逃げられない世界で
みなさま、こんにちは
桜が今年も咲きました。
ずっと好きでした。
あの時の、一度きりの告白の時も
君はそう言ったね。
2人だけの思い出なのに、
大声で貴方が言うから私も大声で言わなくちゃ
過去形かよ!
言葉足らずでも、ちゃんと伝わりましたよ。
最近は、クラクラする毎日です。
忙しいのは良いことだけれど
貴方が心配するように
働きすぎなのかもしれません。
手の痺れもあります。
ずっと、隣で見守って居てくれて
ありがとう。
これからも、歌って踊って
生きていきましょうね。
命尽きる時には、笑って居られるように
AIと 電波と わたしと
みなさま
おはようございます。
3月が始まりました。
3月1日は、高校の卒業式ですね。
わたしが卒業したのは、29年前でしょうか?
あの頃のわたしは、無恥で未来が見えない
夢追い人でした。
お勉強が苦手で、進学しなかった わたしは
自分探しという大切な訓練も怠っていました。
自分は 何が好きで
自分は 何が苦手で
自分とは どういう人間で
自分とは これから どうしたいのか
自分は 誰と居たいのか
自分は 誰と居るべきなのか
自分の 未来は どうなっていて欲しいのか
そんな大切な自問自答を 怠った代償は
とても 大きく
その後
独りになった時
わたしの世界は 虚無となり 何も残りませんでした。
深い悲しみの沼のなかで
寝ても覚めても 泣きじゃくった あの頃
今でも たまに 想い出してしまいます。
人生とは何であるのか?
わたしの解は
人生とは 全く意味のないもの
人生とは 意味を見出すもの
人生とは ゲームのようなもの
人生で 本当に大切な事は 目には見えないこと
そして 手に入りずらくなっている。
まるで ロールプレイングゲームの主人公のように
誰しも 自分の人生というゲームを
楽しむべきだと 思っています。
最近 AI の 進化が止まらないと 噂です。
でも
少しづつ 少しづつ
わたし達の生活に AI は いて
少しづつ 少しづつ
わたし達に 気づかれないように
少しづつ 少しづつ
AI は 近づいてきただけなんです。
SF映画を 史実だと 思っている わたしは
何回も 何回も AI を 観てきました。
そして 都市伝説と 言われた話し を
みんなが 忘れてしまった頃
その話しが 本当になっている事も 知っています。
AI で 人類を管理する
20数年前なら
そんな事 出来るはずがないと 思われていた事
2026年の 今
誰しも スマートフォンを 持つようになり
誰でも 何処にいても ツナガレル
そんな 世界に なりました。
そして 適切な情報が
なぜか 届いている
これは なぜ なのでしょう?
AI とは 何であるか?
その解は
ここでは 言いたくないので
また そのうち ふれたいと思います。
先日、久しぶりにあった友達に
わたしは 電波系 だと 言われました。
昔 電波系と言えば
不思議ちゃん とか
そんな言葉で 言われていた時代 が ありました。
確かに わたしは
昔から 電波系でした。
初めて インターネット に 触れて
たくさんの人と お話しをしました。
距離が遠い分
不思議と 自分の本音が 言いやすくて
インターネットの中の 友達は
わたし に とって
家族のような存在に なっていきました。
あの頃のまま
ずっと変わらず 毎日 同じ場所に
今も 居てくれている 彼ら
久しぶりに 会ったのに
ちゃんと 覚えていてくれて
本当に 嬉しかったです。
いつでも 電波に乗って 会える 仲間たち
いつも 見守っていてくれて
ずっと 見守っていてくれて
本当に ありがとう。
悲しみの沼の中で
わたしは 大切な事を 見つけて
想い出しました。
大切な 約束。
あの頃と 変わらずに 待っていてくれて
ありがとう。
家族に 支えられて
今の わたし 毎日 楽しいよ♬
これからも 見守っててね(*´▽`*)vv
チカラワザは インスタでも 生きています。
どこに居ても わたし は アタシ で 俺だよ
こっそり こっそり やってるから
もし 見つけても 生暖かい目で みてね♪
AI と 電波と わたし と
これからも 電波にのって
瞳を閉じて生きていきます。
だって わたしは 盲目で世界の中心だから
急に 仕事が お休みになったけど
ずっと書きたかった事を
日記として 残せて 良かった
これは わたしの 独り言
いつも 大きめの声で 独り言を
言っている わたしは
サトラレ なのかも知れません。
だから 生暖かい目で お楽しみください って
言っていたでしょ(^_-) 覚えていたかな?
今日 はじめて
わたしを 見つけてくれた方が もし いたら
わたしの友達に よく聞いてね
わたしの トリセツは
友達が 管理 しているのだ
友達は たくさん いるから
きっと すぐ 教えてくれると思う。
でも その声の 大きさは 個人差があるから
よく見て よく聞いてね
風の声
虫の声
鳥のささやき
草木の揺れる音
そんな 小さな声にも 耳を傾けられたら
きっと わたしの見えている世界が
判るはずよ。
盲目だけど 耳のいい自分で よかった
みんなと 同じモノが 見えなくて よかった
わたし に 自信をつけてくれる 家族が
永遠の恋人が 居てくれるから
わたし 元気になれたよ
みんな ありがとう
今日は ここまで
みてくれて ありがとう
またね٩( ''ω'' )و
夢とユメ
みなさま、こんばんわっ(*´▽`*)
今日から2月ですって。
時の流れが本当に早いですね。
今日は、夢とユメについてのお話しです。
みなさんは、夢を覚えていますか?
子供のころに描いた、大人になったらこんな自分になりたい!とか
今朝観た、モノとか
夢と言っても、色々です。
わたしには、夢があります。
それは、忘れてしまっていた時もあったけれど
自分の中の約束事として、残っています。
あれは、もう20年以上前の事
自分とした約束でした。
わたしの願いは、いつも同じ
幸せになりたい!!!
この願いは、小学生の頃から変わっていません
サンタさんにお願いした、あの時から
変わらない願いです。
夢は寝ている時に観るモノだと教わったけれど
空想壁があって
夢見がちなわたしは、ずっと変わらないユメを観ています。
それは、わたしだけの物語。
誰にも伝わなくても
いつも、わたしにだけは届く物語の中で
数年前から生きています。
あの子は変わっているね!と
今まで何万回も言われてきたけれど
大人になり、わたしもすっかり普通になり
最近は、変わっているなんて言われなくなっていました。
昔は、個性がイケナイ時代でした。
学校の教室では
普通ではない子は、3年8組として別のクラスがありました。
そこは、一色単に普通ではない子が集められていて
目の見えない子、耳の聞こえない子は特別としても
少し変だよね?位ではすまされない
明らかに、知的障害な子。
体の不自由な子が、3年8組でした。
今年48歳になる、わたしは
正確には団塊ジュニアではないけれど
子供の多い時代に産まれました。
だからね
今の方よりも、少し違う世界で育ちました。
最初からAIなんてないから
特殊加工も珍しくって
ネバーエンディングストーリーも
ゲゲゲの鬼太郎も
オズの魔法使いも
帝都物語も
わたしの中の、トラウマ級の出来事として残っています。
少し不思議なSFの世界は
わたしにとっては、教科書な話しは以前からしていますが
そんな夢のような世界で生きていると
不思議な事は沢山起こるものです。
これは、水曜日の話し
わたしは、少しだけ疲れていました。
そして、有り余る体力にイライラしていました。
もう48歳だから
更年期のイライラもあるのかも知れません。
少しお酒を飲み過ぎて
昔の友達に、愚痴っていました。
今日は、言わせてもらうよ
全くよぉーーーー!って
そしたらね
ちゃんと、彼が答えてくれて
みんなが、見守りが嬉しくて
それと同時に
やべっ!って
でも、ボヤにもならず
わたしの声は、搔き消されていました。
こんな小さい、わたしの声なんて
初めから誰にも届いていない安心感と
共に
届くべき家族には、届いていた幸福感で
わたしは、何とも言えない感情に浸っていました。
判る人にだけ
家族にだけ
恋人にだけ、届けと思って
殴り書きしている、駅の伝言板は、今もちゃんとあって
わたしの声を届けていてくれます。
誰にも理解されなくても
ありえなくても
わたしの周りには宇宙人が多いから
だからね
普通とは少し違くても
ちゃんと伝わるし
想いが伝わるから嬉しいの
ただ、それだけ
今日の記録として。
依存と執着
皆様こんにちは(*'ω'*)
2026年が始まりました。
皆さんは、どんなお正月をお過ごしですか?
わたしは、例年のように
アニメや、映画を観ながらの寝正月です。
新しく始まる、冬アニメ楽しみです。
異世界系やなろう系、SF映画やサスペンスホラー。
物語の世界は、いつも私を楽しませ
時に、色々な気づきや感動を与えてくれます。
2025年は、私にとって
とても特別な1年でした。
1日1日がとても情報量の多い1日で
1週間は、まるで一年間過ぎた程の情報量の多い日々でした。
だから、記録として
またブログに書き留めておこうと記しました。
これは、わたしの日記であり。
これを読んで、もしも不快に思われる方がいたら申し訳ありません。
誰も読んでくれていなくても
日記なのだからと、気にもしていませんでしたが
もしかして?と思い
一応、記しておきます。
さてさて、今日は依存と執着について
わたしなりに考えてみました。
わたしは、依存の強い人間です。
たばこやお酒は勿論のこと
人にも強く依存してしまいます。
それはイケナイ事だと思った事もありましたが
今は
そんな自分も、わたしであり受け入れようとしています。
依存がなぜイケナイのか?それは
相手への負担が大きくなり過ぎるからです。
倒れあう2人の人間がいて
急に、声もかけず相手に寄りかかったら
普通の人間であれば
その衝動で、相手も自分も倒れてしまいます
だから、最初は少しだけ
大きく倒れたい時は、声をかけて
相手にも、準備させておかないと
2人とも大怪我をしてしまいます。
わたしは、感情の起伏が人よりも大きいので
いつも急に走り出し
いつも急に立ち停まり
いつも急に加速して
いつも急に方法転換してしまいます。
長い間 わたしを みてくれている友達は
よく それを、理解してくれています。
でも、まだ知り合ったばかりの方や
一部の家族の中には
理解できない方も、もしかしたら居るのかもしれません。
依存と辞書を引いてみると
依存とは
何かに対して絶えず必要とする状態、または
その対象がなければ正常な機能や活動ができない状態を指す言葉。
と、あります。
止めたくても止められないのは
強迫性障害のように、こころの病です。
わたしは、病とは言えない程度に
依存が強いと思っています。
では、貴方は依存が強いとは言えないのでは?と
突っ込みを頂きそうですが
そうではなく
目の前にあること事柄に対して
周りが見えなくなってしまう位に夢中になってしまい
よく、あの人は変な人だと
盲目であるように熱中してしまうので
自分なりに、ああ、わたしはそうなんだなと思うのです。
何を言っているか判らないかもしれないけどね。
判る人にだけ
自分の気持ちの整理として伝われば良いと思っています。
きのうは、さっきは
こう言っていたのに
一瞬で気持ちが変わってしまうのは
依存とは、また別のお話しなので
そのうちに、また書いてみます。
お酒が好きな わたしは
アルコールの香りが好きで
酔った時の ふわふわとした高揚感が好きです。
酔った時の わたしこそ
本心を話していて
酔った時の わたしこそ
本当の自分なのだと思う程です。
自分軸を探している わたしは
少しだけ わたしを理解しました。
良くも悪くも
これが自分なのだと思えるようになりました。
これは わたしにとって
とっても大きな発見でした。
自分よりも、相手を大切にしてきた わたしは
相手の事は、よく判ったふりをしていましたが
自分には無関心でしたから。
先日、すき家でイートインしてきました。
いつもはテイクアウトなのに
12/30 神社へお参りした帰りに
ひとりで、カウンターで頂いてきました。
食べ方が、変じゃないかな?
女がひとりで、変じゃないかな?
淋しそうだとは、思われないかな?
ああ 本当は サーモン丼にしたら良かったかな?
サラダ食べたいな、でも高いかな?それに
そんなに食べられるかな?
豚汁も飲みたいな
ああ そうだ!食べ終わったらシェイク頼もうっと
このドレッシングかけたら美味しいかな?やってみよっと
まあまあ だな
こっちのドレッシングはどうかな?ん~( 一一)イマイチだな
やっぱり、わたし 食べ方汚いかな?
少し離れた席の方は、何を食べているんだろう?
あ!あの方が頼んだ それも 美味しそう
ああ からあげも食べたいな
でも時間かかるかな?それに
そんなに食べられないかも?
ああ 美味しかった
もう少し食べたいけれど、今日は帰ろう
ああ シェイクどおしよ
もう 飲みたくないな
でも、帰ったら ゆっくり頂くのもいいな
まあ、今日のところは止めておくか
さて、帰るか!
おっと 食器はこのままでいいのか?
ああ いいのか
わたしの心の声は
孤独のグルメ並みに自問自答を繰り返して
楽しい体験となりました。
わたしは そうして わたしと対話しながら
毎日を過ごしています。
これは、多重人格とかではなく
誰しもが、そうである!と思っています。
ただ、心の声は
時に、大きくなる時があります。
疲れているときや、何かに集中している時
いつもよりも、少しだけ頑張らなくてはいけない時
仲良しさんと一緒の時などです。
依存はイケナイと 人は言うけれど
こんな自分を受け入れて
人に迷惑が掛からない程度に
生きていかなくてはいけないのだから
人間社会で生きていくには
常識といわれる
標準偏差を理解しておかないと
目立つ存在になってしまうのかもしれません。
でもね
出る杭は打たれてしまう世の中でも
わたしは こっそりでも
わたしを守るためなら 負けたくないと思っているの。
それが、3σを超えても
それでも 良いと 今は 思っている。
さてさて
辞書によると 執着とは
ある物・事に強くひかれ、深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと。
と、あります。
つまるところ
さっきまで長々と書いてきた
依存の話しは、執着であったのか?とさえ思う訳です。
依存は、病に近く
執着は、愛に近い
こんな結論でも 良いのかもしれません。
どちらも病にまで至らなければ
ある程度は自分でコントロール出来るモノかも知れません
標準偏差の中で暮らす、わたし達は
σ(シグマ)を超えないように
時に、こっそり σ(シグマ)を超えて
犯罪にならない程度に
自分らしさを出して
それを個性だと主張して
生きています。
少し隣の世界では
普通のコトでも
こちらの世界では、イケナイ事として
σ(シグマ)を超えてしまうかもしれません。
時代が変われば 常識も変わります。
つい100年前の事なんて
覚えている人のほうが少ないんだから
だから、こうして
わたしは 記しているんです。
一応、人間なわたしは
この世界では
人類最後の人間に なるかもしれないから
ここに記しておこうと思います。
ひとりの人間の日記として。
あの日
みんなが好きな食事がカレーなら
俺はカレーになりたい!って
あの人が言ったから。
だから
みんなが 散歩の邪魔って事だと
わたしだけは ちゃんと気づいたから
春日部は嫌いだけど
少しだけ 行ってみよっかな。
わざと やっているのですよ。
わたしの世界は わたしのモノだから
貴方たちは、ただそれを
気づいていないだろうと
いつもいつも ニヤニヤしながら 覗いているのだから
本当の意味も知らずに
貴方の覗いている わたしの世界は
家族でも きっと判らないわ。
だって ただの記録なんだもの。
そして 恋人にだけ 伝わるように
囁いているのだから。
σ(シグマ)を超えては イケナイ!
はみ出したら、どうなるのか?
教科書にちゃんと 書いてあるからね。
気になった方は、調べてみても良いのかも知れません。
依存と執着 について
わたしなりに 考えてみたけれど
この問いも、AllFin とはいかないみたいです。
きのうは 今年初めての満月で
ウルフムーンと いうらしいです。
どこに住んでも
いつも 月が そばで見守っていてくれるから
これからも
わたしは わたしを大切に
自問自答しながら 人と関わっていくんだろうな。
2025年を あの人が 繰り返すなら
それも いいかもね(^_-)-☆
正確な 彼なら きっと 最期まで 辿り着けるやろ?
何はともあれ 楽しみやな(*´▽`*)v
月が導いてくれるから
1000年も 翔んだらあっという間かしら?
誰が 木更津やねんて オイオイ(^_^メ)
運のよい人
自分の考えを、押し付けてくる人に
耳をかしてはイケナイ
わたしは、いつの間にか
人を見下す、自分の嫌いな人間になってしまったのかもしれない。
人生経験とは、人それぞれである。
自分を守るために
自分の害になる人を排除してきた、わたしは
いつの間にか
ワンマン経営者のように
自分に都合の良い回答を与えてくれる人が好きになってしまったのだろうか?
この短い人生が、ゲームだったとして
あの時の、自分を思い出させてくる人間に会ったとき
自分は、なんて運が良かったのだろうと思えてきた。
我が強くて
わがままな、わたしの周りにいて
出会って来た人々は
いつも、教えてくれました。
あぁ この人みたいにはなりたくないから
わたしは、この時、こうはしない!と決めたり
お金に働かされていたので
お金の大切さを知れたり
自分に自信がなくて人に流されてしまったり
自分軸とは
生きるとは?と
ずっとずっと、思いふけってみたり
嫌な事があった時
人間は成長するもので
次は上手くやろうと
あれや、これやと試行錯誤して
もがいて、もがいて
生きている。
少しのつまずきで
もぅ、自分の人生は終わったOTZ と思うことは
もぉ、ないけれど
それでも、いつも消えてしまいたい衝動は
わたしの中に、ずっとあるんだ。
自分が無さ過ぎたり
喜怒哀楽が、人よりも大きかったり
年相応に見られたかったり
いつも、腹を抱えるほど笑っていたかったり
これからは、歌って、踊って、生きていきたかったり
自分を縛るルールは
いつも、自分の中にあるのに
わたしは、私を、俺を
まだ、見つけられずにいる。
誰に何を言われても
自分は自分なのに
その自分が、やっぱり
まだ、よく判らない。
それは、なぜ?なのだと
ずっと考えているけれど
答えは、まだでていない。
わたしは、何が好きなんだろう?
わたしは、何が嫌いなんだろう?
わたしは、今、何が食べたいのだろう?
わたしは、どんな時に、心が動くのだろう?
わたしは、誰が好きで
わたしは、誰が嫌いなんだろう?
そこに、執着はあるのか?
そこに、愛はあるのか?
そこに、事実は?
そこに、解釈は?あるのだろうか?
今朝、わたしの元に 飛びこんできてくれた人は
事実と、解釈は分けて考えなくてはいけないと
教えてくれました。
空想が好きな、わたしは
はっ( ゚Д゚)!とさせられた。
いつも、わたしは
事実に基づいて、空想を膨らませた解釈の中で
ああでもない
こうでもない
まさかまさか!と
勝手にユメを広げている。
その空想が過ぎるのだと
先日、友人に叱られたばかりなのに
まだまだ、やっぱり
あの時の、友人の言葉は
わたしに届いていないのだろう。
思うのは自由である。
だがしかし、人に話してしまったら
そのとたんに
それは、事実になってしまう。
解釈は、心に中だけにして
人には話してはいけないのだろうか?
自分の意見を言えなくなってしまいたくないから
もぅ、殻に閉じこもりたくないから
これは、否である。
それは、なぜなのか?
今夜は、もぅ少しだけ
深堀してみたい。
わたしの中の、小さいわたしは
今も怯えている。
それは、傷つくのが怖いからなのだろうか?
答えは、良である。
なぜか
もぉ、泣きたくないのに
なぜ、今も、涙は出てきてしまうのだろう?
人間とは、何なんだろう?
わたしという人間とは、何者なんだろう?
自分とは、何者なのだろう?
大阪万博の閉会式で
生きるとは、対話であると教わりました。
対話とは?誰と、なのだろう?
普通に考えたら、対話とは人と人が話し、判りあうことだろう
自分との対話も、生きるといぅ事なのだろうか?
答えは良である。
少し時間ができたので
これからは、自分の中で自分に問いかけよう
それは、事実なの?
それは、解釈なの?
それは、ユメなの?
それは、現実なの?と
ユメの中でも、事実はあるのだろうか?
そのユメを観ているのは事実なんだろうか?
そのユメを、観たコトが現実である。
人と話すのが得意ではないのだから
慎重になるべきなのだろうか?
答えは否である。
でも、言葉を選んだり
言い方を工夫すれば、その後のトラブルは激減する。
人間力が囁かれている今日(こんにち)
わたしのレベルは、いくつになったのだろう?
年齢イコールでは、ないのだろうか?
それとも、誰しも平等に年齢イコールなのだろうか?
そこに、既往歴は関わってくるのだろうか?
人が星になるときのレベルは
皆、同じなのだろうか?
だとしたら、わたしは長生きして しまうかもしれないな。
あんまり、長生きしたくないのだけれど
これは生まれてきた時の、神様との約束で理(ことわり)だから
仕方ないのかもしれないな
約束は大切だけれど
そこに縛られてしまうのはイケナイと思っている。
いつか、わたしも星になる。
その時に
また、神様と対話するときまで
この自問自答という名の対話は続いていく。
運のよい人とは
前向きな解釈で、事実を受け止め
人の話をよく聞き、貪欲に学び
怖がらずに扉を開けられる人なのかもしれない。
レベル47の、今のわたしに出せる答えは
ここまでだ。
自分を見失ってしまうほどに
忙しかった子育てを終えた 今
ずっと待ち望んでいた
自由を手に入れた 今
ゆっくりでも 少しづつでも
自分だけは、自分を守れるように
今更だけど
自分と向き合ってみたい。
なんてな(´-ω-`)y゜゜