背景
2020年に発覚した河井事件により、前児玉市長と現在も安芸高田市議員を務める先川議員がそれぞれ辞職。
無投票で新しい市長が決まりそうな状況に安芸高田市の行き先に不安を感じ、三菱UFJ銀行を退職し石丸市長が立候補。
政治と言えば裏で密かに行われる『根回し』が大切と言われる中、Twitter(現X)やYouTubeを活用し表舞台で政治の課題を公にしていく。
その姿は石丸劇場と呼ばれるほどに容赦無く的確な言葉で古い体質の議会を切り、正義の石丸、悪の清志会・中国新聞をはじめとするメディアという配役を生み出し政治をエンタメ化する。
政治のエンタメ化により、多くの視聴者が地方に蔓延る政治とメディアの癒着、職権の乱用に気がつき、ますます石丸劇場への期待は加熱していく。
原因
加熱する石丸劇場は、明確に正義と悪の姿を映し出した。
あまりにも杜撰な清志会の対応に、『感情』で清志会議員を誹謗中傷する人達が現れる。
この『感情』での行動が今回の件の原因と考える。
「良い事をしよう」という気持ちが、「何としてでも自分の言葉で懲らしめてやる」という行動に変わってしまった。
「自分の思い通りにしたい」という「欲」が利己的な行動を生み出してしまった。
つまり、善を欲が悪に変えてしまうのだ。
言葉で懲らしめようとする行為は、何の根拠もなく改善も生み出さず、行き過ぎると脅迫に変ってしまう。
それは「応援」でも「評価」でも「アドバイス」でもない。
人の力を引き出すのではなく、人から行動力を奪うモラルもマナーのかけらもない最低な行動だという事を、理解できないということがこのような問題を生み出してしまった。
※マナーとは他人が見ていないときでも自分がどうあるか、正しい意思決定・行動ができるか
再発防止のために
人を批判することに自分の時間を使うのではなく、小さな良い事を積み重ねてもらいたい。
ゴミ拾いでもいいし、誰かの応援でもいい。
私達は人である以上、感情での行動を控え、理性的に行動していく必要がある。
良い時は良い。
お金があれば心にゆとりもある。
好きな事をしている時に逃げ出したいという感情は生まれない。
夢に向かって走っている時に、人を批判するゆとりなんて生まれる余地もない。
問題は、自分の人生が思い通りに進んでいない時や、自分の命を全力で何かに使ってない時だ。
情報化社会は便利を生み出した一方で、誰でも自分の言葉を世に広げる権利を得た。
何かに上手くいかない時、人に認められない時に簡単にそのストレスをネットで発散出来る環境が生まれてしまった。
根拠なく、自分の感情で人を批判し、その批判が同じように上手くいかない人の共感を生み出し、承認欲求を満たし、頑張って命を掛けて走っている人にみんなで足を引っ張る行為が加熱する状況が生まれてしまった。
人がやってるから自分がやっても怖くない。
人よりももっとずばり過激な言葉を投げかけてやろう。
自分の言葉であいつを懲らしめてやろう。
そしていいねをもっと稼ごう。
そうして、走っていた人は歩みを辞め、自ら命を落とすケースも現れてしまった。
それでもなお、ネット上での誹謗中傷がやむことはない。
良い時は良い。問題は人生が悪い流れの時にいかに自分自身と向き合えるかだ。
人を批判してネットで賛同を集め居場所を作ろうとする欲は誰にでも生まれるものだと思う。
そんな欲は自己満足しか生み出さず、何の生産性も価値もない事だとあらためて理解して頂きたい。
繰り返すが、良い時は誰だって人を批判することに一生懸命になる事はない。
もっともっと楽しい事はあるし、ポジティブに人から認められる事を行えるからだ。
人生楽ありゃ苦もあるさ。
悪い時は誰にだってある。
そんな時に、人を批判することに自分の時間を使うのではなく、小さな良い事を積み重ねてもらいたい。
その行動が必ず自分の人生をより良いものにしてくれるから。
その行為が自分の承認欲求を必ず満たしてくれるから。
参考:マズローの欲求5段階説
1番タチが悪い人たち
1番タチが悪いのは、法律上問題のないギリギリのラインで人を誹謗中傷する人達だ。
捕まってないから自分は問題ない。
そう思って自己満足を繰り返す人達が1番タチが悪い。
安芸高田市や石丸市長の問題にもそのような輩が存在している。
人は人を変える事は難しい。
変えられるのは自分だけ。
自分だけでも正しく生きようという気持ちを全員が持てたら、余計な心の苦労なんて生まれるわけがない。
1番タチが悪い人たちが、このブログを読んでも行動を止める事はないだろうが、
人を批判する暇があるならば自分が世の中の役に立てるように出来る事から一生懸命生きてみて欲しいものだ。
Special Thanks
このブログは安芸高田市応援団の皆さまと一緒にLIVEで書き上げました。
皆様ご協力誠にありがとうございました。