた。

▼若い世代が頼もしい。

▼見えるものに対する認知レスポンスが変化してきた。

▼認知レスポンスが変化しても、豊富な経験値・経験量によって最適な行動をとる。

 (ex:おばあちゃんの知恵)

▼人には見えないものが見えるようになってきた。

お刺身をおはしでつまみそこねたとき、『。。生きてるよ~』と言いたくなる。

 

このほか、5感センサー類の感度も経年変化するような気もしますが、逆に人脈ネットワークがUPして、開花・繁栄していくのでしょうか。