どうもおこめです。


今の学校に転校した直後の中3一学期は絶好調だった。編入の緊張からか進学校だから頑張らないとというプレッシャーからかはわからないがトップの成績を収めることができた。相変わらずギリギリではあったものの課題もこなすことができたし、何のストレスもなかった。だけど一番印象に残ったのは両親が全然褒めてくれなかったことだ。中間も期末もかなり点数が高かったし、大体の教科でトップ10に入っていた。それを嬉々として両親に見せても期待していた反応は返ってこなかった。父は想像がついていたからショックはまだ少なかった。元々あまり褒められたこともないし私の成績を見せても父自身の中高時代の武勇伝を語られるだけだったのでまあ想像通りだった。それでも学年一位なんだからもっと褒めてくれてもよかった気がするが。

 

それよりずっとしんどかったのは母の反応だ。中間の成績を見せた時も微妙な反応で、「ママそういうのよくわからないから」的なことを言われた気がする。期末を見せた時も中間よりも上がったと言っても中間のことは忘れたと言われたし、順位を見せても褒めてはくれたが、私が期待していたのはもっと騒ぐくらいのベタ褒めだった。私もわがままだったのだろう。あまり期待しない方が落胆もしなくて済んだのに、それでも私の中でそれだけ好成績だと思っていたから普段騒がしく踊ったり歌ったりするわんぱくな母があまり褒めてくれなかったのがとても悲しかった。そのせいで終業式の日に成績トップだったと知らされても母にはそんなに褒めてもらえないんだろうなと思ってしまい、実際は褒めてもらったのだが、それも私の期待ほどではなかった。私の中ではその学校に合格した時の同じくらい嬉しかったのでつい自分から「本当にすごくない?」と夏休み中に聞いてしまった時に母が引き気味に「ああ、そうだね😅」と反応した時にとんでもない恥と一緒に諦めがついた。

 

今振り返ってみるとあの頃はもっと母と仲良く話していたなと感じる。今は自分の余裕のなさと母への不信感で全く喋れなくなった。私は母と分かり合うことは今年の4月に諦めた。分かり合うってなんだ、と自分でも思うが、それ以前の私がいつか悩みを全部打ち明けて話し合って、私のADHDとか不登校とかも一緒に原因と対処法を探りながらまた仲良く話せるようになるのかな、と思っていたのがこの母相手では不可能だと感じたのがその日なのだろうなと思う。それまでに母と関わる節々で不信感が募っていた。始めてから一年になる心療内科通いもだんだん母が面倒そうにしていたり、生活を助けてほしい(朝起こしてもらったり課題をするよう言ってもらう)と言ったら拒否されたり、話を聞いて欲しくて引き止めてももう寝ると言って手を振り解いたり、母はもう私のことを愛していないのではないのかと思うことが多々あった。高校に入ってから不登校が悪化して学校に行くのを渋っていたある日、母が無理やり私を部屋から引き摺り出して怒鳴りながら支度をさせようとして、そこで私の中の希望の糸がぷつんと切れた。

 

別に母は独親ではない。虐待も体罰もしないし、お金は惜しみなく使ってくれるし、お稽古もやめたいと言ったらやめさせてくれたし、「あなたにいくら使ったと思ってるんだ」とも言わないし、中学受験に失敗しても不登校になってもADHDでも私を責めないし、高校卒業しなくても大学に行かなくてもいいと言ってくれる。それでもずっと誉めてもらいたかったし、話を聞いて欲しかった。そうしてくれたら、少しだけ救われたかもしれない。