だいたいわかった気がする!!
そんなことを思った現在は9時55分。
最近になってこのブログが再開されることでこの1ヶ月間以上存在しなかった記事を書くための極めて多い時間(1日あたりに4~9時間程)がねじ込まれたことによって完全に生活リズムが破綻して半昼夜逆転状態みたいになってた状態からズレが一周して規則正しい生活になった瞬間みたいなのが今日という感じで、この時間にこの記事を書き始めているという状況です🙆
前回の記事ね、
アレは本当に、
なるほどなぁ~。そうやって今の私が漠然と感じ取ってるそこら辺の情報やらインスピレーションってのと直接的にこの記事も繋がってるんだなぁ~って、感動したんですね😌🌸
まさかそんなにも(自分の中だけだとしても)上手く整合性が取れて完全に1つの道として直結するようなものだったとは思ってなかったから!!
コレだね?
そしてその内容の“中身” ではなく、
むしろその本質的要素の器となった具体的な題材というものが一体なんだったのか?
という内容が私の言う“残り半分”としてのこちらの記事の中身となるものだろうと予測されていた
ということなんですね~。
事前感覚(?)としても結構情報量が多い気がするから上手く回収できるのか戦々恐々って感じなんだけど内心ではっ!!
で、それは何かって?
コレだよ、コレ↓↓
こんな感じで、通称ニディガとかいう略称で呼ばれてるらしいゲームの名越先生の実況プレイ動画がオススメとしてなぜかある時に上がってきてアーカイブだったから自分が何を面白いと感じているのかもよくわからないままに夢中になって一気見した感じだったんですね???

名越先生のゲーム実況については去年のブログ休止前くらいにDDLCの件でいっぱい出てきてましたね。一見さんは知らんと思うので簡易的に紹介。

その一部原文を再翻訳したコレとか私のお気に入りの言葉になってますね👌✨

実際にここら辺の話が休止前のこのブログだとか私の到達点だとか終着点だったのでしょう。
記事タイトルにも“古いパラダイム”って明確に書かれてますしね。
はい。
つまり結論から言って、
私はこのNEEDY GIRL OVERDOSEという作品を通して前回の記事で示されていたものなどを感じ取っていたらしいということです。
それに関しては事実だから説明不要……と思わなくもないんだけどっ!!
私個人としては非常~に色々と思う所が多々あったから語りたいって感じなんですね!!
上澄みかどうかは別としても、
内容的な質的な部分は前回の記事で取り扱われてるので、残りの部分を担当するであろうコチラ側ではもっと具体的で私の思う俗っぽさみたいな側面だとかを扱いたいな詳しく探りたいな知りたいな私の求めるインスピレーションの情報源として出尽くして枯渇するまで絞り尽くしたいな🖤
というようなことを思っとるわけですね😁
いやもうホントそんな感じ。
“目覚めた人間(仮)”である私が何かしらに興味関心を持つってことは必ずそこには最高最善のシナリオを構成する一要素としての真価や意図があるってことですからね?
それに関しては1ミリも疑ってないし☆
で、結論から言って。
前回の記事のタイトルになってるような部分から取り上げていくなら、特に私がニディガを通して一番最初に興味深く思ったり意識に焼き付いた?感じだったのが、
配信者のメンタリティー
というような言葉で表せるようなものだったと感じたんですよ。
私、密かに疑問だったらしいんですよ。
ライバーストリーマー配信者○○tuberみたいなことをする人間の精神性とか人格像とか価値観みたいなものみたいなのが。
何しろ私はそんなのやらない系だろうから。
他者への承認欲求みたいなものも最低限くらいしか持ってないし、むしろ自己承認欲求の方が遥かに非常に圧倒的に強いそっち側の承認欲求の塊みたいな人格をしてるのが基本的に私のキャラクターっぽいと知ってるわけで。
だから基本的にわからないんですね?
人格構造のパターンとか基本相性みたいなものとして私は内側の深淵に達するまでまず先に意識が向くくらいの超内向型人間を軸とした+非常に強い何らかの使命感(仮)によってこうして延々とそういう自己表現を世界の片隅みたいな所で続けてるような人間だから!!
もちろん最初からそういうわけじゃなかったってのはあるけどね?
それに例えば現代で言う“推し”みたいな概念とか感覚ってのも私は極めて薄いらしく、自分のことよりも誰かのための人生をヨシとするみたいな価値観というか現実感や自己正当性?みたいなものがあんまりピンと来ないらしいんですね???
たぶんそれもあって私は基本的に配信者みたいな人たちを好きじゃなかったり興味を持ちにくい遠い世界の住人みたいに感じてるんだろうなとか自分では思っとるわけですが。
それでも私も去年の夏終わりくらいには配信を見るようになったvtuberや配信者とかが何人かあるという程度には何らかの興味関心を持つ要素だということも感じていたわけで密かにそこら辺も疑問に思っていたというような背景が、私がこのような話をする裏側にはあるのですよ。
このブログ上ではまだキズナアイ以外を出した記憶はないけど。キズナアイはレジェンド枠みたいなもんだからか他vとは完全別枠のvtuberという概念のシンボルみたいなもの扱いらしいので。
だからそれも疑問だったんですよね。
vtuberという枠や属性(?)だからこのブログ上で取り扱ってはダメなのか、それとも単純に私の言う所の【時限式】みたいな超メタい理由でダメなのか???
そこら辺も密かにず~~~っと疑問に思ったりしてたんですね。何しろこのブログに書かないとは言え毎日毎日配信とか何時間もアーカイブとか見てるような時もあったりしたわけで。
というわけで私はこのvtuber取り扱い問題(仮)みたいなことについて密かにず~~~っと疑問に感じたり考えていたのです。
だって確かに自分にとって思い出深いゲームであるものを“推しのV”(仮)みたいな人がやってくれていた時には私にも世に言われる推しの概念が理解できる程度の感動があったわけで!!!!
なのでこういう表現は私にもブッ刺さるんでお控えなすって、って思ったよ!!!

んでこのゲーム、
つまりはこういうことなんだけど。

だってこの発言は一回ヒロイン(?)の好感度がバーストした例のエンドを見てから考え直した結果なわけで👁️

このエンドを迎えた際に出てくる言葉のチョイスとかもかなり独特だよね。ちなみにこの場合は愛情の過剰摂取に耐えられませんでした。って書いてある↑
……ここで私は、ただこの子を一般的な恋人感覚で愛で満たしてやればいいとか全くそういう意図ではない何かしら別の類のゲームであることをはっきりと理解したのです。
だからこれ以後は、むしろヒロインの好感度がMAXにならないように意図的に突き放したり甘やかしたりして管理するマネージャーでありプロデューサーであり心の支えな恋人像としてのピ=プレイヤーの立ち位置が基本的なスタンスになるんだろうなぁって(*´ Δ ˋ*)

私は、コレを……なんかここら辺を全体的に理解して思ったわけですよ。

みたいな気持ちになったよ!!
……そうか。。。恋愛的に大好きなわけでもない不特定多数の人間に対して完璧でもなければむしろ歪な人格像を持つ人間が誰かに慈愛を向けられるようになるストーリー的可能性としての解釈性としてはそういうものは十分なのだなと。
なるほどコレが漠然と現代の聖杯(Fate並感)に思えていたものの正体だったのか………………
とか思ったわけで。
でも同時に思うのがコレってさ?
例えば最初はただの肉体的関係やら身体目当てだった男がやがては純愛に目覚めてゆく……っていうものと同質の何かが見えるなぁって感じるんだよ。このニディガのヒロインのあめちゃんの場合はその女性版っていうか私にとってはそんな感じがするらしいんだよ。
ちなみにこのピとあめちゃんの2人の関係性は初期紺感度ではセフレ判定らしいし。……もはやこうなってくると私としては2人の前日談とか出会いのきっかけとか気になってくる(そもそもピが存在しない説は置いておくとして)んだねぇ?👁️
はい。この時点で前回の記事のタイトルの言葉が指すものが読み取れますね。
つまりそれは、
①たとえば病み女子みたいなある種の承認欲求が無いと生きていけないような人間だからこそ配信者として相応しいメンタリティーやらアングラな魅力が有り得る説
→配信者のメンタリティー
②そんな顔が良いだけの病み女子がインターネットエンジェルとなってオタク達を救う(?)ためには当然裏にはピの存在感やガチ恋にさせずに精神安定と同時に育成していけるような愛も性もプロデュースの技法として使いこなせるような存在が必要なのは無理のないことで実際に不可欠でありえるのでユニコーン勢も納得のピュアピュアなんて最初から存在しない
→現代の聖杯論

……そしてこの感覚は自分が知り合った段階で恋に落ちた魅力的な恋人を結果的に育てさせた元カレ元カノという存在感に対して感じるものと全く同じなのではないだろうかと?
うん、なんかこうさ、
このゲームはタイトルにオーバードーズ書いてある時点で基本的に脳に負荷がかかる闇というか病みを前提としたものだなぁってのは最初から感じてたんだけど、特に興味深いのは誰かのコメントにあったようなその歪な構造を理解するほどに正気度が削れてゆくと同時にそこに有り得たかもしれない美しさや崇高さみたいなのが理解(わか)ってしまうというかそんな逆説的な究極の偶像が描かれてるような気持ちになる所が魅力だなって私は感じたんだね。
何て言うの?
ユニコーン無事死亡!!!!
とか
脳破壊が捗るなぁ!!(錯乱)
みたいな脳内コメントが見えるレベル\(^o^)/
あ、うん、そう。
私もvtuberの配信とか見るようになってユニコーンなる概念が存在することを知った。なんか性獣とか処女厨とか呼ばれてるのと同じ類のものなんだろなってイメージ(?)
調べたらAIのこんな説明が。
NTR(ネトラレ)は最大の脳破壊!!
って私も思ってるクチ(ネトラレものとかいうジャンルが存在するとか理解できない)なんだけど、
でもこうなってくると、この名越先生の言葉の意味がわかって深いよなぁ~って再び思い返したりするんだね?

何しろ私もかつては“ツインレイ”という偶像の究極系の1つであるものに脳を焼かれていた(この用法が正しいか不明、使いたいだけ)男の1人なわけだし、それに加えてスピリチュアリティの道の中でその要素に遭遇したりその前の段階として奇跡のコースだとかで言われる特別な関係↔1なるor聖なる関係とか呼ばれてるものについて学んだりしていたわけで。
詰まる所、恋人とかパートナーとか恋愛的関係の行き着く所って、↑で名越先生が語ってるようなアイデンティティの確立=私の言う霊的な自立と完成やら自己統合のためのきっかけに過ぎないってことが思い出されるわけだよね👁️
。。。。
というわけでこの話とスピリチュアリティの道が再び交差したので一度終わりでいいと思ってる。何しろまだまだ続きがある(正確には堀り進められるだけの情報が残ってる)と感じてるんだけど、それには時間もエネルギーも必要なんだよ(*´ Δ ˋ*)🍵
特にこの公式PVの衝撃の女声↓で知ったニディガのシナリオ担当であるにゃるら氏なる人物が、こんな病み女子の解像度の高いシナリオを作れる相応な背景を持つような人物らしくって。

→脳が破壊されたり進化したりしましょう!!
あとこのセリフ見て思った。
(○○しちゃうこともあるけど、)
↓何だったか思い出すために調べました。

という流れからのこの話。刺さるわ。

ちなみにこのニディガ、今年の4月からアニメ放送されるとか。
…………色々と無理では?
なんかめちゃくちゃ揉めてたらしいじゃん。にゃるら氏他四名の原作開発陣が誰も残らないチームになったとかそんな話もあったし……/(^o^)\
って私は思ったんだけど、
他の伝説の作品、例えばlainとか別方向(エロ)ではぬきたしもアニメ化できたなら大丈夫とか有識者コメントも気になるな~って。特にlainに関しては私も現在進行形でゲーム実況の方を見てる(あんまり一気に見ようとは思えない作品なので)からそういう所の超個人的な啓示としてのクロス感?も気になってくるなって思うし私としてはそれこそがこの記事も書いてる本命です。
って感じで、半分くらい投げっぱなしだけどとりあえず書きたかったことだけは書けた!!
って記事が終わりましたね👌✨
現実なんてこんなもんなんだぜ。
だからこそ偶像が信仰され守られるのだから。
でも私は人気商売じゃないから自分が思うに相応しくない偶像が定期的に粉砕するようにしてるんだろなって思ってる。それは自意識過剰ってやつなのかもしれない。でも何より私自身がそういうのは気に入らないし許せないんだよ。本当にくだらない幻想なんてものは粉砕するくらいがちょうどいいと心の底から思ってるわけだし?
だからそう、好きか嫌いかくらいの価値観しかなかった愚直型人間の私としては、純愛じゃなくても成立する正しさとかその使命的価値や美しさ足り得る可能性を知ることは、確かに脳を焼かれて新たな回路が生成されるような少なくない衝撃を受けたように思うよ。
その総括が前回の記事のタイトルなんだね☆
そう、そうしてあの記事とこの記事は裏表のソレとして繋がったわけだよ。他ならぬ書き手である私が言うのだから間違いないね!!
私は自分を分類するならフォロワー型じゃなくて生粋のリーダー型だと感じてるし、それはどちらかといえば自分の道しか生きられない系の人間だということがわかっている。だから私は愚直にひたすら与えられたその道が最も自分が祝福され救われる完全な私のためだけに用意されたものだったと知りたいと願い望み生きてるわけで、この記事や表現も副産物というわけだよ。その他のことがすべて嘘でも信用できなくてもそれだけは全く疑う気なんてないんだね。
それが他の誰かが通るために用意されているものなのかは私にはわからないけれど、私自身が道であるのは確かだと思うよ。そしてそのくらいの完全に自分のためだけの考え方の方がよほど純粋で信用できると思っている。
なにしろ人間としての私は疑い深いのだし、だからこそ疑う余地のないものだけを純粋さとして信頼することができると知っているから。。。
脳が破壊されたり正気と信じたソレが消え去っていく中で理解(わか)ってしまうということは確かにスピリチュアリティの道の経験からしても普通~にあることだと思うし、それが私が個人的には常人よりも奇人だったとしても才気に溢れた人間の方が気高く価値があると無意識ながらにでも思ってたりそういう質の人間なんだろなって自分だけでは認識できない部分を見せてくれたNEEDY GIRL OVERDOSEは素晴らしい芸術的な作品ですらあったなって☆
感想。
というわけでここまで来たら本当にあの記事の反対側や残り半分だったことがわかってこの記事を公開しても黒歴史生成な自傷行為にならないからいいかなって思えるんだね(笑)
逆に言えばここまでの理解に達しない限りはそんな自分でも意味不明の自己表現を晒すのは即自傷行為ってことなんだよコレ。富や名声のためじゃなくて使命感を果たすために負荷を強いて自分の心を切り売りするような選択って意味で精神的自傷行為になりかねないんだなってことが【古いパラダイム】を抜けてわかったんだね✝️
精神で払うってそゆことだったのかも。
だからさ~?
結局それってニディガのヒロインたるあめちゃんが承認欲求を満たすためにストレスを溜めながらもオタクに媚びて人気配信者に上り詰めていく……っていうソレと質としては全く同じなんだよなってことが私には理解(わか)っちゃうわけだよ。
私も普通に未だに富も名声もほぼ得られてないのですごく欲しいと思ってますからね!!😆
エゴの中身って同じ人なんだって自分事として気付くわけだよ。そういうのが世に言われる自分とは真逆に思える存在感こそが格好の鏡ってことなんだねぇ。スピリチュアリティの道の人間だろうがエゴとしては何も違わない。
特別意識が消し飛ぶ真理だわね。

もちろん私を信仰してもいいんだよ?
嬉々として私の誤った偶像は粉砕したくなっちゃうからアイドルとか教祖とかできないしむしろそっちが狙いですらある気がするけど🌠
それを幻想と知って傷付かなくなったなら本物か偽物かなんて気にせずに心行くまで愛せばいいじゃない。それに気付いた者達は例え偶像=アイドルであろうが純粋に愛する喜びと純粋に愛される喜びで一瞬なりとも本物の愛に触れることは十分に有り得るんだからさ。
人間的な私は純粋な愛なんてものを信じられないからこそそういう見た目的には不健全というか不完全な形がすごく許せなくてキライと感じてた潔癖人間だったのかもしれないし、不思議なことにそういう誰かの核心みたいな弱さや影や闇に触れた瞬間にそれが魅力に感じたりそこに愛を見たりすると知った後では深淵を自ら覗くことは実は結構楽しいことなんだなってわかる人間は既に意識が変容している説☆
この意識の変容というか転換を得られる可能性があるから自ら闇だの病みだのを覗きに行く価値があると私たちは知っているわけだよ。そういえばそういうのをシャドウワークって去年知ったんだっけね?
実は人間や自分の真価ってのは自分がそうだと思う所には無いかもしれないということに気付いたり喜んでその可能性を認められるようになるのはとても難しいことなのかも。
味わい深いなぁ~って思うよね。
あぁ、この記事のタイトルが出てきたね!
これで終われるねっ!!
そうはゆってもまだまだ私個人としては語り足りないので機会があれば続くことでしょう🌠
コレ始めた時からちょうど4時間経ったね。
まさか出来心で出してきた愛なら仕方ないという言葉がダイレクトにこの記事のタイトルになるとは全く思わなんだ。
これは楽しいし私も大満足!!
え~、すごい、この記事面白いじゃん!!




