色即是空(15)絶対的な意味(スマホ版) | やすみやすみの「色即是空即是色」

やすみやすみの「色即是空即是色」

「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

  絶対的な意味


  思考【無明】のフィルターが外れた 
              ありのまま【空・非二元】の世界とは
  対象現象状況に「善いとか悪い」という
意味や価値 
      思考によって付与される前の 元の世界

  存在している世界そのものには、 もともと
善いとか悪いという 対になる属性  はなかった
  それは、  人間が勝手に 世界を半分に分け
  片方のそれぞれに 
                    反対方向の意味・価値を与え
  そのような
          見方」 を創りあげた だけのことだ。

  そして  「世界」 だけでなく 「自分」 をも分割し
負のわたし:シャドー 創りだしていたのだ。


  思考に よって
   意味づけられて 価値を与えられた世界」 
  思考を 止めることによって
  その意味を剝ぎ取ってしまった世界」 

色即是空とは
  いったん価値を与えられた「から 
         意味を剥ぎ取り(思い込みを解消し) 
           再び 元のに戻すことである。

  無明とは
  思考が介在する前の 世界と自分の本質が
           「であることを知らないこと

色即是空によって 無明を解消し、
  世界と自分がであることを知れば
(思考)」 の呪縛から 解放され、
       自由自在に生きることが 可能になる


  ここでいう「意味(価値)」とは
  二分された対になる概念の 
                                一方の要素のこと。
  一方だけが 単独で成立することはあり得ず、
  かならず 他方の参照を必要とし
                      それゆえに 相対的であり
  要素・部分としての意味に対して 
          否定/追求比較競争が発生する

     それ(意味)は 常に
     全体【空・非二元】一部でしか あり得ない。
     一方、
     真の実在は 「全体として存在している
     そのことだけに本当の意味」 がある

  ここでいう「本当の意味とは
  対になる概念を持たない(超えた)
  絶対的な意味そのもの」のことである

  それをと呼ぶことにしたいのだが、
「愛」と呼ぶことに 疑問を感じるだろうか。
  でも 私には 
            他に 適切な言葉が思い浮かばない。
  やはりと呼ぶのが  相応しいと思う。

「全体【空・非二元】としての存在」は
                 絶対的な意味」を持っていて、
     そこには「無条件の価値」がある。

存在している」というそのこと自体 
                その奇跡に意味があり
                      それが価値そのもの」
  私は、  それを 「と呼ぶ
                    「愛」とは、 このことである。


  全体を構成する中身(なかみ
      プラスだろうが  マイナスだろうが、
      快だろうが 不快な感じであろうが、
              色々あるだろうが どーでもいい

  絶対的な意味は 中身の条件に影響されず、
   無条件の愛の価値は ピクリとも揺らがない
  中身ではなく、それが存在する 
        広く開かれた の方が本質なのだ。
     「とは、「本質」 の特性である。

  存在するものは(全体として)
                                 すべてOKである
  そのままで大丈夫なんだ
                          OK以外は あり得ない。
ダメというのは
   概念によって判断されたものに過ぎない。

  存在しているというそのこと
                              絶対的な意味である
  すべてOKであるとは、
     完璧なの中にある ということだ。
  生きとし生けるものは みな
     すでに 愛されている(受容されている)

愛されているということは
         「存在を許されている」ことであり、
受け入れられていることであり
         「すべてOKである」ということだ。

  それが 当たり前のことだ。  あるがままだ。
  だから   そのままで いいに決まっている。


「わたし」とは、「わたしという感覚」
        そういう風に「感じられる感覚
                                    に過ぎなかった。

「無我」とは、
     そういう感覚が なくなってしまうこと。
「わたしはいない【無我】」というのは、
     「わたしという感覚」が なくなること。

わたしという感覚がなくなると、
   「わたしはいないという感覚に変わる
「わたしという感覚」がなくなり、
   「わたしは何ものでもないことを知る。
  それは、
  もともとそうだった 自分自身に戻ること

  無我という概念を 頭で理解するのでなく、
  無我は、マインドフルネスで 感じるもの
  マインドフルネス  自分は空」 感じる。
  マインドフルであれば、 「わたしはいない

  その「感じ方」 転換(色即是空の目覚め)
       絶対的な意味(愛)」 を引きだす

  だから、  あなたも やってみてください。



(最終改訂:2022年9月16日)