もう戻ってこられないと思っていました。
何をしたかがわからなくても、女性が男性の行いでトラウマを負うほど苦しんでいる、これだけで公の場にはいられなくなるだろうと思っていました。
数年前から、女性による性被害の訴えの絶対正義化の話題を目にしていました。
性被害が魂の殺人と呼ばれるのは、自分も女性なので、気持ちはわかります。
それほどの苦しみを泣き寝入りするしかなかった歴史の反動なのもわかります。
時を同じくしてキャンセルカルチャーの動きも活発化していました。
社会正義を発端に、特定個人もしくは団体に社会的制裁を加え、社会から排除・抹殺する運動です。
巨大な権力は司法を熟知しており、社会運動すら起こすも鎮めるも手の内にありました。
近年SNSの発達で誰もが扇動の手段を手に入れ、不買運動が巨大企業を動かすことを学びました。
私たちも巨大な権力に苦汁を飲み、一種の社会運動を行ってきたので、キャンセルカルチャーの魅力は理解できます。
どちらも弱いものが対等に渡り合うための画期的な方法でした。
しかし。
女性の性被害の絶対正義化は不同意性交罪の成立で一定の成果を得て、しかし同時期に起こった草津町長冤罪事件で瑕疵が見えたところでした。
キャンセルカルチャーは事務所の解体が最たるものですが、今の私には別の側面も見えています。
もとより人気商売。
アーティストの道も選ばなかった。
冒頭述べたように、もう仕事を続ける道はないと思っていました。
引退までの社会的制裁は、たとえ事実がわからないままだとしても、有名税として仕方ないと思っています。
けれど、誹謗中傷を受け続けるのが正しいことだとは思えません。
逃げたわけでも逃げ続けているわけでもありません。
示談は済んでいるのです。
示談を、お金で黙らされた、強いものが弱いものを言いくるめた、と解釈している向きもありますが、示談はトラブルの当事者同士が行う和解です。
示談の済んだ個人間のトラブルに、社会がそれ以上の補償を求めるのですか。
何をどうすることが、社会の赦す償いなのですか。
誰が何を以って構成しているかも定かでない社会というものが赦さなければ、罪状もわからない個人に一生罰を与え続けてもいいのですか。
刑事罰にも、殺人罪にすら刑期があるのに、法を通さない罰は程度も期間もないのです。
この歯止めをキャンセルカルチャーは内包することができなかった。
昨日から少しずつ、批判非難以外の発信を見かけるようになりました。
昨日まで批判非難以外の発信は、正義の名のもとに攻撃していい存在でした。
ひとつ前のブログで、叩かれている一文は各方面への誠意として盛り込まなければならなかったと書きました。
各方面にはファンも含まれていると思っていましたが、あの時点では、あのブログをアップした私でも、書くことができませんでした。
被害者に誠意を見せてほしいと思うのは当然の感情でしょう。
でもそれ以外に誠意を見せてはいけない理由などありません。
持てる誠意のすべてを被害者につぎ込まなければならない、ほかの人に一片も与えてはいけないなんて、冷静に考えればおかしな話だと分かります。
今、きっと、ものすごい苦しみを味わっている中居担に誠意を見せるのは、むしろ、当然だと思っています。
わきまえた中居担が、そんなことを求めてはいないとしても。
