『自分は何も持っていない』という認識は、もしかしたら焦ったり苦しんだりするような物ではなくて、もっと楽しんだり期待に胸を膨らませるというものだったのかもしれない……
そんなことを感じている。
そして私は度々『始まりの季節』みたいな時期には同じようにそれを感じている。その感覚に照らし合わせて考えると、私はその時期はとても得意で大好きなのだろうと思える。
そんな私は春が好きなのだし、自分の生まれの頃の季節が一番好きだというのも十分に納得できる理由だと思えたりする(笑)
それにこの『何も持っていない自分』というのは妙なもので、それは同時に『今この瞬間を初めて生きる』というような感覚でもある。
過去にはそれなりの出来事や経験があったのかもしれない。しかし私は当然のように完成などしてはいないのだし、もっともっと見たいもの知りたいこと手に入れたい世界というビジョンやインスピレーションというものはいくらでも湧き上がり心に満ち満ちてゆく物だから。
そう考えた時に『自分はまだまだ未完成で志半ばで、自分がこの人生の中でどこまで到達することができるのかを知りたいと感じている』という想いと言葉は、それは十分に期待であり希望なのだと思い直すことができると思えたんだ。
だからなのか、私はその、とてもとても懐かしい景色……自分が常に自分として存在して、誰でもない自分だけで存在している中でも感じられる安らぎと喜びのようなものを思い出していた。
これを感じるのはまさに10年ぶりということになるんだね(笑)
それは自分だけで満たされ存在している状態だから『隣に誰か居る』状況だったり、誰かに執着していたりする時には成り立たないんだと思う。
それに、たぶんそれこそが私の心の元風景とでも呼べる物なのだし、なんかその心の世界には人間っていう感じの人間は存在してないんだね☀️
そしてその感覚は、それを忘れてしまっている時に感じる世界の質感や波動やリアリティのどれとも異なるものなんだよ。
それに、その時の自分は全く過去なんて見ていないなって思える。私が見ているのは、広がってたり拡がってゆくと感じられる心の世界だから。
だから、もしかしたらそれが自分のホームグラウンドなのかもしれないし、私が目指してるはずのエリシアンワールドとか呼んだ物ってのはそれなんじゃないかとも思えるんだね( *´艸`)
……という感じのビジョンを思い出していた(今見ていた)のですね。
……なんだかとても懐かしい物を見た気がするよ。
ちょうど10年前の21歳になる手前、パートナーになる女性と出会うより前の冬から春にかけていつも私がしてるみたいなブログみたいなものを延々と書いていて、ある時からハイアーセルフらしき意識と繋がるようになって、そこでエリシアンワールドと呼んだ『いつかたどり着く至福の世界』のビジョンを見たり感じたりするようになって、
そこから完全に『そっち』にシフトしていったって感じになるんだね!!
そしてそのタイミングで私が『元カノ』と呼ぶ人と出会って、物づくりの基礎とか夢見ていたパートナーシップを実践する機会だとか、なんかそういう色々な『豊かさ』を私に教えてくれた人なのだと理解するようになってきたのですね。
……だって、図画工作も絵も苦手でしかなかった私が彼女の助けなしにハンドメイドを始めたり自分の感じていたスピリチュアルへの興味や好奇心という物を上手く目覚めさせて育ててゆけるわけがないのですから(ヾノ・∀・`)
だから私も思うのですね。
きっと私たちは互いに求めたソウルメイトとして出会い、やがてツインソウルの属性にまで進化して互いの成長と学びを助け合ったのだと。
そしてそれは、今でこそ『ツインレイ(仮)』とまで信じた彼女への執着やこんがらがってしっちゃかめっちゃかだったような想いにまで決着が付いた今になってようやく理解できて、
自分たちだけのこととして特別視しないで、
『ソウルメイトやツインソウルの性質』みたいな一般化された共通認識にまで持ってくることができたからこそわかることなのですね💡
だからそう、
ソウルメイトやツインソウルとして出会う男女にはそれぞれの役割や課題や明確な高次の意図があるのだと言われたとしたら『自分もそう思う!!』と答えたくなってしまうのですね(*゚∀゚**)!!
……そしてそれは計らずも、
10年前の私が夢見ていた『新時代の男女の理想的なパートナーシップを自分こそがこの世界に示したい!』という願いが叶っていたと認めるに値する経験だったと気付き喜んで受け入れられるような物だったのです。
そしてそれは、私の目的が最初からそれだけだったのだと気付く時に、この10年間の経験や流れという物は、自分が真に望んでいた物がなんなのかに気付かない時から既に始まっていた、この上なく最高であり最善の願ったり叶ったりの幸せな人生と呼ぶに相応しい物だった!
と考えるのが自然であり合理的になるのです。
もし私が本命としていた願いが『この世界で真に愛する者を見つけ出し二人の幸せな世界を作り出すこと』だったのなら、この人生とは救いようのないほど失敗だらけで惨めな物なのですが、
しかし私が真に望んでいたのは『新時代の男女の理想的なパートナーシップを自分こそがこの世界に示したい!』という物だったので、
その目的に沿って、本当に難しくギリギリなバランスながらも最大効率で完全な現実が常に目の前にあったと思えるくらいの『成果』が得られていると言えるのですね!!
……そう考えると、やっぱり私が真に失った物とは一つもないと気付くのですね。
もちろん『執着』したから『かなり苦しみながら手放さなきゃならなくなってしまったもの』というのは本当に本当にたくさんあったのですが(笑)
いやしかし、
本当に見事に振り出しに戻ってくれた……違う状況にありながらも私が望んだ物に対しては本質的には全く同じような状況に戻ってくれたのです。
……なにこれすごい!!(゜Δ ゜)
これこそまさに神聖魔術ですか!?
……そう、だから私は今生での『負のカルマ』とでも呼ぶべき物や『ペナルティ』や『清算』しなきゃならないような物を抜きにして、これまでの自分として獲得し目覚めさせた力や知識だけを持ち越して同じような場所から再び『新時代の男女の理想的なパートナーシップを自分こそがこの世界に示したい!』という目的のために生き直すことができるのですね!!
いやぁ~、そう考えると二十代の私は本当に頑張ったんだなーって思います!!!
そしてなんだかんだで結局は
『新時代の男女の理想的なパートナーシップを自分こそがこの世界に示したい!』
という物だけしか最初から見ていなかったと言ってもそれが成り立つのですね!!
いや~、これはすごい。
いやもうなんかよくわからないけどすごい手品を見せられてるような気分ですね!!(*゚∀゚)🎉✨
そして私は『これだけの経験と理解(必死)』を得て初めて、
『新時代の男女の理想的なパートナーシップ』というものの基本的な部分が理解できるようになっていて
『恋に恋すると同時に本質の輝きや愛を見るけど実際には相手それ自体を望んでいるわけではないことに気付かずに自分でも途中から意味不明になる💔』
という理解しがたく何がダメだったのかさえわからない絶望感を味わったりするという失敗を繰り返さなくてよくなるのですね!!!!
(恋愛、パートナーシップ系のトラウマの一つですね(*ノ・∀・`)
そ、そんなのわかるわけないじゃん!!!
現代地球の恋愛観なんぞ知るかっ!!!
た、確かに自分も未熟だったけどっ、
そんなの十代でわかるわけないじゃん!!
💥o(*`Д´*)o💥
……というような二十代を私は過ごすことによって無事に三十代からの(真)至福のスピリチュアルライフ(仮)が実現する世界へと進むことができるようになったのだと思えるのでした。。。
だってさ、知りたいじゃん。
真に愛する者が、最高のパートナーであるものがどんなところにどんな感じで存在するのか。
それが創造の光により生み出された物の燐光みたいなものでもいいよ。
でも知りたいじゃん?
ツインレイが最高ならそれが知りたいよ?
でもそれが最高じゃないなら更にその先を知りたいじゃん?
私たちはそのようにして生み出された存在なのだから、知りたいと願うのは当然のことでしょう?
この人生でどこまで行けるのかは知らないけどそれも同意の上。
全部を知らなくても、そらを知らないからこそ楽しめる部分もあるんだし、もっと柔軟にいくつもの可能性を自分にしていけばもっと楽しくなるんじゃないかな?
そういう変幻自在さが欲しいよね✨
……って話を10年前にもされた気がするなぁ。
そうか、(真)至福のスピリチュアルライフって言うとわかりやすいのか。
スピリチアライフだと変ですか。
私としては現代地球で言う所のスピリチュアルとは別にスピリチュアリティの方も含めておきたいので……
え?
っていうか、普通に
新時代の理想の男女のパートナーシップを自分こそが示したい私のブログ~エリシアンワールドプロジェクト☆
でいい気がする(笑)
そうすれば縁のある女性に出会った時に『私は新時代の男女のパートナーシップという物を自分こそが示せる者になりたいと考えているのでそれに共感していただけるのならぜひ私にお付き合い下さい!!』という、かなーり微妙な発言をしたとしても在り方としては何もおかしくない!!
で、
それができるために必要だったことを考えていくと確かに『ハートを開く』って課題があったんだろうなぁって思えるんだね。。。
(……いや、愛にハートを開くとかなんかすごく良いことそうに言われるじゃん。でもそうするとさ必ず『自我が死ぬ』んだよ。だからそれは『古い自分が死ぬ』ってことなんだ。)
……いやだってこれ、少しでも誤解したら恋愛感情と錯覚してカルマフルなソウルメイトの関係にかっちゃうわけで( *´艸`)💥
っていうか、恋愛感情に引きずられずにその本質だけを見られるようになるには、巷で言われるツインレイの学びってのが本当に効く!!
無意識にでも執着して依存してる段階でツインレイと信じる相手と運命的現実的にも引き離される時に感じる『半身が切り取られる痛み』みたいな物も、
確かに荒療治だけど表面上を越えた本質とか真実の愛的な物に気付くには一度は経験した方がいい気もするわかりやすい通過儀礼そのものだったりするわけで💥(*゚∀゚**)💥
……うん、やっぱりこういうこと考えるのがめちゃくちゃ楽しいんだね。
そしてさ、その時に感じる歓びや悦びだとか幸福感みたいな物がさ、ツインレイの波動と同じな気がするんだよ。。。
そうやってツインレイについて考えてくとさー?
やっぱり『ツインレイと共鳴し続けられる波動』を保つことができる自分で居続けるような活動が人生には必要で、
そしてそれは多分本当の自分に相応しい生き方で、
それは当然のように歓迎され必要とされるこの世界で自分がミッションとして引き受けた愛と光をこの地球で示すという『仕事』
なわけで、
……それらの活動を通してツインレイと共鳴し繋がり続けられる波動を保ち続けられる生き方と在り方ができるようになった時に、波動レベルで完全に融合して…………それが統合なんじゃないの?
そこに時間も空間も関係あるとは思えない。
だって『レイ』だよ!?
『ツインソール』じゃないんだよ!?
と私は感じるのです。
そして私はそれで正解だと感じるのですね👌✨
……いやだってさ、経験者ならわかると思ってるんだけど、
延々と相手に執着し続けながらその想いに少しずつ落とし前を付けていくじゃん?
何年もかけながら毎日毎日懲りもせずに思い出しながらさ?
それである時に、執着していたはずの相手に対してふと、
『その人と今生で結ばれても結ばれなくてもどちらでもいい』って思えるような、そうとしか思えないような愛ってのに気付くじゃん?
……そのあとはさ、その愛こそを真実として生きることこそがその人への愛になるじゃん?
そうなるよね?
その透明で純粋な愛を貶めるような真似だけはしたくない!!って思うよね?(笑)
そしてそれがツインレイの波動である愛を保つことなんだと思うの。
……なんだか感動する話ですね😂💓
私はそう思うのです。
誰しもその純粋な愛を知れば、それを裏切るような真似はできないと、それは本当の自分には相応しくないのだし、そんな自分ではその愛する者に相応しくないとも感じるのですから。
だからそのあとはその真実な愛の波動を自身に保つために生きることになると思うのです。そしてそれは真に愛する者と共に生きることと同じだけの喜びをもたらしてくれる在り方だと、
そのような在り方こそがツインレイの愛にこそ相応しいと私は思わずにはいられないのです。
そしてその道の先には真実の愛と本当の自分に共鳴するすべてが待っている人生が待っているということになるのでしょう。
……なんだ、それなら私がエリシアンワールドプロジェクトと呼んだ物は本当に『みんなのエリシアンワールドプロジェクト』になっても問題ない物だったのですね🌠
って、最高次元で本当の自分らしきビジョンを捉えられたなら、
後はひたすらそのビジョンと現状を擦り合わせてゆくだけですね!!
このブログとはひたすらにそのようなものだったのです!!💥✨😂✨💥
🌟結論🌟
この10年、エリシアンワールドプロジェクトを密かに続けてきて、欲しかった物はすべて手に入ってました!!