暗殺者のその後 児玉愛二郎 | 赤線青線街紀行

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現代の永井荷風になるためのブログですが、siplog登場以来、
すっかり形が変わりつつあります。

久々の歴史物です。年末時代劇多いですからねぇ~。小説のアイデアが浮かばない分、こちらで文筆力の衰えをカバーしようという魂胆???でしょうか???。

暗殺の事はちょっと書きたかったのです。

児玉愛二郎・・・20数年間に渡り井上馨暗殺未遂の犯人である事を名乗り出なかった人間である。
元治元年、保守・進歩と対立する長州藩内で、保守派に属したが維新のゴタゴタと井上の従兄弟で
ある事を利用して、戊辰戦争で活躍を遂げた後、元勲の仲間入りをした人物である。


井上馨(元外務大臣)は明治維新の元勲の一人である事は有名だが実は剣術はそんなに出来ない。
ただ外国情勢を読み取る力があった人で、伊藤博文と一緒に英国留学もしている。
松下村塾系の進歩派と呼ばれる人の一員。その中でも伊藤・井上・前原一誠・久坂玄端などは
行動力があった実力派だ。


児玉愛二郎が告白し、しかもその告白の仕方が如何にも俺はお前をやった、的な仕方だったから
井上の本音は相当苛々したんじゃないかな~?。で、また当時は勝海舟もそうだけれども、所謂
時代のブームで明治維新の元勲にインタビューに行くのがマスコミの流行だった。井上にも中原邦平、
という人がいた。その中で児玉の存在が出たので児玉はヒーロー扱いされたみたいだ。


今でもこの手の告白本はたまに出ますよね。実は俺がやったんだ、みたいな。
今は鈴木宗男先生が凄いですね・・・。賛否両論ありますが・・・。

児玉はある意味今のフィクサーと呼ばれる人達の遥か上を行っているような気もしなくはない。
何しろ時の大臣をかつて暗殺しようとした人間で、ジッと黙った上に自分も元勲になった上で告白したのだから。実質27年間も黙っていたそうです。


で、刃こぼれなどから古川薫先生が推理する通り、明からに井上馨(聞多)を斬り付けたのはこの
児玉愛二郎だそうですね。その他の書物も参考にしましたが古川先生の本が一番判りやすかったです。
井上は散々斬り付けられて芋畑か川かどちらかに倒れ込み、家に戻ると所イクタロウ(漢字忘れました、すみません)に畳針で傷口を縫われて九死に一生を得たようです。この所、という人物は蘭学者で医者、という人。その日はたまたま井上と一杯酒をやろうと井上宅を訪問したその時だったそうです。

でも児玉はその暗殺者としての心理からか、自分は参加はしたが・・・ともこぼしていたそうですからこの辺りは人間の心理は何とも・・・と思ってしまいます。


因みに井上暗殺計画に携わったのは実質三名。児玉以外はこの歴史観の中でも少し触れました椋梨藤太の息子、中井栄次郎、周布藤吾の二名で児玉はそれ以外にも色々名前を出したらしいですが中井・周布共に当時は既に死んでいる、というか保守派の先鋒隊だった周布藤吾(周布政之助とは無関係)と椋梨藤太の息子、中井栄次郎は長州征伐失敗、保守派が敗れた際に既に死んでいるそうです。


児玉、という人物像は良く知りませんがなんにせよ、27年間も黙っていたのだから凄いですね。



時代背景は全く違いますがそれでも・・・と思います。
で、当の井上は許したか、といえば許さざる得ない状況だったから許した、という雰囲気ありありです。
そりゃそうだ、50針も縫われて(大仁田厚状態かな?)人相も変わる位ですから・・・。
しかも畳の針で・・・。今のメスの何倍もの太さ、そして麻酔無し、です。破傷風で死ぬ時代ですよ。
今そんな事したら医師会は大変でしょうね。
元勲だろうが大臣だろうが・・・一人の人間ですからねぇ。ただ、物凄い生命力である事だけはまず間違いが無いでしょう。


やはりそれだけ、維新を成し遂げて・・・というきれいごとは抜きにして、凄いですね。
井上も・・・児玉も・・・。