このブログと自分のこともようやくここまで掴めるようになったかという感じですね😃
アプリ画面的には今こんな感じになってるんですね。
そう、
“自称マスターである凡人”というのが今の私には相応しい称号だと思うのですよ、皮肉とか卑屈というよりも
自称マスターとして生きる憂鬱さ
という物を正確に表しているなと(笑)
実際その言葉を正しく理解するためには相応の知識が必要とは言え概要を伝えるには実に十分に正しい表現だと思うわけです。
そして自称マスターという立ち位置を確立させたことによってそれを実際に軸として活動していけるというわけです。
自称マスターって何?
って聞かれたら、
コレを答えればいいのですね
たぶんコレを伝えれば、
生半可なスピリチュアル人なら返す言葉もなくなって沈黙するだろうし(笑)
わかる者なら「それはお疲れさまです」みたいなニュアンスの言葉を返してくれるんじゃないかと思うのですね😁
まぁ実際私はこういう名乗りを上げている人間てのにはまだ遭遇したことがないのでせいぜい私がその道の先導者として随時正当性を主張したり世界観を堅固な物へと鍛えながら進めてゆくことでしょう👍️✨
これならやりたい放題できますからね。
“現代スピリチュアル保護組合”みたいな人間社会的な暗黙のスピリチュアル的ルールとかに乗る義務もないのです☆
私の身元は神聖な計画が保証するし、
それ以外の側面では私はただの社会不適応な感じの人間なのですから/(*゚∀゚*)\
ちょっと思う所があって調べた結果、
私は性格破綻者と呼ぶのが相応しいであろうという結論に達しました。
社会性が崩壊している人間というような意味ですね💥
私は人格破綻者だと思っていたのですが、
正しい表現(?)は性格破綻者らしいです。
まぁいずれにしろ蔑称であるということには違いないと思うのですが、私としてはそんなにソレを表すに相応しい言葉が世の中にはあるのかと感心したわけです(笑)
そうですね、
まずはそこら辺から話を進めていくということになるのでしょう。
ややあって、
私は心療内科に再び通うことになっているのですが(現在進行形)
そこで心理検査なる物を受けたのです。
自称マスター的な凡人である私の人生を開拓するのに何か役に立つかもしれないとかそんな適当な考えや直感で❇️
受けてみて疑問。
あれは心理検査というより知能検査みたいな物だったのですが、
その結果で無事に私は(なにかの)“手帳”をもらえることになったのです。
(全然何かわかってないし特に興味ない。)
いやね?
診察してくれる先生が“てちょう”ってしか言わないから何の手帳なのか全然わかってないし特に知りたいと思わないから何も聞いてないのでわからないままに何かソレをもらうことになるのですね(*ノ・∀・`)
私が思うに
何かしら精神疾患的な証明となるであろう社会的には極めて不名誉そうな手帳なんだろうな~と予想しているわけです👁️
でも別に私は真っ当な社会人ではないので使えそうならもらっとこうと思うわけです。
たぶん6~7年前までの私なら
俺ぁ障害者じゃねぇ、
馬鹿にすんな!!
ってキレるだろうけど、
5年前以後であれば話は別。
それが運命で宿命だと示されるのなら甘んじてそれを受け取るだけです。
ってわけで、
たぶんこれでめでたく私は“発達障害”という一見すると限りなくマイナスにしか思えないような称号を得て活用することができるようになったので、
せっかくだからこれを機にそこら辺について穿って語っていきたいと思っているわけです👌✨
そうですね、
一番最初に思い出したのは
“ギフテッド”なる概念。
人間的なバランス的にはアレだけど局所的に凄まじい才能や能力を持っていたり示すような生まれのある種の天才型な人間
みたいな認識です、私の中では
(今は正確な情報を調べたいと全く思わないのでその考えで話は進みます🌠)
というかね、
正直、
私が発達障害的な脳のアレがどうとか一般社会の人間的な思考やセンスが欠如してるとかそういう話には心当たりがあるのですね、
先天的なものと後天的な理由の2つが。
端的に申し上げて、
人間社会的な地上のルール的なあれこれという物を1つ1つ概念として幻想の一種として捉えて消滅させていった結果、
現実味や実感や興味はほとんど無いけど
知識としてはしっかり覚えている。
みたいな状態になったからだと!!
私はそう感じているのですね👁️✨
いわゆるアレです。
人間として生まれ育つ中で覚えたけれど実際には宇宙の法則にも霊的な法則性にも一致してないあらゆる概念を設定上の幻想と理解してしまった結果、
中身が無いとわかるから
真剣に取り扱えない。
っていう感じの状態になってしまったというわけです!!
実際スピリチュアルヒーラー界隈(?)とかではギフテッド的な(?)ある一定の通常の人間が持つであろう概念……例えば時間の認識が曖昧だとかなんかそんな話を聞いたりしたことも少なからずあるのです。
あとそうですね、
私の立場として明記しておきたいのは、
一部でまことしやかに語られる、
障害者として生まれる人間は霊的に優れた存在だ
みたいな話、あるじゃないですか。
私、あれはどうだろうかと思ってます。
別の表現だと、
え?
そうなの?
全然わからんし
私は聞かない話だな。
って思っているのですね、
“自称マスターな凡人である私”の立場の認識としては(笑)
特に身体障害(今はひらがな?)的な生まれとか極めてわかりやすいタイプの障害持つ人間のことを指すと思うのですが、
仮に霊的に高次(?)な存在だとしても、
ありゃ天使的な試みだべ。
マスターのやることじゃねぇ。
って思うのですね。
なんで説明します💡
私は“凡人な自称マスター”なのでわかることなのですが、
“普通”から外れてはいけないのです。
それは“特殊な人間”
だから◯◯なんでしょ?
って言わせちゃダメなのですよ🙅
だから飽くまでも少なくとも一見した限りでは普通の人生と呼べるような物でなければならんのです。
◯◯さんは
特殊な生まれだから……
特別な才能があるから……
他の人間とは違うから……
って言わせちゃダメなのですよ。
そんな言い訳は許さない。
だから“普通”である必要があるので、
身体的なレベルで普通とは違う状態になってたらその時点で特殊枠として括られてしまうという意味でそのやり方は絶対に選ばないのです。
だから別に障害がある人間だから霊的に高次な魂を持つとかそんな話は私は別に信頼してません。
……ならば問おう、
私よりも霊格が高いのか?
とか言えるのが“自称マスターな凡人”である私の立ち位置ということです😌
競いたいかどうかは別としても実際普通にそう思うし(笑)
っていうかね、
スピリチュアリティの理論や原理を思考レベルで正確に理解できないと霊的な実践と獲得の道が選べないから知能に障害がある人生なんて絶対に選ぶわけ無い!!
絶対に無い。
って話もね?
私の立場からは真実だとしても、
何かしらの障がい?があったとしてもウチの子はギフテッドだから……
って気持ちで何とか受け止められてるというような人間に告げるのは残酷ってやつじゃないですか。
だからそういう人たちは決して私の存在やこのような表現を認識しないような神聖なセーフティネットみたいな物が働いていると思うのですよ私は。
そしてそういう質やリアリティーを理解できないようになっている人たちに対しては私のようなスピリチュアルな道の人てのは
発達障がいだから自分たちには理解できなくても仕方ないしなるべく優しくしてあげよう
とか思ってとりあえずでも受け入れて納得してもらった方がよっぽどにお互いに幸せと調和に近づくじゃないですか。
そういうことなんですよ。
それが私が思う障害のある人間は霊的に進化した魂を持つ存在だって考えに至る理由だと思うのですよ👁️✨
別に私は知能に障害があるわけではないのですよ。例の心理検査では総合知能?みたいないわゆるIQ的なやつは107あったのですから別に頭は悪くないのです。ただバランスが悪いだけでたゆまぬ修練と努力によってある程度の技術や知識なら得られるのですよ👊🔥
しかし霊的な実践によって学びを促す地上のリアリティーみたいなのがかなり吹っ飛んでしまった私としては実際に理解=実感できなくなってしまったような概念てのはたくさんあります👻
それを現代社会的に解釈すると、
離人症(正しくは知らないけど)とかそういういわゆる精神疾患とか脳の以上ってことになるんだと思うのですよ実際に。
そしてそのような形でしか納得できない=そのような形でなら納得し受け入れることができるようになる人間てのが確かに存在するのだとしたら、
それこそ魂の年長者を自負する私たちこそがそのような人間社会的には=一見して不名誉だったりマイナスにしかならなさそうな事実もすんなり受け入れる度量の大きさとそこにある真実性の輝きみたいな物こそを心に映し出し続けていられるかっていう学びの機会として感謝して受け取れば良いのですよ❇️
そのくらいできたなら“障がいのある人間”は実は霊的に高度に進化した存在だって話にも私は納得します😌🌸
私たちが選ぶのは見た目の正しさなんかではなくて、実際に正しくてそれを選んだらより調和して受容とゆるしに近づく方向性こそが最も価値ある選択であり自らに相応しいというその神聖さと呼べる意思を存在をもって示すことなのですから!
霊的に高度に進化した存在って
そういうことでしょう?
振り下ろされるこぶし(言葉含む)を受け止めることもまた優しさであり愛なのだと。
そんな学びや課題が私の人生には確かにあるのですよ。だから……
もし自分がそのこぶしを振り下ろす側になった時には“一撃で終わらせる”つもりで全霊でトドメを指しに行きます。
(可能であれば)
別に傷付けたいわけじゃないんだよ。
でもこれは伝える必要があるんだよ。
……さぁ、覚悟はいいね?
私はいいよ。
って感じですね、
一番意識が覚醒してる場合だと(笑)
だからね、
ある程度は理解してもらえないことは必然と理解した上で、それでも無駄に不和を生じさせずに互いに理解されることを諦めない。
それを忘れちゃダメだと思うの。
私は凡人であり聖人でも君子でもない。
それでも神聖さを自らに望みそれに相応しい意思や行動を選択することの価値やそれだけが必然となる理由は理解できるんだよ。
今回そこら辺の話で父親と久しぶりに口論みたいになって思ったことが1つだけある。
私は苦しみから学ぶ者ではない。
私は恐れから学ぶ人生だった。
だからね、
私の立場としては“魂の年齢”ってリアリティーも普通にあります。
上から下まで(?)見えるようになったら、
その尺度はすごく役に立つ。
自分より上(?)の霊的な存在てのは理解できないって意味で基本的にそれはスピリチュアルエゴ的なそれを膨らませるだけになりかねないからオススメできないんだけど、
スピリチュアリティの実践が意識に浸透するようになった頃には色々参考になる。
たとえば……
障がいを持つ者が自分の子供だったという事実にショックを受けながらも現代のギフテッドなのとかそういう子供は霊的に優れた魂を持つ者だと考えることでそれを受け入れる姿を広く示すことで他の誰かに勇気を与える存在になるとかね。
……それは私の凡人としての人生からは遠く離れた“特殊”なものだけど、それがそのような意図で選ばれているということだけは理解できるようになるんだよ👁️✨
……まぁ、
私個人的には好きじゃない考え方だし、
私の在り方はそういう人たちには間違いなく毒とか脅威になるだろうからねぇ(*´ Δ`* )💥
不用意に関わらないのが賢明ですね🔒️
そこが今回の自称マスターの憂鬱ポイントってことになりますね(笑)
だからって否定はしない。
それが必然で正解だとわかるから。
私にとっての正解と真実とは全く違うのは確かなんだけど、
ほら、
もし私がそういう人間の生まれだったならそっちが正解になるってことくらいは理解してるから👌✨
それが“上から下までわかる”って感覚なんだろうと私は思うわけですよ。
それもまた聖なる乖離ってやつなんだろうなって思いました😃❇️
ってわけで、
今回のタイトルは
“障害のある人間は霊的に優れた存在”説に物申す。/“聖なる乖離”と“上から下までわかる”の話★
とかがいいかな~って思ったんだけど、
それだと見るべきでない人の意識にも入りそうだな~って💥/(*゚∀゚*)\💥
→今のタイトルになりました。
性格破綻者で自称マスターな凡人
てことですね今の私は。
……なにそれ近付かんとこ。
って思わせてやるのも優しさなんだよ。
内側で自己の真実性を保てるのならどんな生き方を与えられても全くキズなんてつかないって完全性を示すにはまさに相応しい在り方だろう?
それこそがマスターの仕事なのだと私は示せる者でありたいんだね👌✨