連日、「攻略法依存症」について考えてきていますが、逆に言えばね、「攻略法さえ分かれば先に進めていける」ということなんだよねと思い至るわけです。怖くてプレイできず不安で先に進めなかったのに、「攻略法」が分かってしまえば、どんどん進めていけると。「こうすればいいんだ」と「思う」ことができたら、「行動できる」ということです。

これ、凄いこと言ってるんだ。なんというかなぁ。つまり、「行動するために必要なもの」は「見通し」だということ。「先の見通し」がないと「行動できない」とも言える。できない理由を100も200も並べることは簡単だけれど、それは「見通し」が持てないということの言い訳に過ぎない。「見通し」さえあれば、「できる」と思うことができれば、人は「やる」んだ。

「見通し」を立てる。

たとえば、掃除。面倒くさい、やる気が出ない、なんとかかんとかいくらでもやらない言い訳はできる。でも、待って。掃除の攻略法を考えてみよう。一ヶ所ずつ攻めていこう。ベッド周り、机、本棚、服、水周りの順序でやっていけばいい。山場は本棚と洋服だ。いったん全部外に出してしまえばいい。雑巾がけをして、それから一つずつ戻していこう。OK。「こうすればいいんだ」。

と「見通し」を立てる。

この「見通し」を立てる作業をすると「めんどうくさい」とか「やる気が出ない」と言っていた根本の原因が消える。「どうしたらいいか分からない」という「不安」がなくなる。「面倒くさい」とか「やる気が出ない」ということばを真に受けてはいけない。これは本当は、「どうすればいいか分からなくて不安です」と言いたいのだ。そこを取り違えて、やる気を出させる方法!とか、面倒くさがりを直す方法とか探しても徒労に終わります。どんなにいい方法を見つけたって、ダメなの。

「見通し」を立てればいい。

たったそれだけで、「面倒くさい」も「やる気でない」も消えていく。「どうすればいいか分からない」という不安が消えれば、面倒くささも、やる気のなさも消える。不安がなくなればブレーキを踏んでいる必要がなくなるから。見通しが立たないうちは怖くてアクセル踏めないのだ。

ずっと一直線だよって分かっていれば、アクセル全開で行ける。そういうことなんだ。

復興を考えるにあたって、そういう見通しを持たなければたぶんブレーキしたままだろう。「見通し」を描いてみせる力がなければならない。濱口梧陵も孫正義もそういう力があるということなんだ。(たぶん)