近年はメディアの発展が著しいです。

どんな情報もすぐに手に入ります。

 

当然、勉強にだってメディアの力を発揮できます。

だって、今ではYouTubeに教科ごとの解説動画は山ほどあるんですから。塾に行かなくてもある程度の情報は手に入ることができる。

 

学校でも先生方はパワポや動画を使ってるくらいですからね。もはやメディアは教育上、ペンと消しゴム同様に「必要不可欠な」勉強道具になってるのかもしれません。

 

実際に、私もこうしてSNSを通して情報発信しているわけですから、ほんと便利な世の中になりましたよね。

 

ただ、こうしたメディアへの批判も集まります。

何しろ、学生にとっては誘惑の世界と言っていいほど、さまざまなコンテンツがあります。ゲームもYouTubeも、最近ではTikTokもそうですよね。

 

(TikTokは永遠にスクロールが止まらないのが誘惑ポイント。気づかないうちに時間が経ってしまうことなんて当たり前にありますからね。)

 

 

賛否両論に分かれる、このメディアを使った教育。

今回は、社会学の中でもメディア社会学を専攻していた私が考える、メディア教育の有無をお伝えしたいと思います。

 

 

結論から申し上げますと、概ね「あり」派です。

 

教育というものは自分自身を自分1人で成長させるところにあります。メディアを使って、自分の成長に必要なものを自分で探し見つける。ある種、これは大事なスキルだと思われます。

 

また、「あり」派である最大の理由は、メディアの性質にあります。それは「データが消えてしまう可能性がある」ということ。

 

ネットの恐ろしい部分ですよね。ネット情報はあくまでもデータ化されています。そりゃ、間違えて消されてしまうことなんて当然考えられます。

 

これは、学生からしたらラッキーなことです。要は、「このネット情報は消されてしまうかもしれないから、忘れないように覚えよう!」と忘れないような努力をするからです。自分にとって必要だと思う情報は、必死になって覚えます。この動きこそが大事なんです。

 

 

もちろん、概ねと言ってるので否定的なところもあります。メディア批判の立場の意見そのままですが、誘惑に負けてしまっては終わりです。

 

これまでの努力が無駄になってしまいます。実験で証拠も出てますから確実です。

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このような形で、私は概ね「あり」という考えを持っています。

 

これが正解であるとは思いません。1人1人違った考えを持ってますからね。

もしかしたら時間が経てば、私の考えも変わっているかもしれません。

 

ただ、少なくとも今はこう考えています。ご参考までに。