……って話。
という感じでノンデュアリティ、
やっていきましょう。
まぁ、なんというか、
私もそこら辺を深く知る機会を待っていたのだと感じるのです。何しろこのようなアイテムを現在の私が持て余している理由がわかるようになるのもそこら辺を理解してからだと思うし、
何て言うんですかね、
ノンデュアリティが背景にあることによって初めて成立するものとかリアリティーっていうのがあるっぽいのですよ。
それが属に言うスピリチュアル上級者の視点というもので、なぜそれが上級者なのかみたいなことが理解できるようになるはずなのですよたぶんたしかきっと(笑)
あ、このようなアイテムってこれです。
あと金緑とかそういう言葉で表してるいつもの色のやつ。
この2つが、
ノンデュアリティとか実在性を現すものと
至福とか神聖な幻想性を現すものと
それぞれ2つの側面?
みたいな物をどちらも理解して初めて持て余すことなく扱えるようになる……
んだろうなって感じ始めてもう2年以上経ちますね(笑)
しかしまぁそこら辺ってのは本当に一朝一夕では進まないもので、私の一万時間の成果みたいな物を加味しても私は志半ばな状態にあるというのがそういうことなのですね(*ノ・∀・`)
(前回の記事の話とか)
→というわけで、
ヴェロニカ麻由さん、
珍しいノンデュアリティの実像を映し出してくれる存在として密かに活用させていただくことにしましょう(笑)
……まぁとは言え、
ここら辺はかなりのエネルギーとか力量とか熱量のような物が必要になる難所?みたいな所だと知ってるので、
ちょいちょい少しずつ毎日進めていければいいかなと思ってます🍀
まず前提として、
ノンデュアリティな概念とかリアリティーを認識する際に混乱というか真空の衝撃というか自我意識と同化してる自分が混乱するとか不快感を味わうみたいなことは前提条件というか自然現象だとご理解ください(笑)
いつも書いてるように、
そのリアリティーを体感している時には誰であれその苦悩感みたいなものから逃れられないので上手にいなすとか捌く、みたいなことを覚えた方がいいと私は思います👌✨
だって真正面から闘ったら自己否定というより自己分裂しちゃうんだもん(*ノ・∀・`)
前提知識としてワンネスの実感ぐらいとか一瞬の悟り体験みたいなのがあれば大分楽になるかと思うし、
……逆を言えばそのくらい実感してないと不愉快な念仏を唱えられるような苦痛感を味わうんじゃないかなって(*゚∀゚)💥
そうですね、
ノンデュアリティ系の人間は、
“魔法の枕詞”みたいに度々、
まぁそれも私がそうしてるとかそう考えているというわけじゃないんだけどね★
ということを言ったり表現したりすると思うのですね。だって実際そうなんだしそれを実感してるんだもん(ヾノ・∀・`)
なんの因果か知らないけど、
私が書くこれを見ることになった人はそこら辺を覚えておけば役に立つかと🌠
だってこれ、私が考えて書いてるわけじゃないしどちらかと言えば私もそれを読んでる側だから( *´艸`*)
はい注意書き終わり😃
前回の記事を書き終わって私は、
ヴェロニカさんのこの動画とかをhttps://youtu.be/tcCkaDDmaTo
見ました
一番これが最優先? かなって👁️
しかしこの動画、
ダイレクトに貼り付けようとしたら、
……ということらしいので、
あれ?
“これ”じゃないのかな???(゜Δ ゜)
と考えた結果、
“そういうもの”としてそのまま使うことにしました(笑)
……“これ”が何なのかって?
うん、全然わかんないです(ヾノ・∀・`)
わからないから今から確認するんだよ😃💡
スピリチュアル上級者(仮)ってのはそういう生き方(在り方かも)をするものなんだよ。
だって別に上の波動領域に素早くあがることとか輪廻転生なクリアを目指すことは(経験済みの現状の体験を理解する前提であり)目的じゃないんだからさ☆
そうそう、
ヴェロニカさん(以下そう呼びます)、
非常にバランスがいいお人なのですね。
ノンデュアリティの体験や理解を前提としてそれを知った上で、延々と好き放題な感じで上から下から光から闇までチャネリングして動画にしてるっぽいのです( *´艸`)
あ、うん、
そしてそう!
↑の動画の中で
“意識のコスプレ”という言葉を使っていたわけですよ!!
私はそれを“魂のコスプレ”という言葉で認識しているので、
同じ概念を認識している人間は自分の他にも存在する!!
とか思って感動しましたヽ(*´∀`*)ノ✨
それを別の言葉で言えば
“◯◯ごっこ”って表現してるやつです。
マスターごっこ とか
聖者ごっこ とか
エリミエールごっこ とか
文字通り“演じる”というか、
そのようなリアリティーや感覚感情を体験していると気付いているということです。
ノンデュアリティを認識した以上は、形あるすべてってのは実在ではない形としての現れであり無限の豊かさであり無限の幻想だということを前提とした上で幻想を生み出す者として遊ぶというような
“創造主ごっこ”をするために必要になるのですよまだ現時点の私はその原理を完全には理解できていないのですけどね(*ノ・∀・`)
不思議なことに、幻想である物を飽くまでも幻の像の1つに過ぎないものとして見た時に初めて実在性やスピリチュアリティの光が宿り写し出されるというようなリアリティーが現れてくるのですよ❇️
だからノンデュアリティを認識した者は度々そっちの意識………………自分じゃない自分が目覚めるような現実を思い出すような機会が挟まれるようになると私は思うのです😌
それにほら、
ノンデュアリティを実感した者には伝家の宝刀というかオールリセットみたいな概念が少なからず根付くはずなので(笑)
割とどんな体験でもどんな自分でも怖くないと思える機会も増えるわけで、
……そうしたら急に深刻さが消え失せて笑っちゃうような気持ちになったりふざけたくなったりして私が言う“スピリチュアルジョーク”を楽しむようになったりするのです。
だって幻なんだもの、
だって映像なんだもの、
それらにリアリティーを見いだして実感して没入してる時以外はただのごっこ遊びに思えてくるんだよ☆
ヴェロニカさんが言及してないこととして私が思うに、
その時々の自分として表現する特定の言葉遣いや質感である物に相応しい波動領域や高低ネガティビティポジシティビティとか軽い重い明るい暗いの感覚感情を体感することになるんだと思ってる。
……たぶんヴェロニカさんはそういう感情の起伏みたいな体験を不可避とする時期を既に通り過ぎた年齢で人生段階の人間だから、私みたいにそれを今さら生々しく実感しないんだろうなって感じて見てます👁️✨
たぶんこれとか見ればわかりそうだなって
……出ないみたいなのでリンクからどぞ→
……ちなみに私の場合は、
14歳の頃に霊的な意識というか分離意識に完全覚醒したので……そこから
30年以上の探求をしたらなんと44歳!!
(*゚∀゚)💥
……まぁそういうことです😁
私はノンデュアリティを実感し語るにはまだあまりにも若く未熟でそれは時間の中での体験や成長という意味で
経験が不足している
ということが1つの事実であり、
だからわかった上でも、
全くわかってないような混乱したり錯乱したりエゴで分離意識化してロウアーセルフに戻ってネガティビティを叫ぶ!!
……とかそんな表現が必然として置かれていたとしても別に不思議じゃないのですよ( *´艸`)
とりあえずそのくらいの実感と理解は得られる程度の訓練は積まれているわけです。
何と言っても強化訓練生ですから!
(それも“ごっこ”なんだけど、そのリアリティーが成立したり認識できるのは分離の幻想がかなり薄くなった高次元らへんな意識として現れている時だけなのですよ(*ノ・∀・`)
そんな私の苦悩をわかってくれると個人的にはとても嬉しいですし😌
人間て、早い段階で霊的に覚醒しても能力や実力が本来的な完成像な自分である現実感にひたすらに足りない追い付かないマイナスで不完全さを認識して苦悩し必死に取り戻そうとすることになるんだぜ?
という側面があると理解できると、
覚醒しても形は何も変わらんよ。
ってことがわかったり、
それをどうにかできないし誰がなにかをどうにかしてるわけじゃない、
とかそこら辺のノンデュアリティ観とか感覚もわかるようになるかと( *´艸`)
そういう使い方をすると私の未熟ながらに霊的覚醒を体験したからこそ成立する非常な苦悩感みたいな変わったリアリティーも共感できて楽しいかもしれませんね(笑)
実際に体験したら強迫観念に突き動かされる酷な人生になるけど、体験の1つとして見ればそれもまた稀少で面白いものだから☆
まぁ私にとってはこれらも広義の癒しみたいなものなのだし、必然なのです。
ノンデュアリティを実感した者、特にそれを極めて早い段階で知った者にとっては時間の枠の中での制限や現実感を越えることは素晴らしい解放でもあるのです!
……だって自分が未完成で未成熟だってことが当然のようにわかるわけで、それを分離意識の波動領域なリアリティーで体感したり認識すると凄まじい自己否定や自己矛盾の実感になってしまうのですから!!!/(^o^)\
それが“悲劇的な覚醒”ということになるのでしょうし、そんなんなったら誰だって必死になるってもんですよね★
だからそれが強化訓練生(笑)
……んで、
じゃあ私は44歳まではノンデュアリティを実感してそれを共有することである種の癒しや解放を示せる人間になるのはまだまだ先で今はひたすらにそんな自分になるべく日々を生きるしかないのか………………!
とかって意識やリアリティーを体感して進んでいくというのも私の資質であり計画の基本型なんだと思います(笑)
だって実際そうなるんだもん(*ノ・∀・`)
なるものはなる。
ならんものはならん。
抵抗しても苦しいだけなんだから手放してそれも1つの形やリアリティーの体験であり霊的に未熟な人間であるがゆえに分離意識に苦悩し葛藤し越えてゆく霊性の道の人……
って感じの使われ方をするのが私にとって正しくて超自然だということです。
ほんと、そのことを極めて心穏やかに受け入れられるようになったのはつい最近だけどそれを認識してたのは何年も前……10年以上前から勘づいたりわかんなくなったりを繰り返して挑み続けてきたってわけです。
だからそんなリアリティーを認識する私には自称マスターも輪廻転生の果ての自由課題みたいなフルカスタムな人生という見方もとてもとても役に立つし、そういう正しい見方捉え方をしないと全く栄光も成功もない惨めな人生になってしまうのですねぇ。
若い頃は特にそこら辺がわかんないから困ったものですよ(*´ Δ`* )
だから今となって言えることは、
最大の難局は過ぎ去った
ということ。
だから基本的にもうかつての体験ほどに苦しくなることは有り得ないのですね🌟
それが、延々と否定に否定を重ね繰り返し否定の果てに自我や分離意識の消滅を経験して霊性に目覚めてゆくという道……
↑↑の動画を見ればわかるように、ヴェロニカさんはそれすげぇ効率悪くね?みたいな考えだそうです(*゚∀゚)!!💥
……わかる。
それはわかる。
でも持ち込んだ潜在能力である物を扱えるようにするためには現実的に無理のない相応のプロセスってのが必要なんだから仕方ねぇじゃんかよぅ!😂
って思います(笑)
どんな物もそれが有るというのなら、
最高最善に活用してやろうじゃないか!
……って見方が可能になるのはそういう意味で霊的な意識の目覚めに加えて人間としての体験や学びを十分に得て成長した時なのです。
……一応瞬間的にはいつでもそういうリアリティーを捉えることはできても、その時々の基本的な波動領域とか現実となる体験の形や感覚感情に相応しいリアリティーってのがかなり強く定められてるので一瞬で戻っちゃうわけですよ(*ノ・∀・`)
だから一度でも真に目覚めた人間は、
その後には必ずコントロールを手放し分離の幻想のリアリティーから離れられるようになってゆくという方向性に進むことになると思うのですよ。
なぜかと言えば創造者な体験とか霊的な学びの順路とか流れってのがそうなっているからだと思います👌✨
まぁ物凄く簡単に言うと、
嫌になったら手放せばいい、
苦しくなったら手放せばいい、
手放したくなったら手放せばいい、
そうなる時には必ずそうなるんだから。
ってことですよね~。
まぁ現時点での私がそんなにノンデュアリティーに踏み込んでもあんまり役に立たないと思うというかそのリアリティーみたいなのを予感してるんだけどね🌃
しかしまぁ、
こういう形として現れるものが自分の意思とか考えで起こしてるわけじゃないって気付くのなら、その上でその不思議さや奇妙さ?みたいな物を楽しむというような視点もあるわけで(笑)
そして、そう、
その時々に自分の振る舞いや他者に示すことになっているリアリティーに相応しい表現や言葉に対応した波動領域みたいな物を実感することは不可避と理解するのなら、
あれですよね、
確かにノンデュアリティなことについて真にそれを示すべき時には必ず自分自身としてそれを実感することになってるのです☆
それが悟りで言うところの、
それがいつどこで起こるのか起こらないのかも私たちは知ることができないのだし私たちは決して悟ることはないのだからもしそれが起こったとしても私ではない私が悟るということになるんだね(笑)
みたいな話ですね( *´艸`*)
そのリアリティーに面白さを感じられるのならノンデュアリティの面白さがわかる素質があるってことになりますね(断定)
何て言うんですかね、
馬鹿馬鹿しくて笑えるというか、
遊んでるなぁって感じてなぜか楽しい気がしてくるわけですよヽ(*´∀`*)ノ
私はまだ44歳ではないから
とかそんな理由だけでもまだ自分がノンデュアリティを上手く理解できなかったり表現できないことも納得できるのですよ実際。
……だってノンデュアリティですよ?
最近までマスターごっこや至福の世界創造ごっこに夢中になって遊び続けていた人間がそんなに急にノンデュアリティできるわけないじゃないですか話の展開に無理があるってもんですよ(ヾノ・∀・`)
そんなの40歳からでいいでしょうよ。
でもノンデュアリティを少なからず実感して思うのは、必要な人間以外には全く必要ない幻想の手品の種明かしみたいなものだと感じるわけですよ。
(結局幻想である)
それを知るか知らないかで物語とかストーリー展開の互換的(?)に多大な影響が出る……というか自己認識やその反映によって自己像が少なからず変化することになるから知るべき時までは絶対に認識しないことになってるものだと思うわけですね🔒️
私はそこら辺を認識したり表現することに楽しさや好奇心を感じられたり実際にそういう現実感や実感を得ているという意味で
ノンデュアリティについて語ったり示す適性があるということなのです☆
楽しいよこれはこれで、
これには色とか持ち込めないけど(笑)
それも1つの演技とか体験だからね!
楽しくないわけないのですヽ(*´∀`*)ノ
……それで↑の動画を見て思い出したのが、
ヴェロニカさんも語っていたあの世に聞いた~の人とか瞑想の人とか……ノンデュアリティの女性は知らないです(゜Δ ゜)
私もちょうど二十歳くらいの頃に、
ウン コクサイさんのブログとか本とか読んでいたのです。
あの世に聞いた、この世の仕組み
当時はスピリチュアル界隈では相当に有名だったんじゃないかと(12~13年前)
初めて顔、見ました。
当時ガラケーでブログとか読んでただけなので見た目、知らない。
自称福山雅治って書いてた印象が強い(笑)
そのあと私は神との対話で<マスター>の方向性になっていったとさ。
……だってあれ霊的な探求を終わらせる類の本なんだもん。洋書スピリチュアル本のクオリティ推して知るべしってやつだね(笑)
……なぜ ウンコクサイ なのかと言えば、
クレヨンしんちゃんの映画のウンコクサイとかいう名前の登場人物がなんちゃらかんちゃらで守護霊である“雲さん”と活動名コクサイさんを繋げた名前がウンコクサイ、
ってくらいしか理解してない(*´ Δ`* )
名前ひどいけど相応の意図はあるはず(笑)
雲コクサイさんと今ココ塾みたいな名前でやってた阿倍さん、その二人は知ってるけど
大和田菜穂さん、
当時は全く知りませんでした。
(今も名前しか知らない)
ここら辺で見ました。
↓は過去のブログで使ったノンデュアリティの検索結果なスクショで日付は6月18日のものでした。もう一ヶ月前!
……キャピキャピってしてるの???
まぁそれはわからないんだけど、
“私いない”って知った人間て、
ババババババーっと、
必要な話を終えたと思ったら急に黙る。
みたいな所もあるかなって(笑)
なんだろうね、
その一瞬前までエゴ剥き出しで人間味溢れる感じで話してる表現してる!
かと思ったら、
話はもう終わったよ?
って質感になってみたり……(*゚∀゚)
その独特な感じが分離意識な自己像を重視してるというか盲信してない証みたいな所があるとそういう人間の一人である私は思うわけですよ😌
必要なことは話すし書く。
言わねばならんことも言う!
その時に相応しい質感にもなる、
それは必要なことだから。
……でもその強制力が働いてない時はなるべく無理のない状態に落ち着くしわざわざ不調和とか負荷のかかるリアリティーを体験したいわけじゃないのです(*´ Δ`* )🍵
それが必要と知るのならやりましょう。
望んでも望まなくてもそうなるのです。
だからそれ以外の時はやらないよ★
って思ってる😌
選択の余地があるなら意識の置き方や見て体験することになるリアリティーや在り方くらいは選びますよ☆
……しかし残念なことにまだ未熟な私は非ノンデュアリティで特に分離意識的なリアリティーを表現するタイミングなんかにはノンデュアリティな意識とか認識であることは完全に不可能になってしまうんだけど、
それって時間の中で学び人間で形の世界な自分の練度が上がったら状況や体験の質や種類に関係なく見過ごすことってできるの?
赦しって永続して自然現象になるの?
という部分が全くわからんのです┐(´∀`)┌
それが現状の私。
それが現時点の到達度であり進捗度。
だから基本的に現時点の私はノンデュアリティーする★よりも至福とか楽しさとか喜びとか無限の豊かさとか望んでたり体験してる方が年齢相応のスピリチュアルな活動だと思うし楽しいし満たされるし今の等身大の自分に相応しい分相応でちょうどいい学びなんだろうなって感じるんだよ😃💡
だって、
ノンデュアリティには無限の豊かさも創造者として生きる喜びはあるにしてもそれを表現したり学んだり教えたりするってリアリティーは有り得ないんだから★
だから私はずーっと思ってるんだけど、
ワンネスは光でも、
ノンデュアリティは完全な闇でもあり光でもあるものだから、
形として現れる光を求める間は闇には還れないよなーってそう思うんだよ😁
そう、だから“上でも下でもない全”を選んでやっていくには相応の心得とか準備段階な学びとかがいっぱいあるし、
その1つが転生回数9999な最果てのリアリティーみたいなものだし言ってみればそれは、
過去世リーディングとかを楽しんだりそこから学んでいることと本質的には全く同じ精神世界で形の見方だってちゃんと気付いてるから🌟
二元の世界には上も下もあるし、
そこには無限の豊かさとかツインレイとかそんな楽しく素敵なロマン溢れる愛すべき無限の幻想があるって知ってるから……
だからそれを無理矢理に捨て去る必要なんて全くないと思うし、悟ることノンデュアリティを生きることを目的にする必要って別にないと思うの。
だってそれはやがて帰り着く始まりみたいなものなんだから。それがアルファでありオメガである物を示すってのはそういうこと。
だからきっと私も必要になった時だけオールリセットなものを少しだけ使って、せっかくの舞台と最高傑作の物語を台無しにしてしまわないように絶妙なさじ加減でこの人生と自分を大切にして楽しんでいるし愛しているということがわかったりする。
だから、そう、
今の私にはココが相応しいと思える。
悪夢な世界を過ぎて、
ようやく思い出すことができるようになった探し求め続けた世界とリアリティー。
ここには無限の豊かさがあるし形を滅ぼす必要性もなくなって悪性の幻想ではなく今度は聖性の幻想が現れるようになってくるとても楽しい時期のはずなんだから、
現時点の私がノンデュアリティを選択するってことは有り得ないのですね(ヾノ・∀・`)
自らの有能さや霊的な資質を誇示する必要がないのであれば、別に普通の人間として生きたとしても必ずそこには最高傑作と呼ぶに値するだけの意図や見るべきこだわりや創意工夫や熱意ってのがあるとわかるんだから、
それさえわかったらそんな自分とセットである人生の全体を愛さないわけがないんだよ。
自分を真に愛するのなら世界を愛することは簡単になるんだろうし、自分を真に愛することができたならその自己認識が拡大するだけで愛することになるんだし、
それは別に行動とは関係ないものだとわかるようになるし、誰かや自分が悪意や勘違いした善意によって世界を操っているわけじゃないとわかるのならそれを裁くことを取り止めることはそんなに難しくないとわかる。
それなら、誰も存在してなくて形ある世界は誰の手の中にもないと知ることは確かに解放であり安らぎをもたらすものでもあると知ることができるに違いない。
……それなら、その視点や理解から望むことができる本命であり隠されていた可能性に思えたものこそを知りたくなるじゃん?
それこそが新たな世界でもう1つの人生を体験するってことならいいなって、
私はそう思ったのでした☆
だから“わかんない”を受け入れることは実はとても楽しく価値のある素晴らしい始まりの実感とか呼び声だと気付くことができたような気がしたのです。
だから私は真にノンデュアリティに目覚めた者は決して創造主として生きるとか至福の世界を創造するとかそんな言葉やリアリティーを認識しないから表現するわけないと確信した上でだからこそ安心して楽しむことができるようになって良かったなぁ~って思うのでした( *´艸`*)
それが神聖なる幻想、
私がディバインマジックと呼んだ概念。
それが現時点の私に相応しいリアリティ。
遥かな高みに達することを目指すだけじゃなくてその過程も心から楽しめるようになったら本物だわね。
そんな言葉で伝えられていたメッセージや直感が理解できるようになった時、私はこれまでの自分の全てが報われた気がしたのです🌠
だからこの人生と自分は使いこなせたらすごく楽しいのは間違いないから、真に自己の資質や最高の使い方を知った者が必ずそうするように自分を愛して楽しんで活用したり体験していけたらいいなーって思いました😃☀️
だからきっと私はこれからも上とか下とか真ん中とかに行ったり来たり消えたり現れたりしながら楽しんでやっていくだろうなって思えてとても安心したのだとわかりました🍀
それが帰るべき世界のリアリティー。
安心安全でいつも明るくてだからこそよく眠れる本当の自分の世界。
私はもっともーっとそういう喜びや楽しみやプラスの豊かさを体感して実感して学び成長していくのが相応しい時期の者なのです。
だから基本的にノンデュアリティーできないし必要ないって知ってるんだよ。それが今この瞬間のあるべき自分の形でありそれに相応しい意識や感覚だから🌠
きっとそれが今この瞬間ここですべてを束ねること、神聖なる私に目覚めてゆくことに繋がってくんだと思える。
……気付いたら既に道は現れているというのはそういうことなんだよ。だからまた必要な時にその道の続きを知っていきましょう👌✨