分離の悪夢を癒す時 2 / 偶像を越えて愛するという願い。 | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

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14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

……必要そうなので続き。


あのヒントは必要なので前回の動画を再び貼り付け

検索しててまた見ちゃった。そろそろ20回は越えるくらい見たかな?


しかしそろそろいい加減に疑問が生じた。なんでそんなにやたらめったらに分離の恐怖ばかりを感じなければならないというのか!?
人間を見たら分離の恐怖を感じるってのは、自然なことじゃあないのではないか!!

と思い始めました。変です、それ。


でも、私が見たいのは分離を見ることで可能になるあの、「恐怖と愛が表裏一体!」な痛い恋心なんかではないのですよ!!
あれは苦痛を快楽と錯覚するのと同じものだと思うのですよ。錯覚なのですよ錯覚!!

そしてその時見てるのは「自分にはない何か」を誰かに見てるのです。だから痛いのです。だから苦しいのですよ。その愛する誰かを見る限り、不完全な自分を見ることになるからです。



………………しかしそれらもすべて取り消されなければならないものです。そしてそこまで時間を無駄に引き伸ばす必要もないと思うのです。
その想いが出てくる限り見ます。その想いが書かれる必要があるなら書きます。しかしそうでないのであれば、それは省きます。

……わからないのでまた動画を見直し。。。


……
せせせ先輩、大変ですよ!!
精霊に頼んで正しいものを教えてもらっていたのですが、ついに「あの恋心」は痛み以外のなにものでもないと感じましたよ!!


この「ありさ」さん、前回も書いた理由もあってすごく気になるのでよーくよーく見ていたのですが、最初に思い出した痛みと恋心を過ぎて、「やっぱり可愛いな」とか「この角度、造型美かよ」とかごちゃごちゃした思考を通りすぎて(笑)
さらによーくよーく見ていたら彼女を神聖なものと見ていたのは自分がそれを持っていなかったり失った者と見ていたからだ、ということに気付いたのです。そうです、15年前の自分は確かにそのようなものを見ていたのです。

それ、つまり「偶像」ってやつですよね?



……それだよそれ、それが嫌なんだよ!!
なんで愛する者を見る限り自分が欠損しなきゃいけないんだよ、なんで愛する者の存在が自分が不完全な者である証拠にならなきゃいけないんだよ!!
逆も然り、同じ!!
ふざけんなよ!!

そんなの絶対に許せないと思わないか?
愛する者が、自分にとって呪いみたいに使われるってことなんだぜ!?

そんなの許せるわけないだろ!!
自分が愛する者が、なんでそんな無価値で貶められるようなものにされなきゃならないんだよ!!
そんなの絶対に許せるわけないだろ!!!

そんなの愛じゃねぇ!!




……とか、超ヒートしますですわ(笑)


でもさ、絶対にそんなの許せないだろ?
そして、そんな自分も絶対に許せるわけないじゃないか。


……さて、私はその魂の叫びにはっきりと気付くまでに何年費やしたことでしょうか。
まぁそれは個人的な何かとして、

でもさ、その「愛する以上は傷つき苦しむ」みたいなのって、絶っ対に許せないじゃん。そんなのが愛であるわけがないんだよ!!
絶対にそんなもの認めない。


愛する者は真に愛されるべきだし、その意思は祝福され完全に実現されるべきものなんだ。だから私は「偶像」を必ず越える。絶対にだ。そしてその機会は無駄にしない。愛する者に捧げる愛を本物にするために。
……きっと愛は私を完全にするのだろう。
今はその意味がわからないとしても、だ。


私は偶像ではなく、愛する者を愛したいのだ。
だから本当のところは、私がこれを行うのは、愛する者のためであり、自分の感じる愛にこの世界で相応しいものとして報いるためなのかもしれない。
少なくとも、それ以上の意思を与えるものは存在していない。


それは対象が物でも人でも関係ない。そこに愛を見る限り、私はそれが最も相応しいものとして扱われ表現されることを願う。
しかし、だとすれば私は愛することを愛しているとでも言えるのだろう。

……それは幻想であり勝手なイメージであり偶像として誰かを愛することとは違うのか?
(これは何か変なことをいっている気がするが)




……リユニオン?

確かに、別々のものとしてバラバラになっていた者が再び集合し結び付くものという意味は相応しい言葉だけれど。

……それは相手が「見知らぬ誰か」に見える限りは不可能だろう。そしてそのように見えるのは分離を見ている、つまり選択しているからだと言えるのだ。そしてそれは「孤独なき人生」を実現するためには必ず取り消される必要がある信念だ。



……ここにきてようやく、動画の中の彼らが必ずしも敵ではなく、むしろ「仲間」であり、いや、かつての自分が「友達」として関わっていた者たちと同じ存在なのではないかと、そう感じられるようになってきた。
そして私は彼らが敵ではなく友として、同じ存在であり真に心を通わせることができる者であることを望んでいることに気付いた。


私は、分離一色の世界を見るようになる前なら、彼らをどのように見ただろうか。そして、分離の世界が取り消されるなら、そこに何を見ることを願うだろうか?

きっと私は、自分の感じる喜びと愛と同じものを彼らと分かち合うことを望むだろう。
それをためらうのは、それが実現不可能なそれこそ夢幻のように思えていたからだ。もしそんなことが可能なのだとしたら、それを願う。

そう、私は知らない。真に心が通じ合うとはどういうことなのか。だから、私は知りたい。それはどのようなことなのか、知りたいと思う。


誰とも繋がれない世界を通り過ぎて、再び大切な者たちと再会することを願う。そのために分離の悪夢はそのことごとくが取り消され忘れ去られなければならない。





……さすがにこれが三時間以上も続くと疲れて眠くなってきた。
でも、愛を呼び覚ましてくれる者のためなら、愛する者のためなら、たとえそれがどこにいる誰なのかわからなくても必ず見つけ出し再会することと、その時に真に愛することができる者になるという確かな意思を与えてくれる。


自分の愛が中途半端なものなのは許せない。
それを愛する者に捧げることになるから。

そして自分の愛が中途半端なものなのは許せない。自分が「知っている」愛とは決してそんなものではないのだから。本当の自分に相応しくないもので満足できるわけがないのだから。


そう、そのためにすべてを使わせてもらいます。
すべては愛のために、ってことになるんかねぇ。

言葉にした瞬間ウソくさくなるのは、私が確信を得ていないから、です(笑)


今回は「リユニオン」のための決断を固めることが必要でした。これからは見知らぬ誰かしか存在しない世界を越えて、大切な同士である者が存在する世界を目指すのです。


愛を呼び覚ましてくれる者には同じ輝きを、それ以外のものを呼び覚ます者は訂正と癒しの機会を与えてくれる使者として、すべてを「私たち」の目的のための手立てとして使わせていただきますね、最も価値あるものとして、ね☆

おわり。