この一週間、物凄く分離の悪夢な記憶が強く蘇っていて、あまり何をしていたのか覚えていないのですね(*ノ・∀・`)
……確か、世間とか家族とか目の前の現実に当たるものからかなり意図的にも無意識にも離れていた気がするのです。だから記憶にあるのは先週の月曜日のことまでなのですね🍃
そして、
待てど暮らせど色濃い分離の幻想な悪夢の記憶を払拭することができず、基本的にクリアリングを繰り返して(特にこのブログ書いてる時以外に)寝て起きてを繰り返すみたいな時間を過ごす中で
自分の作った波動やらエネルギーやらを調整するアイテムを頼るというアイディアを思い出したのですね💡
で、何個か前の記事で出てきたのがコレですね
これは、神聖幾何学とか『シンボルの力』だとか機構的な作りを活用していわゆるオルゴナイトみたいな物として扱うために去年作ったものです。
『シンボルの力』を使うので、基本的に永続的に発動する類の物です。頑張らなくても使おうと思わなくても触れてればその効果を取り入れられる系のマジックアイテムですね✨
……とは言え『効く時には効くし、効かない時には全く効かない。』と私自身は思ってるので、ある時期にはすごく使うし、ある時期には全くそのような存在さえ忘れている状態になるパターンが多いです(笑)
というわけで『お相手様編』だったこの数ヶ月は『見えないしあんまり覚えてない』という感じだったのです(*ノ・∀・`)
何て言うんでしょうか?
それを扱う知識や記憶があるのは『別の自分』だから今の自分には扱える気がしないアイテム……って感覚だった気がします。
『確かにこれを作ったのは自分。だけど今の自分にはそれを扱う力を感じないから無理』って思うので、使えないのです。
実際にその状態で使ってみても実感が湧かないので特に意味のない物に思えるのですね/(^o^)\
とかとかとか、
そんなことを書きながらも『コース』のワークブックは日々継続されてます!
(今のところ)
さっきだって、レッスン25の『私はこれがなんのためにあるかわかっていません。』をした後にこれを書いているのです。
(……いや、だって6回やれって言うんだもん。2分間を6回ってそこそこ意図的に何回もやらないと寝るまでに終われない回数だと思うんだ……(゜Δ ゜)
それで、なぜこれを書いているのかと言えば、
今回コレを身に付けた時に、かなり急に楽になったからです!!
これは簡易オルゴナイトとして、オルゴナイトって呼ばれるやつに採用されてるあの謎の水晶とかを螺旋構造な金属で巻いたパーツを組み込んだアクセサリーです。
上で
『効く時には効くし、効かない時には全く効かない。』
って書いたように私はオルゴナイトでもアンダラクリスタルでもなんでも必ずしも力を発揮するとは思ってないし、そも外側の形あるものに力を求めるというのは自分の望む在り方を否定することになるので、
自分が作った『無条件に意図したエネルギーを発するように作ったアイテム』だとしても『なんでも時と場合による』って考えてます(笑)
で、
『今回は』力を発揮してくれたらしいので、今の時期の自分にはそこら辺を開拓するのがちょうどいいのかもしれないと感じたのです。
……そしてそこで一つの気付きがあるのです。
私はずっと(?)
精神世界やらスピリチュアルな探求やら活動やらを行うこととスピリチュアリティの実践とは共存し得ないと思っていました。
少なくとも以前は(笑)
しかしここ最近『状況の違いや見た目の違いなど様々なレベルで見ている特別さと分離の幻想というものはすべて等しく同一に特に意味を成さないものとして見られることが相応しいのだし、それこそが赦しなのだな』ということを思い出したりすることがあって、
それなら、
スピリチュアルや精神世界を探求しながらスピリチュアリティの道を進むのも、
非スピリチュアルな領域での人生を進めながらもスピリチュアリティの道を進むのも、
そこには何一つ違いを見るなんてことは必要で無いのだと(さっき)思ったのです💡
……いやそもそも、真にスピリチュアルであるとは
すべての根源たる普遍的な霊でありスピリットとしての本質だけを見ること、みたいな話があった気がするのですね(゜Δ ゜)
だから、
私は一見して精神世界を探求して分離の幻想バンザイって感じで何一つ気付いても悟ってもいないような表現やら振る舞いをする自分を使ってスピリチュアルな領域を開拓しながら、
もう1つの側面としてはそれらすべての差違や見せかけの分離の幻想な知覚や認識(?)を赦すって感じでスピリチュアリティの実践を常に思い出す限りずっとその道にあるって思い出しながら進めていくことは可能なんだし、
そうやってしか『赦し』の実践は不可能なんだってことに気付いたのです!!
だから私はスピリチュアルな表現やら活動をしながらスピリチュアリティな活動やら表現を同時にしていくことになるし、たぶんスピリチュアリティな領域の形にならない物を表すに相応しい何かを表現しようと生涯取り組んだり画策したりすることになると思うのです(笑)✨
『幻想である』とは、神でも愛でもないすべてのものは幻想で特に意味のない実体のない見せかけに過ぎないからこそ、
どのような扱い方をしてもどのような意味付けをしているようにみえたとしても何一つ問題にはならないし、
だからこそ好きに遊んでいいはずなのです✨
……そして私はそこら辺をまだまだ経験したり訓練してゆく必要があるのですね。
そんなの頭で理解も想像もできるわけもないんだから(ヾノ・∀・`)
……って感じのワークが前日にあって、それはそれは理解しがたい感覚に襲われのでした。
だからそう、
たとえ私がこれまでの自分みたいに、
『スピリチュアルとか精神世界的な表現を垂れ流しにしておきながらスピリチュアリティの実践だなんて滑稽だわ!?』
とか思ったり実際にそのような表現や振る舞いをしたとしても、
……それらはただの幻想に過ぎないからどのように見えても何一つ良くも悪くもないし違いもないんだよなぁー、それが赦しなんだよなぁーってするための機会として利用されるだけなのですね(笑)
そしてそのような振る舞いをする自分も、なんか完全に悟ってるみたいなめちゃくちゃそれらしい表現とかをしてるような状態でも、どっちでもいいのだしそこに本質や本命を求めることは自分の望む物じゃないって確認して確信するための機会に………………
で、私は思ったのです。
もしコレ(裏面)
に実用的な価値があって、
それが自分の持病みたいになってる定期的に分離の悪夢な記憶が蘇って心身共に不健康でかなり厳しい状況になった時に役に立つ便利なアイテムとなる可能性があるのだとしたら、
違う色ならもっと違う効果があるのか?
素材を変えたらパワーや効果は変わったり強さとかも調整できたりするのか?
なんかもっと無条件に永続的に力を発揮させる方法は無いのか?
……とか、そんなことを思うのです。
私は実用主義……というより実際主義者なので、
実際に役に立つのなら価値がある物だと判断するし、実際に役に立たないのなら価値がない物だと判断します。
だから、実際に役に立ったと実感したのでその可能性を探ってみたくなったのですね(*゚∀゚)
それに、スピリチュアリティの領域で神聖な自己の性質に目覚めるほどに、癒しだとか変容な力だとかは上手に扱えるようになるし、そのような力を意図したアイテムの精度も上がると感じられるのです。
……自分ほどのスピリチュアルな概念を詰め込んだアイテムを作る人間にはまだ他に会ったことないですし(*ノ・∀・`)?
(こういう一見して傲慢なような、なんか扱いにくそうな人間性を感じさせるなと私が思っているような表現もアレなのですね、愛でも神でもない幻想と正しく理解して最も相応しい使い方を見出だして理解してゆくべきなのでしょうね💡)
……
違う色ならもっと違う効果があるのか?
素材を変えたらパワーや効果は変わったり強さとかも調整できたりするのか?
なんかもっと無条件に永続的に力を発揮させる方法は無いのか?
って感じで、アイディアやらインスピレーションなら延々と芋づる式で出てきそうな気がしないでもないのですが、精神世界的な非物質の領域のソレと、物質世界での事情は全く違うもの。
だからこういう『やりたいと思った』のだとしても、実際にそれを行うのか、いつ行うのか、状況は整うのか?ということは全くわからんのですね(*ノ・∀・`)全く。
で、話はまた戻るのですね。
それを自分が(いつ、本当に?)行うのかは全くわからないし、
それらが真に幻想だと知ったのなら、私はどのような何を見てどんな動き方をするのかもわからんのです(ヾノ・∀・`)全く。
……そしてこれが神でも愛でもない幻想に過ぎない物だというのは間違いないので、少なくとも見た目の上ではどのように見えてもどんなものだと思ったとしても何一つ違いはないし全く意味も成さないのですね(゜Δ ゜)
……うん、
その上で、私は本当に『これらがなんのためにあるのか私は知らない』のです。いや本当に。
いやもう、パーフェクトな解説ありがとうございます!!ってくらいに、今日のレッスンで言われていたように本当に私にはそれらが真になんのためにあるのかわからないのです。
もちろん、解説にもあったように『表面的な理解やら考え』なら『いくらでも』出てきます(笑)
しかしだからこそわからないのです。
そう、今の私には全くわからないのです!!
困りましたね!!
いや、これは困りましたか!?
って感じでまだまだまだまだ意識がとっ散らかったままなのですね/(^o^)\🌀🌀
……とりあえず私個人の事情としては、
常に白眼を剥いてるようなそれくらい視点も意識もズレてるおかげでめちゃくちゃ気分も気持ちも悪いような状態が軽減されてくれて本当に良かったです。
私は分離の幻想の悪夢の極みを思い出す時には、精神年齢や記憶が14歳の頃に戻ってしまうのですね……あの頃は世界が辛く恐怖そのものだった。
というわけで今の私はまだまだ正気ではありませんでした残念!!
(何を見ても狂気の過去しか思い出せない時はとにかく『それじゃないもの』を見るようにするのです。)
『なんでもいい、とにかく目の前に展開される過去の残像から意識を外すんだ、オレ!!』
……ってとこらへん、物語の進捗は(笑)
まだしばらくこのままかもなんだね/(^o^)\
だから私は今は『この世界』から離れよう。