6月に入って、ありがたいことに急激に忙しくなってきた。音楽だけに限らず、人との繋がりって大切だなぁと改めて実感する日々を送っている。様々な職種の様々な人と、応援して下さる皆様に支えられて今の私がある。
頂いた縁に対してしっかりと恩返しするには、やはり作る音楽と今後の活動内容に尽きると思う。


そう、私の音楽には常に相手がいるのだ。


 なんの話だ?と。
まぁまぁ、最後まで聞いて下さいな旦那。





 自粛期間であった4月、5月の間に11曲作って配信等で披露したわけだが、どうにも作曲に対して自分の記憶力が追いついておらず、最近まとめて歌詞を清書したうえでファイリングするというエセ事務作業に勤しんでいる。そこで自分の曲を振り返ったわけだが、気付いたことがある。


私の曲には、極端に失恋ソングが少ない。
というかほぼないのである。


 かろうじて2曲。活動を始めて2年半、人前で披露した自分の曲は60曲を超えたわけだが、その中にわずか2曲である。まぁもっと言うと、ラブソング自体があまりないわけだが。


なぜか、を少し考えた。


 自分の中での結論は、「失恋ソングは、相手がいるように見えて実はいないから」である。


 先に断っておくが、これは私の曲に対する想いであり、全ての曲、全てのソングライターさんに共通するものではない。ただの私の考え方である。そこ、勘違いしないように読み進めてほしい。




 さて、どういうことかと言うと。
自分の失恋ソングがそうであるように、所詮は自分の感情の吐露に過ぎないのである。伝えたい相手は自分の感情(または空想)の中にしかいなくて、それはもはや相手には届かない想いなのだ。さらに言うと、届かないことが前提なテーマの曲も多いように思う。
言葉にすると難しいけれど、とにかく相手がいるようで、実は自分一人で完結してしまうテーマなのだと、私は思っている。



 もちろん、聞き手の気持ちを代弁することで得られる共感も大事だ。それは理解した上で、私の活動テーマの中にはあまりないカテゴリーなのだ。




 だからと言って、「意地でも失恋ソングは書かない」という気も、「あの人は失恋ソングばかり書いてる」なんてあらぬ方向に矛先を向ける気もさらっさらない。ただただ自分自身の中の真実として、常に「今、伝えたい言葉」を書いているつもりなので、書かない。というだけである。そりゃあ私だってたまには書く。たま〜に、は。



 自分自身を見つめ直す曲もあるが、それは「自分を知ってほしい」というメッセージなので、必ず相手がいる。

 伝えたい相手がいて、伝えたい想いがあり、それを伝えるために曲を書いているのだから、自ずとテーマは偏っていく。しかし、その中の派生として、様々なカタチを追求していくわけである。







あなたに伝えたくて
歌っているのです。
受け取ってもらえると嬉しいです。