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アドラー・岸見・古賀
「幸せになる勇気」 はじめに
はじめに:
人々は アドラーの思想を 誤解している。(本当の理解は、 ・・・あまりにも厳しい)
人生における 最大の選択は 「愛」 である。(本当の愛の理解と実践は 生易しいものではない)
哲人 わたしは、 絶対不変の真理として アドラーを語っているのではありません。
いわば、 眼鏡のレンズ【ものの見方の新しい枠組み】を処方【提案】しているようなものです。
このレンズ【見方】によって、 視界が開ける人は 多くいるでしょう。 一方、【アドラーの
見方や その語り口との相性が悪くて】余計に目が曇る という人だっているでしょう。
アドラー心理学ほど、誤解が容易で 理解が難しい思想はありません。
「自分は アドラーを知っている」 と語る人の大半は、その教えを誤解しています。
真の理解に近づく勇気を持ち合わせておらず、
真理の向こうに広がる景色を 直視しようとしないのです。
もしも アドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」 と言っている人がいれば、その人は アドラーを大きく誤解しています。
ほんとうの理解であれば、 その厳しさに 身を震わせることになるはずだからです。
【ほんとうの理解であれば、 必然的に 実践をともなう。 そして その実践は とても厳しい】
アドラー心理学を ほんとうに理解して、 生き方まで変わるようになるには、
「それまで生きてきた年数の半分」 が 必要になる とさえ、言われています。
【ほんとうに理解するのも 確かに難しいが、 理解するだけでは なんの役にも立たない。
実践しなくては、生き方を変えなくては アドレリアンとは言えないだろう。
実践を伴わない理解は、 絵に描いた餅に 過ぎない。
実践すること、 行動すること、 生きること】
青年 わたしも 誤解していると?
哲人 そう思います。でも これは あなただけの話ではありません。
多くのアドレリアン(アドラー心理学の実践者)は、 誤解を入り口にして、 理解の階段を登ります。
若き日のわたしも、すぐに 階段を見つけたわけではありません。
青年 ほお、先生も 迷った時期があったと?
それで どうやって、 その階段を 見つけたのですか?
哲人 わたしは 幸運でした。
アドラーを知ったとき、 ちょうど主夫として幼い子どもを育てていましたから。
子どもを通じて アドラーを学び、子どもとともに アドラーを実践し、
理解を深め、確証を得ていったのです。
【世の中の多くの賢明な母親たちと同じように】
青年 なにを 学び、どんな確証を 得たのですか?
哲人 ひと言でいうなら、「愛」 です。子育てに関わることで 「愛」 を学ぶことができました。
そして、 アドラーの語る愛ほど 厳しく、 勇気を試される 課題はありません。
あなたは、アドラーの思想を 魔法のようなものだと感じたのかも知れません。
その杖を振れば、たちまち すべての願いがかなうような。 だとすれば、
あなたが 抱いてきた 誤ったアドラー像を捨て、ほんとうのアドラーを知るべきです。
青年 でも あなたは 以前に、「人は誰でも、いま この瞬間から幸せになれる」
と おっしゃったではないですか?
哲人 そうです。あなたも、他のどんな人も、幸福へと踏み出すことができます。
ただし 幸福とは、 その場に留まっていて 享受できるものではありません。
踏み出した道を 歩み(実践し)続けなければならないのです。
【まず 踏みだす。 そして 歩み続ける。
それは 永遠に続くプロセスであり、 その歩み(実践)を 止めてはならない。
第一歩を 「踏みだす」 とは、 それまで生きてきた「方向を変える」ことである。
それは、前ばかりを向いて歩いてきた 「歩みの方向」を変えることなのだ。
わたしの歩む道は 前だけでなく、360度 どの方向へも広がっていることを知り、
自分にとって より相応ふさわしいと思われる方向に向きを変えるのである。
でも 向きを変えただけでは、わたしの位置(生き方)は まだ変わっていない。
わたしが 変容するためには、 その道を 歩み(実践し)続けて「位置」を変え
(過去に創られた脳の配線を 書き換え続け)なくてはならない。
そうすれば、自分のいるべき「位置」 は 限定された 点でなく、
一面に広がる 平面であり、さらに高次の 立体(全体)でもあることに気づくだろう】
あなたは 大きな一歩を踏み出したのに、 勇気をくじかれ、歩みを止め、
いま 引き返そうとしている。 なぜだか お分かりですか?
青年 忍耐力がない からですか?
哲人 いいえ。あなたは まだ「人生における 最大の選択」をしていない。だからです。
「人生における 最大の選択」とは 「愛」 のことです。
すべての問題は 「愛」 のひと言に 集約されていくでしょう。
【歩みを進めるものも 「無条件の受容:愛」 】
(最終改訂 2023年2月4日)