「罪悪感」がログ=30の低次元意識。

 

 

 

「罪悪感」を持つ必要などない

 

罪悪感を持つ必要などないんだ。

これは、とても重要なポイントだよね。

 

「〇〇さんが、私たちの罪を背負ってくれた!」

これを完全否定なのが、実は宇宙なんだ。

 

「罪悪感を完全否定って、誰が言ったのか?」

ではなく、

宇宙には「罪悪感」という可能性も存在しているわけだけど、それを選ぶという選択肢が宇宙にはないに等しいんだよね。

 

 

 

「罪悪感」は勘違い!

 

人間が神から人間になった理由というのが、「罪悪感」を抱いてしまった「誤解」にあるということなんだ。

「罪悪感」は、誤解! 勘違い! 勝手な妄想!

誤解したから、人間次元に落ちた・・・という意味なんだ。

 

あの物語は、そういうことを言っているんだけどね。

そう、「アダムとイブの話だよ!」

2人の身体の違いに気づいて、恥ずかしさを感じて、リンゴを食べたことで起きた、やってはいけないと言われたことを守らないから起こったって、罪の意識が芽生えた勘違いの話だよ。

 

どこで意味がすり替えられちゃったのかな?

現実は現実。

でも、1つの固定観念によって誤解したから人間になったって話ね。

 

 

私たちが

  • 勝手にネガティブに誤解し、
  • 勝手にネガティブに勘違いし、
  • 勝手にネガティブに妄想すると

いつでも、もれなく、3次元落ちすることになります。

これは確実です。(笑)

 

まぁ、ネガティブな固定観念を抱いた時点で3次元落ちするんですけどね。

一度次元落ちすると、ドミノ倒しをするようにすべての現実に対して次々にネガティブになって、波動が下がっていくんですよ。

止めるのが大変なんですよ。

 

 

 

ところで、

自分の行動によって、自分にとって、誰かにとって都合の悪い現実が起こるとき、「罪の意識」は生まれているよね。

いいことが起きて「罪の意識」を感じる人はいないからね。

いいことが起きたら「俺のお陰?」(笑)

 

どちらも勘違い。(笑)

勝手な解釈。

勝手な妄想。

 

 

複数の理由を考える

 

勝手に誤解し、勝手に勘違いし、勝手に妄想する人ような人は、じゃ~どうしたらいいのか?

 

可能性に沢山気づけばいいだけなんだよ。

1つの答えを勝手に決めなければいいんだよ。

 

何か自分にとって都合の悪いことが起きたとき、毎回最低でも2つ、

  • 「本当は都合が良いことが起きているかもしれないという理由」と
  • 「ネガティブな結果になる理由」を

考えてみればいいんだよ。

 

いくつもの理由があるかも知れない可能性っていうのを認識する癖がついていれば、「罪」などという意識は発生しないからね。

 

あの物語は、お互いの身体の違いを見て「素敵!」って思って、これは「ご褒美!」って思っても良かったってことなんだ。一緒にリンゴ食べて「美味しかったね!」

「ラッキー!」「最高~!」って物語でも良かったんだよ。

 

沢山の可能性があった。

その中で、勝手な妄想によって1つの物語が生まれた。

本当は、それだけなんだな。

 

 

 

「罪」の意識を感じた・・・

 

勉強を教えてあげなかったので、弟が受験に失敗した・・・

えっ?

あなたが勉強を教えてあげたか、あげなかったかは、弟の受験の失敗と必ずしもリンクしているわけではないでしょ。

弟さんの1つの知識が増えた可能性はあるかも知れないけど、それが受験直の合否と直接の関係はないでしょ。

教えてあげなかったから、自分で学ぶ力が付くってこともあるしね。

考え過ぎ!

ネガティブ過ぎ!

過保護はいい加減にしないとね。

自分の力で生きていく道を切り開くことが大切だよね。

 

ところで、あなたが後悔するのは、何故?

自分の本当にしたかった行動じゃなかったってこと?

愛を込めて行動しなかったってこと?

だったら、今度からは自分の本音で行動すればいいことなんじゃない?

自分の人生は自分の担当。

自分の本音で選択して、行動すること。

弟さんの人生は、弟さんが選択して行動すること。

人にはそれぞれの担当があるんだよね。

他人が入れないラインがあるんだ。

弟さんの今後を見守ってあげればいいんじゃない。

 

 

 

電車で座っている席を譲らなかった・・・

電車に乗って座っていたとき、目の前にいる高齢者に気が付いたんだけど、疲れていたから席を譲ることなく寝たふりをしていた。そしたら、その人が転んでしまった。罪悪感を感じた。

 

なるほど・・・ありそうだね。

絶対に〇〇しなければいけない・・はないよね。

高齢者は〇〇っていうのは、決めつけだからね。

体力のある人もいるしね。

疲れていたんだったら、それが自分の本心だったらいいんじゃないの?

今、何がしたいかは自分で決めること。

それは他の人と関連づける必要などないよね。

 

転んでしまったのは、その人が選んだこと。

転んでしまったのを見て、座った方がいいんじゃないかなと感じたら、席を譲ればいいんじゃない?

自分の本当の気持ちで1つひとつ「今はこれをしたいから、これを実行する!」って区切っていった方がいいよね。

一つひとつの現実を、他人と関連づけないこと。

それが大事だと思うよ。

 

「罪悪感」ってあまり意味のない感情なんだよね。

「罪悪感」が出たからって何も変わらないでしょ。

1人よがりな感情だよね。

それより、今、自分が何をしたいかを誠実に実行する。

それが大事じゃないのかな?

 

 

 

食べると太るとわかっていても甘いものを食べてしまう・・・

そんな自分に罪悪感を感じる・・・。

食べたいなら食べればいいんじゃない?

罪悪感を感じんがら食べるなんて勿体ない!

 

食べると太る?

誰が決めたの?

その法則を自分で信じたから太っているんじゃないの?

 

本当は、太りたいから太っているんだよね。

食べ物とは関係ないのよ。

何で太りたいの?

それを自分に聞いてみたら?

太ると何か都合のいいことがあるはずなんだけど。

それが太る理由だと思うよ。

 

「太りたくない~~!」って気持ちの波動が、「太りたい~!」になっている可能性があるよね。

行きたくない方向を意識しすぎて、自転車のハンドルがそっちを向くようにね。

スリムになって自由に動いている自分をイメージしてワクワクしてみれば~?

宇宙は意識だけど、元は波動だからね。

自分が考えていることと、出している波動が違うってことが多々あるんだよ。

 

 

*****

 

 

わたしは「罪の意識」というのを感じることがず~っと長い間無いから、あまりわからないんだよね。

 

何故意味のない「罪の意識」に振り回されちゃうんだろうね?

趣味になっている人が多いように思う。

 

「反省しなさい!」って親や、学校の先生が常に言っていたからかな?

でも、反省することと、「罪の意識」を持ち続けることは違うよね。

いつまでも反省を抱える必要はないよね。

真摯に向き合って、自分に正直に行動して、1つひとつ終わらせておけばいいことだよね。

 

 

必ずしも人生で必要なわけではない、出番の必要ない意識だから、そしてもうたくさん味わったならば、

「もう、いらない!」

「ポイ!」

でいいのかもよ。