『幸せな川下り』の人生への招待状は内なる女神の中に☆/……だから『女性が先に目覚める』のですか? | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

5月も半ば、

もう完全に冬も終わったとわかるような気温が続くようになってきて



そして私は、去年とは違う感じで過ごしているのだとわかる。



それは確か……2年前がそのような時期として過ごした記憶があるような、内側を見ながら飽くまで外側に意識が向かない程度で自らの可能性を模索するような、そんな日々。



それを意味がないとか価値が無いと言ってしまうのは容易いことだし……たぶんそれを選ぶってのが今までの自分がずーーーっと無意識にでも自らの意思としても続けてきた生き方の根底にあった物なんだろうなって。



実際、この人生も導かれる方向性や進みかたも無意味でも無価値でも無いということはよくわかってる。

ただ、それは一筋縄では行かないというか、単純な正攻法だけでは通用しない二重底も三重底もあるような深みのある人生というか(笑)



真剣に理解しようとしなければ、安易にそれを知ることを投げ出したくなるような世界観や設定で束ねられてることも確信してる。



だからそう、

まずは自分自身がそれを理解することなしに、それを誰かに認めてもらうことってのはできないんだし……そう、


実際に『自分を理解しないままに理解される』というのは耐え難い苦痛を味わうことにもなってしまうから。




だからそれを自分自身に求めなければならない……

まったく私とは、実に因果で面倒な人間だとも思うよ(笑)



そしてそれは、並大抵ではない独特な人間としての深さであり、正しく評価されるのなら魅力として知られることになるもの。



異端として反逆者として生きるか、

唯一無二の威光を示して生きるか、

自分のための世界を創造する者として生きるか。




誰でもそのくらいの選択肢ってのはあるもんさ🍀





この人生は、一見して何ものにも縛られないような生き方を満喫しているように見えるし、実際に3次元的な制約や枠組みが取り除かれるほどにそのような生き方になっていくのだけれど、


しかしその結果として選ぶのは最善であり必然であり自然な在り方なのだよ。




『新しい選択肢をつくる』ということを選ばなくなるんだ。

もう完成してるというのに、何を足りないと言うのか?




その『足りない、完成していない』という想いがこの世界を形作らせる物だし、それこそが苦しみの根源でもある。

それなくしてはより進化し変化しようと望むことは無いのだし、それに囚われてしまっては不完全さに苦しむことになってしまう。



だからそれらを苦しまずに楽しむためのバランスを自らに見つけ出してゆくことこそが幸せな人生のためにはとても大切だと言える。




そして、そのような視点からそれまで見ていた世界や自分を見つめ直す時に初めて、やがてその真価に気付いた遥か未来の果ての自分と同じような景色が見えるようになったりする物さ。



実際、今の私が見てる外側の世界ってのはとても穏やかに感じる。それをずっと感じてると時間が止まりそうなくらい(笑)



それでも、私の世界は完成していない。

『まだ足りない物がある』という想いに私が気付く時、それを自分が得るための道が新たに作り出されることになる。



そしてその時、永遠に思えた静寂は破られ、

『まだ満ちていない想いや願いを現実化する』ためのプロセスが起こってくるというわけ。



だから私は、自らの願いのために、完成されたはずの世界を離れ、未完成の自分と人生を進むことを選んだということなんだ。


それを無意識に選んでも、

非常に無意識に近いレベルで自らが選択したのだとしても、


その後には、それらの願いを妨げることになっている過去のすべてが解き放つべき物として浮かび上がってきて、その静寂や一時の永遠は思い出せなくなるから、



『なんでこんなことに!?』




という想いを味わうような現実が起こってくるというわけ(笑)


結局、望んだのは自分。

望んだすべてがあるわけじゃないけど辿り着いた穏やかな世界を捨て去ってでも、それらを選んだのは自分なんだよ。



そしてそれは完全さと静寂の意識の中で起こる波のような想い……その波紋がすべての現実を作り出してゆく。




だからそう、


新たな願いに気付く時、

その静寂は破られる



ということ。







そうして自らの世界には心の中で生まれた波紋が広がり、望まれた現実へと続く道が起こってくるということなんだ。



何て言うんだろうか?

もしもその瞬間を、永遠の記憶が破られ新たな道が作り出されその中に自分ごと放り込まれてゆく瞬間を『目撃する』ことができたら、その後に不可避として強いられることになる場合によっては厳しい変化と拡大のプロセスも自らが選んだ可能性に相応しいものだと受け入れることは決して難しくなくなる。




それは確かに『自らが選んだ物に相応しいもの』ではあっても、


『それ自体は自分が選び決定した物ではない』と気付いて完全に理解して居られるという不完全さを越えた在り方でもある。




もしかしたら、ここがすごく難しかったのかもしれないね(笑)





確かに、願った現実へと辿り着かせるための道が現れたのは確かなことで疑うことは必要じゃないし、そんなことしない方がいい(笑)



でもそれでも、

『それは自分が望んだ特定の形じゃない』というのも事実なんだよ🌃







だってそんなことできないんだから😆





だからそれが理解できない。

そしてそれは、とても理解しにくいし、


理解できるタイミングになるまでは絶対に理解できないような仕組みになっていることでもあるのかもしれない(笑)





さて、それを理解するまでにどれほどの人生経験と霊的な学びの達成を必要とすることでしょうか?





とか私が言う類の概念てことだね😁⚡






しかしそれは見方を変えれば幸運な事でもある🌟



それをイメージすることができるなら実現は不可能ではない




という言葉が示すように、



『それが見える限り』は、そのための道があると言えるから。





だからその間は、進み続けられるんだよ。





だからそう……私みたいな『無限の豊かさを知りたい!』とか『無限の創造力を手に入れたい』だとか、そんなけったいで『手順もプロセスも自分では全くわからない願い』であったとしても、



それが意識のレベルで『願いとして認められる』だけで!



そのための現実が起こってくるんだよ。

この世界ってのはそういうもんなんだよ👌✨




……ただ本当に、その願いが大きい物ほど手順やらプロセスってのは長くなる。







『関係者が存在する願い』ってのは、自分の都合だけでは動かない。



(……そしてこの世界において、自分一人だけで実現できる願いなんて物はまず有り得ないんだろうなと私も薄々気付いてる(*ノ・∀・`)






……そういうことに気付くほどに、


『世界を変えようとすることは自分には不可能だし必要ない』という意識に目覚めてゆくことでもある。



何て言えばいいのか、



本当は何が願われていて、
そのために何が起こっているのか?




ただそれを知るだけで、あらゆる問題と信じていた物が消え去るから。




……その上で呼び覚まされる完全な記憶と安らぎの中で、それ以外の苦しみや苛立ちを自ら選ぶことは不可能だと思う。




だからそれで問題は消し飛んでしまうというわけ









うーん、

そういうことだから私も、全能の力を求めなくなったと言える。



それは、何て言うんだろうね?




無いわけじゃないんだよ。

むしろ有るんだよ。


それは世界が裏返しになってるような物。



すべての正しさが間違いに見えるような、

すべての完成された世界が不完全さそのものと感じるような。








……うーん、


そして私は、


それを知った上で何をどうして自分としてやっていこうかと……そんなことを考え始めてもう何年経っただろうか(笑)



『それがわからない!』のなら、

心の中に起これ無意識の波や感覚に導かれて進むのがいい🍀


そしてその途中で、引き寄せの法則や現実化のための方法論として知られている物を活用することで自分の本命を見極めることができるようになってゆくから。





🌠


……目の前に現れるすべての現実を、運命や宿命を呪縛として受け取らずに、それらこそが自らを望んでいるとさえ気付いていない場所へと運び届けてくれる導きであり祝福の道だと知りなさい。



すべての現実を闘うべき対象として見ずに、

心に顕れる願いや意思が映し出された物だと気付きなさい。


その時すべての形ある世界の存在たちは、

必ずあなたの味方となるのですから。




あなたが望んだのはそっちじゃない?(笑)






🌠







……これは、なんというか、


『心の波として存在する』

ような感覚でしょうか。





その時、この形ある世界を流れ漂い、

そして目的地へと運ばれてゆくことができるのだと。




真に望む物とは

流れに逆らい目指す『上』ではなく

流れに運ばれて辿り着く『下』にあるのだと




そういう『幸せの川下りな人生』の話が示していたような物のことなのでしょう😌🍀




……あぁ、そうですか。

それを理解するためには女性性の感覚やエネルギーを自らに受け入れ呼び覚ますことが必要だったのですね。


その時、男性性とは……自分のためだけに存在する形成す神として存分に自分のためにその力を発揮してくれるようになるのだと、そういうことだったのですね。。。🍀



そのために自分が、

完全に愛される者となることが必要で、

その愛を受け入れ受け取り与えさせるに相応しい女神


でなくてはならないと……(笑)😆💥




そういうことだったのですね。




(というわけで今回のタイトルに。自分で書いて爆笑しました😁)





長年の疑問が解けた思いです!!

長年の疑問が融けた感覚です!!

長年の疑問が説けました!!




まさにそんな感じっ(*´ Δ`* )♨️