新しい意識は、
結婚のような制度とはなんのかかわりもない。

新しい人間は、
制度としての結婚には自然な不信を抱くだろう。

新しい人間にとって
男女の関係は、互いに高め合い、


成長し合い、
流れる関係であって初めて深い価値を持つようになる。


儀式としての結婚や、
およそ永遠ではないことを証明するような、永遠の誓いなど少しも気にかけない。


瞬間を愛し、それを完全に生き切る。

 
結婚に未来はない。


愛には未来がある。


過去には、
愛は現実ではなく、結婚が現実だった。


未来では愛が現実になり、結婚はますます現実味を失う。


過去には、人びとは結婚し、そのために少しずつ好きになり、愛するようになっていった。


未来では、
人びとは互いに好きになり、
愛し合い、そうなって初めていっしょに暮らすようになる。


過去では、
まずいっしょに暮らすことが先だった。


当然、いっしょに暮らすと、
好きという気持ちが生じ、依存が生まれる。

それは必要現象だったのだ。


夫は妻を必要とし、
妻は夫を必要とし、

そして子どもたちがいっしょに暮らす親を必要とした。


それは、多かれ少なかれ、
経済現象だった。

とにかく、愛から出たものではなかった。


未来は、純粋に愛に基づき、
愛がある間だけ存続するという、
違った種類の関係を経験することになる。

そして、それが永遠につづくことを強く求めることはなくなる。


生において、
永遠のものはなにひとつないからだ。


永遠なのは造花だけだ。


本物のバラは朝に生まれ、
夕方にはなくなっている。

が、それが彼らの美しさだ。


生まれるときも美しく、
その花びらがしおれていくときも美しい。

その生は美しく、
その誕生は美しく、その死は美しい。

なぜなら、生気があるからだ。


造花はけっして生まれず、けっして生きず、けっして死なない。


結婚は過去における造花だった。

新しい意識には結婚に敬意を払うことなどできない。

新しい種類の親しさ
——友情を創造しなければならなくなる。


愛、そしてあらゆるものごと、その永遠ではない現象と共に生きることを学ばなければならなくなる。


Osho



一人でなってみる。

ひとりで暮らしてみる。


そうすると…
どれほど周りに依存していたかを知る。



だから…
ひとりになった事がない人の自立話は
ハートに届かない。



独りでいてもいいし、
誰かと一緒にいてもいい。

しがみつかない関係。




ー 依存からは愛は生まれない。




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