それがマインドに入ることをあなたが許可するものだけを見るがいい。
人びとは無意識だ。
ありとあらゆるものを読み続け、
どんなにばかげたテレビ番組も見続け、
どんなにくだらないうわさ話も伝え続け、
互いの頭にごみを流し続ける。
不必要にごみを背負うような状況を避けなさい。
あなたはすでに背負い過ぎている。
あなたは荷を下ろす必要がある!
本質的なことだけを話し、
耳を傾けるがいい。
すると徐々に、
まるでたった今入浴したばかりのような清浄感、無垢な感覚が、自分の内側に起こり始めるのがわかる。
それが、瞑想が起こるために必要な土壌となる。
もしあなたが、マインドの中のいくつかのすき間を何にも占められないままにしたら、
そのとらわれていない意識の瞬間が、
瞑想の最初の一瞥、
彼方なるものの最初の貫き、
ノーマインドの最初の瞬間になる。
Osho
人々をそっとしておくといい。
本当に人々を導きたいなら。
むやみやたらに刺激を与え続けるより
そう在るほうが
より内なる自己と繋がり、
より覚醒に近づく。
放っておかれると困る。
忘れ去られると困る。
と、あれやこれや騒々しく
行動を続けるのは、
それはなぜなのか。
それは果たして利他なのだろうか…
「 いまここ 」
「 無心 (ノーマインド) 」
と言葉で言うのは簡単だけれど、
頭の中は2025年のアレやこれ…
2024年はどうだのこうだの…
占いやら占星術やら
マインドがたいそう忙しい。
「今、ここ」にいる人は
そのような簡単な売りの話はしない。
ハートはとても静かだ。