このブログは現在放置されています。
という感じで、
最近ではずっとNOTEの方でだけ
記事書いてました😃
なんでかって言うと、
もうコッチで伝える必要性を感じなくなった
と言ってしまっていいのでしょう。
なんか自分の商売ビジネス活動的なソレにリンク飛ばしたりもしてないですからね(ヾノ・∀・`)
やらないならやらなくても大して変わらないということもわかるんですね。
あ、ちなみにNOTEの方では
だいぶ話が進みましたよ。
ようやく【ミラクルワーカー】という言葉やら
意識状態やらに達した!!
というのが本日のことでしたね、
まだ朝だけど(笑)
まぁそんな感じで、
このブログはどうしたもんかなーって内心では少なからず思いながら放置されてる感じですね。
そして前回の記事にも反応が無くなったらしいのでコレを書き始めたわけです。
読むべき人、みたいなのも読み終わったということなのでしょう。
最近の私の書いてる話では奇跡のコースよりもシータヒーリングの存在感の方がすごく強まっていたりして、特にシータヒーリングにおけるマスターとしての自己像という要素を正式に思い出せたり内側にあったものとして掘り出せた(彫刻的なイメージ)というのは素晴らしい出来事できた。
こういう話ですね😃

あ、その前にコッチでしたか?
私の言う【マスター】というものには二種類というか2つの意味と情報源があったということを思い出せたんですね!
いつもの神との対話のやつが1つ、
そしてもう1つがコッチというわけです🙆

私は2015春年にシータヒーリングのインストラクター(?)だったかよくわかってないけど、
当時よく世話になっていたスピリチュアルな師その2という感じのシータヒーラーの女性にお墨付きをもらう感じでこんな感じの「マスター」↑として自覚を持って生き始めた(ある種の覚醒をした)ということなんですね。
ハイ。
つまりそこから【私の人生の本番】が始まったということなんですよ。
【マスター】として生きる、
唯一無二の運命宿命の道が!!
↓
↓
↓
そこから11年くらい経って、
2026年の5月になって、
ようやく「マスター」としての訓練を終えたということなんですね。
そして明らかになったのが
(というかいい加減に受け入れる気になった)
ものとして出てきたのが、
【キリスト(意識)】な属性であり、
キリスト(グループ)的なマスター性だった!
というわけなんですね?
……いやまぁそもそも、
若い頃から【救い】なんてものを本気で求めていたような人間なんだから、そりゃキリストグループみたいなマスター性を持っていたとしても何も不思議は無いというか、
端から見たら
『まだキリスト意識受け入れてなかったの?』
とか言われるようなもんなのかもなって
ちょっと思ってたりする⚡😜
いやぁ、だって、ねぇ?
私はいつしか「アセンデッドマスター嫌い」に近いような状態になってたし、
そしてそこには明確に
【内なる神権(獲得)】の学び
=訳語:Divine authority
というものがあったわけですから、
まぁ、無理もない(ヾノ・∀・`)
そしてつい最近作ったレッドゴールドなコレらが私の思い描いていた【ミラクルワーカー】だとか自分の封じられたマスター性=特にキリスト意識的な神性を復活させる意図の神器だったのだと、
そんなことがさっきわかったんですね💡

ここら辺はオレンジ要素強いですからね。
キリスト意識って言うと確かにこういう、
血としての赤っぽさと神聖性なゴールドが混ざった上で具現化してる男性性要素強めな色ということで濃い目のレッドゴールドとして反映されるというのには個人的に納得なんですね👌✨
あと私はつい最近知ったのですが、
どうやら【ミラクルワーカー】って滅多に居ないっぽいんですね?
例えばこのアメバブログ、
ミラクルワーカーのタグでも記事でも調べても数えられる程度のものしか出てこない!!
更によりプロ意識の高そうなワーカーたちがいっぱい居ると思ってるNOTEの方でも、
同じくらいヒットしなかったんですよ(っ'ヮ'c)
だから私は理解したのでしょう。
『ミラクルワーカーってめちゃくちゃ少ないスピリチュアルワーカーなんですね!!』
うん。
私の言う、
スピリチュアルからスピリチュアリティの極みへと進んでゆく道の中でも、ある一定レベルの学びの段階や時期を過ぎる度にその人口密度みたいなものはどんどん減っていくというようなことを実感してきたわけなんだけど、
ミラクルワーカーはその中でもすんごく少ないんだなって感じたわけですよ。
あ、コレ基準ですね。

なんて言うんですかね、この感じ。
良くも悪くも、
ACIMer(奇跡のコースに熱心な人のイメージ)であれば割と相応に居る所には居るけど、
でも【ミラクルワーカー】という形態(?)になった途端にその数は激減するっぽいんだね?
不思議だな~って思った!!
でもだからこそ私は思ったんだろうね😌
『あぁ、これ、アレだ。
私の言うディバインワーカーだ。』
ということがわかったわけですよ、
あまりの名乗る人の少なさから!!😆💥
そこで逆説的に、
ディバインワーカーの正体やら、
そこに込められていた意図も同時に理解することになったわけです私は。
つまり簡単に言うと、
『今の私ではミラクルワーカーにはなれないとわかるからディバインワーカーを名乗ろう』
というような理由だったということですね!
……下位互換、というわけじゃないんだけど、
ただ自覚が無い状態というか。
良くも悪くも神に支配されている
→「支配してもらってる状態」にある
→【神の所有物扱い】みたいな、
そんな意図があったとわかったんですね。
そしてそこに「非自由意思」的な在り方生き方というものとしての【Divine】が必要とされたということなんですよ。
コレをもっと人間的な言葉で喋ると、
『私は自由意思がある状態では神の意図や計画よりもエゴ的な興味関心を優先して動くということを理解してもらうから、
【神の強制力】のようなもので制限して縛ってミラクルワーカーとして機能するように訓練するよう仕向けるように動かしてもらう必要がある』
ということだったのだと、
それがわかったんですよ。
マスターとしての記憶や力を取り戻したから!
コレまでの私は神性が封印された状態で、
マスターとしての学びの道を生きるという、
明らかに無謀というか最初から勝つことが目的ではないし実際に難易度に対して自己の能力のあまりの足り無さや試練要素で人生が内外から破壊され解体されてゆく、
というような霊的なイニシエーションとしての生き地獄のような体験をしていたわけです。
いかにマスターといえどその不可避的なエゴ的人間的苦しみから完全に逃れることはできない!
という体験ですね。
正攻法でそれだってんだから、
まぁ容赦ないわけですよ(笑)
「何かの間違い」なら、
まぁ許せるのかもしれない。
それを正せばいいだけだから。
でも「何も間違ってない」とわかる。
なのに苦しい。
でも「何も間違ってない」から、
どうにかすることもできない。
『ここに極限の苦しみと救いが見える!』
という奇跡のコースのテキストとか読んだら文学的に書かれてるあの世界観が実際に心の中で成立してしまうわけですよ✝️
そうして最終的に理解するのは、
自ら苦しみを選ぼうとする無意識を自らの意志の力によって超越しなければ救われない!!
という霊的な原理だけなんですね。
なにしろ外側はどうにもならない。
【それが神の計画だから】
唯一の救いは、
無意識に苦しみを選び続けている自分の心に気付いてそれを止めることだけ。。。
だから「誰にも助けてもらえない」んですね。
その権利があるのは自分だけだから。
だから自らが救い主にならなくてはならないという現実感も理解するわけですよ。
本当に誰にも助けてもらえないから。
助けようとしてくれる誰かというのは存在するかもしれない。
でも上手く助けてもらえないかもしれないし、
なぜか自らその助けを拒んで地獄に留まるという選択を止められないかもしれない。
だから本当に知ることになる。
『自分を救えるのは自分だけなのだと。』
そう、
だから私はそういうキリスト意識的なマスター性の学びと獲得までのプロセスを【キリスト行】と呼ぶことにしたんだろうなって✝️
たぶん私はミラクルワーカーとしての自分の使い方や存在の仕方を受け入れることで、初めて真なる自己意識=Divine selfとか言い出しそうなやつを受け入れられたのだろうから👌✨
だからね、本当に、
キリスト意識に関しては体験してない人間よりはるかに上手く正確に伝える=教えることができるんだろうな~って、よくわかる。
だって、ねぇ?
【キリスト行】って、割と学びがいっぱいあるんだなってことも過去を振り返るとわかるもん。
それにやっぱりすごく男性的なんだろーし?
私の記憶に焼き付いてるのは、
やっぱり【磔刑】のリアリティーってやつ!!
あれは惨い。
酷いっていうか、むごい。
『これさ?
私が肉体的に殺されてないってだけで
普通に心は殺されてるよね???』
というものを感じるやつ!!
だから私は理解してる。
【マスターの学び】の中では一般的な善悪や二元論的な正解不正解は完全に役に立たない邪魔にしかならないという現実感があることを!!
だから私は語り示したいし、
実際に広めようとしてるんだよ。
「マスター」である人間の人生の中ではおよそ普通に考えたら理解不能な原理や意図で極限状態に陥るような学びというものを、自身が持っているマスター性を獲得するためのイニシエーションとして経験することになる説!
みたいなものとして👍✨
そういう「マスター性」という視点から捉え直していくと、自身の記憶にある過酷に思える霊的な学びの意味や属性というものがある程度理解しやすくなるんだなって!!
だからそれこそがマスターたちの「守護領域」みたいなものだとわかるわけだよ。
例えばこの記事の中での話だと、
私はキリストグループのマスター性を持っているわけだから、アセンデッドマスター的なキリストらへんが持つ属性に相応しい学び=【キリスト行】というものを体験するのは必然だと理解できるようになるんだよ。
それさえ知ってればさ?
例えば【キリスト】の伝道者たるイエスなキリストだとかが辿ったり経験したとされる霊的な学びの要素ってのを自らの持つマスター性として受け入れやすくなるじゃん?
だから同じようにさ?
例えばセントジャーメインのマスター性を持つ人間だったら、そのまま置き換えて「セントジャーメイン行」みたいなマスター性獲得のための霊的な修行要素ってのがたぶん実際に自分の人生の中にあるってことなんだよ、たぶん。
私にはセントジャーメインのマスター性は無い(or限り無く薄い)だろうから🙅
……もっとテキトーに書いて終わらせようと思ってたけど話が長くなってきたからこの記事の手前に当たる明け方に書いてたNOTEの記事のリンクも貼っときますね↓
わかんない所はそっち読んで補完して。
私はマスターとしての自分を保ち証明するために必要なことだけをしてるという基本的な意図でコレを書いたり必要な情報を出したり不必要な部分を伏せたりしてるから、
それ以上の部分は自分で補完してね★
ということだよ。
今の私は前とは違ってマスターとしての自己像を思い出したり実感してる状態だからね👌✨
だから相応の動き方とか意志決定するよ。
必要なだけ語ることもあれば、
必要と悟り無限に沈黙することもある。
それを「マスターの矜持」を持ちながら決行するということです。
それがたぶん封印状態との違いだと思う。
覚醒したマスターは自己を忘れないからね。
能力が追い付くかどうかは別だけど😜
なんかあれば心の中で赦せばいいだけだということもわかってるし。
神性封印状態の私があれほどまでに不自然だったのはそういうことなんだよなーって思ってる所(笑)
そしてこの記事は聖三位一体くらいの高次な現実感ではなくてマスターな自己意識での私の通常ラインくらいだと感じるのでテーマもコレになったということです。
あのNOTEリンクな記事を読めばわかるけど、
今の私は自己の完全で最大調和な使い方というものを見定めてる時期なので、たぶんソレが終わるまではミラクルワーカーで無職☆みたいな状態に甘んじてると思うよ😋
何しろミラクルワーカーは何一つ人生の汚点にも罪業の証にもならないすごい存在感だからね。むしろそういう罪悪と犠牲の証明に見えるものを使って自他の救済を成していくことができ得る存在だからこそミラクルワーカーなんて呼ばれるということなんだよ。
私がそんなミラクルワーカーになったんだとしたらそれはすごいことだよね!
とりあえず基本的にもうソレを拒否する必要がなくなったのはわかる。
私が救われるためには他の誰かが地獄に落ちなきゃならないのはクソだと思うし、そっちの方が共に地獄に落ちるよりマシだともあまり思えなくなって来てる。
何の問題もないならどいつも救われればいいと思うんだよ、心の中で!!
外側の救いなんて知らんよ。
そういうのは神とか聖霊の役割なんだから私たちはただ救いを求めてそれを大人しく受け取ればそれだけで神の子として褒めて愛されるというすごい世界観だからね🌸
私の人生は人の世では底辺というかゴミクズって感じで既に終わってる感だし(笑)
ソレを捧げるのに惜しいことなんてもう全くないってことなんだよコレ。
私はそういう極端な人生で、
だからこそ「何も持たない」に近い生き方としての見本を示せるっていうマスター性ゆえの宿命的な必然性とか神の意図だとかを感じてるし、
逆にこうなってくるとさ?
じゃあ私がコレまで運命宿命の圧力として迫られてくる中で開拓されてきた意志や資質とそこにあった学びを使えば別のマスター性というものも見えてくるわけで、
それはとっても楽しいスピリチュアルというやつなんだね☆
つまり、そう、
『マスターの人生にはマスターなりの楽しみ方や栄光と呼べるものがあるんだよ☆』
ということなんだね👌✨
常人にも凡人にもそれは理解し得ないもの……
凡人としてマスター性を封じられながらも何とかそれを思い出そう理解しようと努めた私はそれがどのくらいの不可能性と呼べる現実感があるのかを知っているからね。
だからソレは馬鹿にしてるんじゃなくて、
基本的にほぼ不可能だと知ってるというだけの話なんだよ単純に
ほぼ不可能なんだよ。
強制力の外の例外を使うしかないんだね?
例えば奇跡のコースの奇跡みたいな、ね(笑)
だから私は絶対に不可能なんてことを言ってあげる気も無い(ヾノ・∀・`)
できなくはない。
『ただしほぼ不可能だからなんの意図もなく挑むこともまた不可能に近いし基本的に不毛』
って言うよ。
つまりいつものアレだね?
『やりたきゃやればいい。明確な意図さえあれば何一つ無駄になることないのだし、楽しもうと思えば楽しむことだって不可能じゃないから☆』
『不可能ではない』とは良い言葉ですね😌
あ、
コレなら「マスターの教え」とかいう使い道のなかったテーマに該当しても良いかも🙆
※最初からだらだら話をする予定だったからこの記事に目次は付いてないんだよ。
