人体の「縁起ネットワーク」スマホ版 | やすみやすみの「色即是空即是色」

やすみやすみの「色即是空即是色」

「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

  縁起ネットワークという記事で、

  因縁関係にある 時空を超えた

世界の網の目構造」について述べた。


  そこでは「わたしのからだ」の

  外側のネットワーク構造について

                              考察してみたが、

  実は「わたしのからだ」の 内側にも 

  階層(次元)を異にする、もう一つの

  ネットワーク構造が広がっている



  人間の身体において 

  脳が 他のすべての臓器・組織・細胞を

  支配・コントロールしているのだろうか? 

  脳がわたしだろうか? 


  脳死移植という技術は、実は そのような

脳の死はわたしの死である」という

         つまり脳がわたしである」という

   非リアルな 世界観に支えられているのだが、

  そうではなく、脳に限らず 

  すべての臓器が他の臓器に影響をおよぼす

                          メッセージ物質を分泌し、

  血流を介して結ばれていることが

           ハッキリと科学的に証明されている。


  臓器同士が

  互いに影響をおよぼしあっていることが

                                      分かっている。



  しかも そのメッセージ物質は、

  同じものでありながら 

  周囲の状況に応じて、

  伝える情報の内容を変化させるという。


  まるで、

  同じ言葉で違う内容を伝える、または

  違う言葉で同じ内容を伝える

  ブッダの対機説法のようではないか。


  人体において

  脳という 「わたし:主体」 

                             すべてを取り仕切り

  コントロールしているわけではなかった


  とすれば、どうして

「脳がわたしである」などと 

                     言い切ることができようか? 

わたしとは、ネットワークを形成する

わたしからだ 全体のことではないのか? 


  そして「わたし

  わたし単体で存在しているワケではなく 

  外界との相互関係の中で成り立っている

                                            のだから、

「わたしのからだ」に留まらず

わたしの外側にも広がっているもの

                                    ではないのか?


  以上から、

「脳はわたしである」と主張しているのは、

  非リアルな世界観という 仮想空間を創る

の機能を絶対視する エゴである

                              ことが分かるだろう。



  また 臓器同士に留まらず、

  その臓器を構成する細胞同士も 

  互いに 情報のやり取りをし合っていて、

  その細胞も 

  多くは 数週間から数か月単位で 

  生まれては死んでいくことを

                                 繰り返している。


  以上が、

      人体の縁起ネットワークの形である。

                        

  そして、

「わたしの内側」 と 「わたしの外側」 と

「わたし」 の 全部をひっくるめたもの

                      大いなるものである


梵我一如」とは、

  そのネットワークを形作る大いなるもの

    のことを 伝えようとした言葉なんだろう。

非二元  ワンネス」という言葉も、

  同じことを 言おうとしているのではないのか?




  さらに

  一つの臓器に過ぎない 脳の中も また、

  ネットワークシステムで成り立っている。


  一つの課題に対して 

               一つの結果が得られたとしても、

  そこに至る ネットワークの経路は様々だ。

  みな それぞれに違う回路・得意な経路を

                       使って 課題を処理している

  個人の違いあり、 男女の性差の違いある


  その違いは ときに驚くほど大きく、

  インプットとアウトプットは同じでも、

        途中の過程は様々に異なっている

  その処理の多様性(その人らしさ)

  課題解決の可能性を大きく高めている



  また 同じ出来事でも、人によって 

  その捉え方解釈違っていて:認知の違い

  そして その認知の在り方も、

  外界からもたらされる 膨大な量の情報によって、

  日々少しずつ 書き換えられている:無常


  その脳の要素の多様性が、

                  人類の進化をもたらしたのだ。



  脳の中ではそのようになっているのだが、

  多くの人は 

  そのことに気づいていないように見えるし、

  その違いがもとになって

  人間関係の軋轢:苦が起きていることを

                                      知らないようだ。


  人は本質において同じだが

  現象としての在り方は様々に異なっている

           【色即是空即是色】ことを、

  多くの人は知らないのではないか?



  このように、

  人体もまた幾重にも重なった

              縁起システムに支えられていて

  確固として固定された実体というよりは、

  刻々と姿を変える

        無常のネットワークの集合体である


  そして その集合体は、

  内に膨大な要素を抱える

       独立したネットワークであると同時に

  他の集合体とも密接かつ複雑に関わりながら 

  別のレベルネットワークを構成していて、

  より大きなネットワーク体一員:要素でも

                                                 あった



  世界とわたしは、このように

  フラクタクルな構造を形成している。

  縁起とはいのちの在り方(存在形式)

                                            であるが、

  その縁起を 一言でいうなら、

多元的な ダイナミック(無常)で 

  フラクタクル(多層的)な ネットワーク

                        ということになるだろう。




     それがどうした と言われれば、

     どうという程のことでもないが、

     科学もまたストーリーであり

     わたしたちは ストーリーなしに 

     この世を 生きていくことはできない。


     私は このストーリーを面白いと思う。




(最終改訂:2021年12月13日)