自分にとっての物づくりの原点となるような、
……
それらがエリシアンワールドプロジェクトと呼ばれた人生全体の指針となっていったような、そんな記憶を私は思い出していた。
そして多分それらは、
1つの形として終わりを迎えたに違いない。
きっと私は二十代の始めに夢見たそれらをあるレベルにおいては実現したとわかる。
そしてそれらも1つの時期と過程だった。
そういうことなのだ。
そして私は、
その夢であった想いやビジョンの続きを見ては居ない。
今の私は、
しばらくこのような意識状態で過ごし続けてゆくだろうし少なくともここに現れてくる私とはこのような楽しげでも喜びに満ちた感じとは程遠いような想いや表現なのだろうとわかる。
実際、私には特に将来の夢などといった物は無かったのだ。
それらは無味乾燥な人生という意味でも、
全く逆の満たされているからそのような特定の形を必要とはしなかったという意味でも、
私はあまり活動や生き方としての目指す形という物は持たない者だった。
……そんな走馬灯とまではいかなくても、
過去の記憶や想いのような物が心に現れては消えてゆくのですね。
私は過去の自分を否定すべく生きて、
それゆえにそれらから全力で逃げたとも言えるし全く逃げること無く力いっぱい闘ったとも言えるのでしょう。
そしてそれら"抵抗"であった物が、
必要の無い物だと知るのなら、
もしかしたら私は過去に選べなかった自分を生き直すことができるようになるのかもしれないとも思わなくもないのです
……"思わなくもない"というのは、
でもそれでも私が果たすべき役割というか立ち振舞いというか立ち回りというか、自分はそのような人間でありそのような思考や行動をする者だという基本的な役回りから完全に外れることは不可能であり必要ではない物だという直感もあるからです。
たぶんこれは認識してもしなくても変わらないような部分の話です。それゆえ状況や立場によっては気付かない方が幸せだと感じることもある物でしょう👁️
しかし私はそれに気付くし認識してしまう。
見える物は見えるし、
見える以上は有ると感じられる。
……そういう意味でもまた、私はこれらの観念的な物について一定のレベルで直面しながら答えを出し続けてゆくことが必要なのです。
もしも世の中の多くの人間がそれらを認識するような世界であったのなら私はこれらについて特別な意味や違和感のような物も持つことはなかっただろうし、こうして深く洞察することも無かっただろうなと感じます。
それが特殊であり、どのように扱えば良いのかがわからないからこそ深く考え理解することも可能であるので、そのような少数派的な場合によっては異端くらいに見られるような性質にも光と影な側面があるギフトの1つであることに変わりはないということを私は十分に知っています🍀
そしてこれらを知ることによって変わる物と、
それらを知ったからこそ変えない物……とでも表現すべき物がこの世界にはあるのです🌃
たぶん、共感する者は共感するし、
それを見ない者にとっては自分は持っていないはずの霊能力的な話をされるくらいに理解しがたい物なのでしょうね( *´艸`)
そうですね、
もしそうなのだとしたら、
"そーゆー話"はなるべく見える者同士でするのが望ましいと言えるのでしょうね😌
しかしそれを理解したとしても、
何かしらの引力や抗えない力によってこのような話を延々と書き続けてゆく私という存在は相応に十分で必要な理由があり、それを私個人は別に望んでいるとは感じないけれど実際には行うという意味で、
これらのスピリチュアリティのようなノンデュアリティのような悟り関連みたいな話を表現し誰かしらに伝えてゆくことは役回りなのだと実感しています。
だってこれらの情報自体は私は間に合ってるし
ここに書く必要がなければ自身の内側で知られた感覚的な叡智や直感としてわざわざ開示することなどしないのですから😁
だってそんなことをしても、
私個人には特に意味は無いのです。
もしあったとしても、
目先の違和感や苦痛さゆえに避けます。
避けられるなら避けたいという想いや衝動は当然のように私も感じることなのですから。
であるならば、
私はこれらに必要以上に抵抗したり苦痛を感じたりすることは可能な限り控えた方がいいのだろうと思うのです!
……そしてそれを理解したとしても、
この場では書かれるべきことが現れてゆくことは間違いなくて、その時々で書かれることに相応しい認識や波動や体感に切り替わることもまた必然であり不可避だと知ることになります。
さて、
ではそのような"制限"の中でどのように無駄に苦しまずに存在できるでしょうか?
……みたいな問いかけがこのブログの裏テーマみたいな物なんだと思います(笑)
これを理解できなかったり、自らの経験が追い付かない場合には"訳もわからずに望まない方向性へ凄まじい力で引きずり回される"というような体験をすることになるのです。
これは何を"させられる"としても同じことです。
就労していて仕事に行くでも、
就労してないから仕事に行かないでも、
全く避けられないのですね( *´艸`)
人間では抗えないような謎の凄まじい引力や強制力みたいな物に突き動かされ実際にはそれを行うことになるので、
抵抗の余地はありません。
ありません。
それは必要ないからです。
私はもうそれを抵抗も虚しく無理矢理に経験してきた人間なので実体験としてそのように表現するのです。私にとってはそれが現実です。異論は認めるけど私にとってのリアルは変わりません💥
よってこのような話を体感として"理解できるようになってしまった"人間にしか私は伝えるつもりはありません(笑)
……そんな人間そんな多くはないとは思うけれど
全く居ないということもないだろうし、
そういう者たちってのは少数派ゆえに同じような要素を持つ相手には気付くもんです。
ってゆーか、
少数派ゆえにそれぞれが果たす役回りの重要度というか密度が高いのは間違いないのでお互いにそうだとわかるようにしておくことはタイミングによっては超重要です。
それを直感的に悟った私もたぶんこうして割かし積極的にこのようなメッセージを残しているのだろうなと思います。
……そう、
これはメッセージを発信するというよりも、
メッセージを残している
と表現する方が正しいと思うのです。
そういう意味では、これが書かれ公開された時点では本当にそんな情報や記録を必要とする人間なんて居ないかもしれません(笑)
しかし"私がこれを書く"ということが可能なのは今このタイミングを除いて他に無いのです。
(ヾノ・∀・`)無いよ。
私は個人的には自分は時間を持て余し生きあぐねてばかりいるようなかなり暇な人間だと思っているけれど😆💥
しかしながら全体の計画だとか宇宙の意思的なレベルから考えれば
私が自分の役回りとして果たすべき行動や残すべき結果のために連綿と動き続けている
ということがわかるもんです🌠
そしてそれに例外はありません。
異論は可とします。
(それは全く私の考えとかじゃないしっ!!)
だから私もこうしてメッセージを残すのです。
そんな物が本当に必要なのか?
とか思うことは日常茶飯事ですが、
しかしたまーにそれらが完全性を保ち自分自身を守り導き救うものだという感覚が戻ってくることもあるのです。
たまーーにね?( *´艸`)
そういう意味では私は賢いのでしょう。
なぜなら積極的に学びを求め体験を重ねる中で実体験として理解してきたことだからです。
人間が何かを学び習得する上では時間が必要なのです。瞬時にそれを成せるのであれば、それはもはや人間の枠組みに入れる必要ない物です😂
私個人の認識としてはこんな現時点では誰にも必要とされてないしだからこそ役に立つことなんてないしそう思えるから苦痛にさえ感じる!!
このような記事を書き記して公開してゆくというのは狂気染みていると思います(笑)
いや本当にそう思う!(*゚∀゚)💥
しかしながら、
上記のように、
自分の限られた視点や立場や認識を越えた全体的な見方をするのなら自分がしていることには実に充分な価値と必要性が確かにあって、
それに気付くことによって他の誰かや個々として存在しえるすべても等しく必要性と価値があるのだというなんかすごい明るい感じのビジョンとか予感みたいな物を感じられたりするのです👌✨
……そうですね。"コレ"です
この、すんごい明るくて視界も世界も急に明るくなって全く違う世界に迷い込むような、
そんな感じのをかつて自分は宇宙意識と呼んでいたし実感していたんだなということを思い出したのですね!!
そして私が完全に見えなくなっていたのはそれだったということを数ヵ月ぶりくらいに前日の夜に思い出したのです(*ノ・∀・`)
そして私は理解しました。
"あぁこれが赦しのプロセスだったのだな"と。
それにより、
存在する誰かという存在が何かしら恐ろしい影や敵みたいに無条件に感じられる状態である非常に強い分離の幻想と悪夢を見ている感覚が和らいだと感じられたのです☀️⸜(*′ ꒳ '* )⸝💖
いやはや、
あれこそが分離意識なのですね!!
存在するすべてが影のような何か怪しくて怖い影のような何かぼんやりした悪意みたいに感じられる状態!!
それが分離意識なのですね!!!(*゚∀゚)
それから光が射してきて急速に意識が浄化されてゆくような体感というのは神秘体験のようでとてもわかりやすく衝撃的で馴染む物でした(*´ Δ`* )💖
という感じで、
私は少しばかり影や闇ではない物を見ることを思い出したのですべての人間や存在が脅威や敵意や厄介者ではないことを思い出したのです!!
……つまり言い換えると、
すべての人間は警戒すべき対象でしか無かったということなのです。もちろん自分含む★
……そんな状態で誰かと繋がれますか。
そんな世界で心を開けますか。
そんな世界で何を信じられますか。
そんな自分で何を求められますか。
私が他者との関わりを避けるのはそれが理由だったのです。
強烈な分離意識の中で可能なのは、
とにかく恐慌状態に陥ったり混乱したまま動き回ったり何かを判断しないことでした!
実際、それだけが可能だったのです。
……ということを理解するなら、
このような色と意識とは、
決して目覚め得ぬ悪夢の中にあって、
それでも本質と直感と洞察を止めないという極限の集中によって持ちこたえる意志と在り方!
を象徴していたのでしょうね💡
………………これが難しいのなんのって。
経験者ならわかるよね?
ここに書かれる意味内容が理解できる同士ならわかるよね?(笑)
これは"自称悟り目覚めた人間"なら必ず体験することになると思うのです。
なぜなら"知ったはずの真実"を現実として反映させてゆくことが必要になるからです。
何て言うんだろうね、
本当に、文字通りの意味で、
絶対に勝てないと悟って、
闘ってはいけない相手と悟って、
どのような状況下に置かれても、
どのような体験をしたとしても、
それでも闘わず抵抗しない意思を証明する!
みたいなやつ!!!!
まさにそーゆー感じ!!!
これが難しいのなんのって………………
極限の闇な幻想と化した世界で、
自分も含めてすべてが闇や影の側面ばかり見えるような意識下で、
それでも恐れずに闘わない!!
恐れを感じてもそれは決して真実でも現実でもないただの錯覚であり悪夢であると自ら望みそれを在り方によって証明する!!
………………こんなの難しくないわけがない。
だって『何もできない』んだもん。
知ったはずの叡智も、
繰り返し学ばれたはずの霊的な法則も、
その時には曖昧な記憶に成り下がり、
一応選ぶことは可能だけれど
それを選ぶことさえ全く容易じゃなくて選んだとしてもすぐには思い出せず使えないし、
むしろそういう状態だからこそ非現実的にしか思えないような在り方という1つの可能性でしかなくなってるんだよ。
……なんなんだろうね、
その、絶対に勝ち目のない闘いに、
しかも全く逃げ場のないようなコロシアムにでも放り込まれるような気分から必ず始まって、
そこから正気を取り戻していけと、
敵にしか見えなくなってしまって完全な疑心暗鬼に陥った自分から始めて、最終的にはすべての存在は敵ではなく仲間であり自分と同じものなのだと思い出せと。
………………そんなの難しすぎるでしょ。
投影と闇の体験を純度99%にするみたいな、
本来の自分だとか自然で受け入れられるような感覚とかもほぼ完全に思い出せなくなった上で、
そこからすべて忘れてしまったような状態から再び選び直せって言うんだから、
それまでの必死の学びも体験もそれらを通して知ったはずの信頼も叡智もほとんど引き継げず、ほんの少しの予感と光と、
そしてそれを選び取るというのは何よりも自分にとって難しい道だという理解と……
そんなの難しくないわけないよね!?😂
わかるよね?
スピリチュアルやってる人間ならわかるよね?
体験するよね?
理解が深まるほどに試されるよね?
そうだよね?
難しいよね?
こんなの簡単なわけがないんだよ、
すべてのあたたかな想いや記憶がひっくり返ってとにかく寒くて暗いよそよそしい知らない異界に迷い込んでしまったような、
自分だけが知らない悪夢のような世界に放り込まれてしまって誰も知ってる人も頼れる者も見つからないような耐え難い孤独感や絶望感が、
わかるよね!?
わかれよ!!
………………それが、私がいつしか迷い込んだ世界であり、人間として生きる者が多かれ少なかれ体感することになる分離意識というリアル。。。
そしてそのような、純度99の悪夢の中にある状態であらゆる影や闇や悪や脅威や恐れである物を見過ごしてゆくことで、それらは無害であり実際に全く関係ない悪い夢だったと知ることができた時にすべての現実と信じた悪い夢は消え去ってくれるのです。。。
そうこれがマスターとしての学びの1つであり
マスターであるためのたった1つの学び
みたいな物なんじゃないかなって。
違うなら違ってくれて構わないけど、
知ってるなら教えて欲しいもんだわね!!!
これらの視点がないと私の本当の人生は成り立たないのです。