「時間」についての 名色分離智
「過去も未来も存在しない」
という言い方をする人がいるが、これは
「過去も未来も実在しない」
と言い換えた方がいい。
どういうことか?
過去も未来も リアルには存在していない、
つまり「実在」していないが、
非リアルな概念として
頭の中には存在している からだ。
「時間は存在しない」という言い方を
聞くこともある。
これは もっと分かりにくい、
誤解を招きやすい表現だ。
言いたいことは、
「過去」 も 「未来」 も実在しない:現実でない
リアルに存在するの(現実)は「いま」
という瞬間(に起きていること)だけだ、
ということだろう。
「過去」 も 「未来」 も
「いま」」 のわたしの頭の中に
概念として思い描かれているだけで、
リアルな現実として
存在しているわけではない。
つまり 「いま」 が リアルな 「色:ルーパ」 で、
「過去や未来」 は 非リアルな 「名:ナーマ」 である、
ということ。
「後悔している過去」 も 「心配している未来」 も、
リアルな現実ではなく、
わたしが勝手に創りあげた非リアルな幻想
(名:ナーマ:マーヤ)である、ということを理解する
ことが、 「時間」 についての名色分離智である。
過去と未来を 「時間」 という言葉で
一括ひとくくりにしてしまうと、
分かりにくくなってしまう。
現実とは
リアルな 「いまここ」 のことであるが、
過去も 未来も 時間そのものも
非リアルな 概念(ナーマ)でしかない。
私たちが経験できるのは
「いま」という瞬間だけで、
時間(の流れ)を
ダイレクトに経験することはできない。
記憶によって、
想が 「時間」 という概念を創りだしている。
だが、
「時間は捨てた方がいい」 という言い方は、
止めた方がいい。
「後悔するような過去」 や 「心配する未来」
は捨てた方がいいだろうが、
「時間を捨てる」 という言い方は、
実にいただけない と思う。
思考:想 が、いつも悪いわけではない。
行と結びつき、識を発生させ、
「苦悩」に取り憑かれたときだけが
問題であり、
想行識複合体を形成することが、
悪いのだ。
(複合体を形成しない)単独の思考は、
人類が生きていくための最重要な武器だ。
そして その武器を使いこなすために、
「時間という概念」 はなくてはならないものだ。
他人をビックリさせるのが目的
のように見える、
自称スピリチュアル・ティーチャーの
気をてらった表現は、 止めてもらいたい。
そんなことを真剣に理解しようとすれば、
かえって混乱してしまうだろう。
(2020年5月13日)