そして、その本来の自分とは、14歳からの自分とは、まさに真逆のような人間だった。
その、あまりにも異なる波動により、完全に記憶が思い出せなくなっていたらしい。
5歳の頃までの、原型のような自分も、
10歳くらいまでの子供のような自分も、
14歳までの、普通の人間としての自分も、
それ以降とは、大きく違う。
全く別人として生きるのだから、それまでの記憶なんて、誰か別の人間の物にしか思えなかったのだろう。
私は、ただ至福を生きる者かもしれない。
どこへ行くでもなく、
何かを追い求めるでもなく、
ただ、その瞬間に自分としての存在が満ち足りているから、そこでそのまま生きる……
もはや、別人すぎて、波動の法則も手伝って記憶の互換性もない(笑)
ただ、すべてを忘れた人間として生きてきた期間の自分が、多くの運命を切り開き道を作ってくれたのも事実。
当たり前に知っていた愛や至福が、すべて失われた後に取り戻すことができたのなら、今度こそそれらの意味や価値を正しく知ることができるのだろう。
私はこの世界的なしがらみやルールに縛られることない。
それゆえに偽りの自己……疑似人格のような自分を生きてきた事実や経験がどのように生かされてくるのかはまだわからない。
私はただ、太陽の光があって、植物や木々の美しさが感じられて、愛と至福を感じられるのなら、ただそれだけで十分な存在なのだ。
どこで何をせずとも、
どこで何をしていたとしても、
全く同じ世界に居られるのなら、
ただそれだけで毎日同じ世界が続いてくれることこそが願いであり幸せなんだよ。
……ほんとうに真逆(笑)
影のような自分も、使命に突き動かされる自分もまた同じ私。
それらも少しずつ、完全に調和してゆくことでしょう。
私は必要なく、あの人格や性質を使うことはないのです。
レタスとしての人格は、わたしの運命を現実にするためのパートナーのようなもの……本来女性性に寄っているわたしが男性として生まれた役割を果たすために必要なもの。
そしてそれは愛する男性のような者かもしれないのですね( *´艸`*)
だから真逆でもいいのかもしれないです☆
そうやって、自分の内側で極性の統合が実現できた時に、外側にも同じ波動を持つ存在が現れてくるのでしょうね。
わたしはそれでいい。
あの自分もわたし。
この自分からすれば、あの自分も大切で愛しい者なのだから……
……つまり相思相愛だわね(笑)
そういうのが統合だったんだねぇ。
ただ問題(?)は
まったくブログを公開したいとは思えなくなったことかな~(笑)
とりあえず一週間遅れくらいで公開すると、不快感がゼロになるみたいです✨
元よりわたしは先を見ている者、、、
だから頑張らなくなったら、自己開示がすごく遅くなるのですね(笑)
ってわけでこれは3日後にしときましょ☆