神は大いなる慰めだが、
それは治癒ではない。


実在は慰めではない。


それに調和することは健康的であること、欠けるものがないことだ。

世界のすべての宗教が神を教えてきた。

私はあなたに実在を教える。


私はあなたに自分を取り巻くものと、
自分の内と外にあるものと調和しなさいと教える。


いったんそれと調和したなら、
あなたにとって死はなくなり、
惨めさはなくなり、
緊張はなくなり、
心配はなくなり、
とてつもない安らぎが、
これまで夢に見たこともない充実感が、
あなたを取り巻く。
 

神は意識が成長できない人たち、
意識に関して発達が遅れている人たちのためにある。

それは言ってみればおもちゃだ。


発達が遅れている人たちにはそれが必要だ。

それはおもちゃだと私が言ったとたんに、
それをどのようにつくるかはあなたしだいということになる


— 猿のような見かけにするか、
象のような見かけにするか。


その神に4本の手をつけるか、
千本の手をつけるか、
それはあなたしだいだ。

それはあなたがつくるものだ。

なのにおかしなことだが、
人間は神がすべてをつくったと信じている。

神とは人間の意識の貧しさの表れにすぎない。
 

ブッダのような、
内なる意識とその最高峰に達した人たちは、神の存在を否定した。


内面が健康になって、
本質的に病んでいる心(マインド)を超えた人たちは、みな神を否定した。


虚構である神は幼稚園の子どもたちにはいい。


彼らにはそれが必要だ、
物語、寓話、お話が。

しかし、幼稚園を超えた人間はごくわずかしかいなかった。


神が存在するのは、
あなたが自分自身に気づいていないからだ。

神が存在するのは、
あなたが自分自身の中心と接触を持ったことがないからだ。


自分自身を知ったとたんに、
神はいなくなり、
どのような神の必要もなくなる。



Osho


猿のようにするのか、
象のようにするのか、

何本の手をつけるか、
はたまた、尻尾をつけるのか…



幼稚な空想的
スピリチュアルに飽きた方、


実在への探究」へと向かう瞑想は
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