全く異なる自分と世界観を認識できるようになって更にそれらを1つにできたなら??? | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

今日も暑かったですね。

体感としては34℃越えると創作活動もブログを書くのも難しいと思います💦





そして日付が変わる頃に涼しくなる、と。




夏は大変ですねぇ~。












それで今日はこういうことをしてました。








上が精製クリスタル、

通称ディバインクリスタル


下がアンダラクリスタル。








こーゆーことをしてると思うのですね。



これ、ゲートを開くとかカギとかそういう類の物なんだろうなって。




……そうですねぇ

"クリスタライズ"という言葉を使うようになった頃からそのように感じるようになっていたのかもしれません。


何て言うんですかね、

たぶん平行世界的な物を認識する感覚自分が今ある世界を現実とする感覚や意識ってのは方向性が全く違う物なのだろうなと思うのです。



そしてその一つの平行世界に囚われた者として生きる世界観をマトリックスと、だいたいそのような意味で私は認識しているっぽいのですね💡




そう、それで、

このクリスタルは完成された後に"起動"しなくてはいけないのですね。そうしないと化石化してるんじゃないかってくらい効果を発揮しないというか、本来持ち得る力よりも圧倒的に弱く低いエネルギー密度の働きに留まってしまうのですね🔒️





そしてその起動の手順ってのがいくつか種類というかプロセスや分類があるように私には思えるのですね👁️





例えば上の画像は、
焼き入れみたいな、日光に当てて太陽のエネルギーだとか波動だとか属性だとかを付与するようなイメージのプロセスです。



……私は長年このようなやり方は中二病丸出しだったり"本物の技"を持ってない素人がマジックアイテム錬成の真似事なんてするもんじゃない!!とか思ったりしてきたのですが、



そもそも形のレベルとは関係なく、いくつもの次元や平行世界が重なるように存在していることを知覚する意識や感覚などを使って見る世界という物があるのだとしたら、


実際には"おもちゃ"を使って"ごっこ遊び"をしているのと変わらないとしても、それである領域や層では何かしらの反応や働きかけが行われていたりそれを認識したり目撃することができたのだとしたら、


それこそが"現実"になるのです。





これは、多分アレなのですよ。


高度に精神世界的な世界観を認識するためには基本的な物質世界的な認識という物が完全に外れている状態でなければならない、



というようなものだと思うのです👁️






これに是非を問うつもりはありません。


しかし、

これらを段階的かつ複合的に行うことによってそれらに現実味を持たせたり現実と同じ物として認識することができるようになる。







そういう事なのです。



物質的肉体的制限のレベルを見ているのであればそれらは全く不可能だけれど、また別の波動やエネルギーなどの、やや形の無い領域に意識を向け認識することができたならその領域での法則性やルールを知ることができるようになるのです💡







これを今の話に合わせて説明すると、




特定のエネルギーや波動や性質を持つように意図されて作られたアイテムを、


その意図されたイメージやビジョンという物に現実味を持たせるような作業工程や働きかけを行うことによって、

"儀式"として認識したり論理的な整合性を持たせることで本来持ち得る創造力を部分的に解放し扱えるようにする魔術的な鍛練のプロセスにすることができると考えられる。







ということです。




要は、


ファンタジックでマジカルでイリュージョンな世界観の法則性や力が現実の物であり得ると認識させることによって結果としてイメージに過ぎなかった力を具現化するという試みが可能だということです。



だからこれは非常に魔術的な思想でありプロセスだとも思うのです。

(毎回書くけど、今生の私は魔術なんて物は習ってないから知らないんだけど)






そしてこれらが2つの分類になるのです(?)



一つは形あるレベルでの儀式

もう1つは波動を呼び覚ますこと。




これらをどちらも達成することによって相応しい素材を使って作られた器であれば、本来意図されたエネルギーや性質を波動レベルで持ち得るマジックアイテムになる🌟  



という理論ですね👌✨




なので"作成および起動"までを済ませて完成させるためには、


儀式や精製の知識やビジョンやイメージを象徴するに相応しい加工工程や手段を選ぶことができる知識と、


イメージだけでなく、それらに相応しい器となるように意図された素材や意味やビジョンを正確に理解し、その波動を呼び覚まし自らが完全に認識するビジュアライゼーションと波動精製の力、




これらが必要になるのです。




だから、

もしかしたらこれらが完全に成された時には


例えばこのようなアイテムが形のレベルではやっぱりおもちゃにしか見えないとしても、




精神世界的な領域や平行世界を捉えそれらを現実として認識する者からすれば十分に平行世界を開いたり閉じたりするカギとなるに相応しい物だと実感できる物かもしれないのです。





ここでまた1つの"壁"が出てきます。


🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️

……しかし面倒なので今は保留で(笑) 

🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️🔒️❗







というのが1つ。



もう1つは、




自分は既に、いわゆるワンネスの原理を用いて自分でも他者でも同時にでもヒーリングが可能だという事実です。


少なくとも能力的には可能です。

むしろ既にこれだけ霊的な法則や知恵が理解されているのに不可能である理由は有り得ないのですね(ヾノ・∀・`)



理由があるとすれば、



"自分に相応しくないから"



という物なのでしょうね。


神聖さと聖性による祝福を拒絶するのは内側にある恐れが原因です。




そして私は理論家でもあります(笑)

↑↑みたいに魔術的な思考プロセスを延々とこねくりまわし語ったりし続ける中でやがて自分に相応しく一致していてそれなら自分にもできると感じられるような物が見つかる瞬間がやってくるのです。



それが習得の感覚なのだろうと。








というわけで私が理解したのは、



ヒーリングや癒しの技術や原理について深く真剣に考えたことがないから自分の覚えられる技としてのヒーリングや癒しの力の使い方をまだ知らない。



ということなのです💡






だから、それをやれば上達するし、


独学で飽くまでも自分のために最適化された技術や方法論として覚えることができる。




……誰かが自分にとっての正解として創出された方法論が万人に通用する物であるわけがないのだし、私みたいに精神世界やスピリチュアルと対局にある意識を行ったりきたりするような人間には、そーゆー中間的な世界観やリアリティをも包括して調和させるような考え方が根底に必要なのです🍀



だから誰かが作ったマニュアルをそのまま当てはめようとしても目的意識や性質が違ったら無理があるだろうなと密かに思っていたのでしょう(笑)



私は精神世界やスピリチュアルという物を必要とする自分を深く恥じたり長らく持て余し続けてきたのですが、ここにきてようやく私が安心してスピリチュアルや精神世界を語り愛せるような捉え方が見つかったのです。



それは、



"愛すべき最高のファンタジー"として愛や夢やロマンやトキメキなんかをすべて詰め込んだ概念として見ること。



それが現実なのかどうかと問われれば、

私の基本的な立ち位置からすればそれらは現実ではないと答えることになるので、現実ではないと感じている物を生き方の軸や目的にすることは不安すぎてできないのです。



だからその時の私はスピリチュアルをひどく恐れることになってしまう。



そうするとそれらを愛せないし楽しめない。

実際にそれらを学んだり活用することが必要なのに恐れてしまう……それはまるで呼吸することで吸収される酸素が猛毒になるかのような状態なのですね精神的なレベルで💀



だからそれはとても苦しいのです。

恐らく生き地獄みたいな感覚でしょう。




だから飽くまでもファンタジーとして楽しむのです。どこまでも本物みたいでリアリティも実感もあるけれど、軸は違うところにあるのです。



 



その時に初めて私は、この記事で書いてあるような話を自分の物として表現することが恐ろしくなくなるのです。



だからこれこそが探し求め続けていたスピリチュアルを恐れずに生きる術だと言えるのかもしれません🗝️






この記事はそのような話だったと考えれば整合性がとれます。それはとても無理の無い自然な状態でもあるのです。



そしてそれ以外のレベルや領域では、


このような表現や行動を自らが行うことによって平行世界を開いたり、それらに対して働きかけたりするという目的のプロセスでもあると言えるのです。


私にとってはそれが精神世界です。



だから私はこれら2つの全く異なるレベルや視点をほとんど同時に自分の物として認識し調和させることができるようになった時に初めて自分という存在の全体像を垣間見ることができるようになる、というような設定にあったと考えてもいいことでしょう😌🍀



だから私はそれを可能にするまでは自分らしさという物を既存の枠組みの中では見つけられずひどく混乱することになったのです。    





だからこれが私のカルマであり呪縛でありどうしても私が霊的な覚醒を必要とする人間だった理由と言えるものです。


そうしないと自分がわからないのです。



それがどのくらい不安で恐ろしくて耐え難い物であるかを人間は誰しも知っていることでしょう。






……さて、



それなら私は、

ファンタジーを売る人間として生きることになるでしょうね(笑)





これらもそうです。

私はこれらに対して意図した波動といった物がどのくらい再現されているのかを製作者として知ることができる。




製作者だからわかるのです。


どの段階までは力のない器だったのか、

どの工程やプロセスを経て力を持つらしいアイテムになったのか、



……しかしわからないこともあります。

それは、



どのくらいの価値や力を持ち得る物なのか?



ということ。

基本的に私が作る物はアップデートが可能という概念で、使い手である者の進歩や成長による波動の変化に呼応して、それらのアイテムもまた更なる力に目覚めそれらを固定化させるという性質を意図しています。




"そうでなければおかしい"と私が考える人間だからでしょうね(笑)




人間は常に学び進化する物だし、

あらゆるレベルでの体験により進歩してゆく霊的な存在なのですから、



当然そのような者が扱うアイテムもまた同じように霊的な性質を宿すに違いないのです。少なくとも私は自分をそのように認識しているので私が作るアイテムはその意思を写し出す物でもあるのです❇️




そしてこの波動の保持や共鳴というのはクリスタルの基本性質でもあるのです。



そして上記のような魔術的な理論によって私が"これはクリスタルだ!"と認識する物である限りはそのような性質を少なからず投射することが可能だと考えられるのです💡







私の作品づくりはこのような概念やロジックによって形作られています。


もしもこれらを理解していないのなら仕上がるのはただの模造品でしかない。

それは私が"空の器"と呼ぶ失敗作……というより単純な未完成品のことなのです。





そしてこのようなロジックやビジョンによって同じように物を作る人間というのはかなり少ないと思う。

それゆえにわかりにくい(笑)


絶対的な少数派というのは理解されにくいしそもそも理解してもらえるまで長い時間を要することは自分自身のことを考えたとしても間違いないのだから/(^o^)\







私の作品にはこれらの概念が込められているのです。見る者が見ればそれらの情報が流れ込んでくるようなアイテムなのかもしれませんね( *´艸`)



そして見た目には綺麗なおもちゃです。





私ができるのは"ごっこ遊び"だけです。



模造品でごっこ遊びをする……それは遥かな高次元で行われる遊びの下位互換みたいな物ではあるけれど、一瞬にして完成してしまって全く余韻も達成感もない世界とは違うという良さもあるのです👌✨






そうして私がこれらの理論や原理について真剣に考え始めるということは、既にそれらを習得したり理解可能になっているということの証拠でもあるのです💡







私はワンネスの愛と光によるヒーリングの原理を教わっているからそれを使える。


私は分離の幻想を取り除くことで癒しを起こしたりトランスパーソナルな視点で自分と誰かを同期して癒したり整えることができる。


私は霊的な叡知を得ることによって自らに聖性や完全さを取り戻すことによってすべての存在を等しく同じように見るという技術をそれなりに理解しているからそれなりに扱うことができる(笑)







そして思う。





ヒーリングをする動機がない。



 


……方法論なんていくらでもある。

それを使えば効果があることも知ってる。  



しかしそれらもまたファンタジー。

そしてそのようなやり方それ自体を特に愛してもいない。だから行わない。








さて、そこで私は理解する。





癒しや愛を呼び覚まし目覚めさせるためには私の内側に眠る愛を呼び覚まし焦点を結ぶための鏡となってくれるに相応しい存在が必要なのだ……。





……愛する者が望むなら答えよう。

自分が願うならそれに答えよう。



そうでなければ認識できない。





私にはヒーリングを行う動機が足りていないと言うことができるのです🍀




他者をそのような形で癒す意義とは……

"私"がそれを行わずとも、自分でできるようになった方がよほど良いのでは……???







そんな私がヒーリングを行う理由は1つ。



誰かに提案され答えたいと思った時。

それだけ。






私は霊的な修行の成果で力は十分にある。



……しかし、それゆえに自らの我により何かを成そうという意思も大部分が消え去ってしまったのである!(ヾノ・∀・`)ナイナイ






そんな私が"こうなる"のも必然。


私だけではこのような状態が延々と続くのだろうね。







ここで、私は理解する。

本当に愛を呼び覚ますに相応しい、全霊の愛を望ませるための誰かの存在や協力という物が自分には必要だったのだと。








ツインレイとかね、

意味はわかった気がするんだけど、


わかったからこそ実在が無いとその概念は全く使えないんだよね。






これはちょっと退屈だなぁって思った!!