面白いことに疑問が生じると

その場で答えは出なくても

別の場所で導かれるように見つかることがある。

 

哲学対話カフェなどに参加して

レンアイを哲学してみたり

「恋の賞味期限について」老若男女話した。(ちなみに私が出した議題)

哲学対話のルールで感心したのが

知識ではなく体験を語るということ。

つい人に語るとき知識をヒケラカシタクなるけれど

体験や感覚や感情の話は聞いてて心地良い。

 

別のところで感情の話をした。

私が強く持つ「悲しみ」について

重さや擬音や回復の過程の話をしたら

「シーン」と静まったのが印象的だった。

私にとって感情についてイメージしたり

どこから来るものなのかという根源や

大事にしている価値観を考えるのは私にとって習慣なんだけど

どうも人とズレてるらしい。(非効率で不器用ではある)

苦しいが楽しい、になるまで抱え込む人は少ないのかもしれないけれど。

相手はコントロールできないけれど

自分を振り返りケアすることは時間がかかるが回復に必須。

手で身体を触り現実に引き戻し摩ったりケアする時間が愛おしい、

緊急避難的に感情と記憶に蓋をしたこともあったけれど

自分のことに責任を持てる感覚が自尊心を取り戻せるように思う。

 

恋愛の話に戻ると若者が別れたサインを読み取って欲しく

いくつかのパターンで解説していたのが面白かった。

そして過去に私がやっていて友達などに引かれた謎も解けた。

 

話すのが少し上手になると

文章を書く欲がなくなる不思議なパロメーター。

 

話すことで肩の荷から手放して

問題と自分を分けて離せるから

楽になるんだろうな。

そんなこんなで気まぐれ更新です。