想田和弘監督作品 『精神』
ドキュメンタリー映画で、精神科患者さんの現実・日常をありのまま撮られている。
ドキュメンタリー映画なんて人気無いだろうと思って開演時間ギリギリに行くと
満席、立ち見が出てる状態だった。
なんで、みんなこの映画に興味を持ったのだろう。
私は以前仕事で精神科患者さんと接することが何度かあった。
その時は仕事上接している1時間弱の間の患者さんの姿しか見てないわけで、
患者さん達って普段どんな風に過ごしているのだろうか、
それがこのドキュメンタリー映画だったら、描かれているのかもしれないと思い
興味をもった。
…私にとって、衝撃の映画だった。
日常がどうのって、興味本位的に見始めたが
映像が進むにつれ、色んな感情が沸き起こってきた。
上手く言えないけど、やっぱり今までの私は「精神病の○○さん」って感じに
どこかで健常者と線引きし偏見的に接していたことに改めて気づいた。
でもそうじゃないんだ。
どんな疾患を持っていようとも「○○さん」ありきで接することが
普通で当たり前のことなんだ。
精神病が付いてしまうと、○○さん個人の前に
精神病患者という枠で無意識のうちに一括りにしてしまっていた様だ。
本当の○○さん個人を理解する努力はしていなかったように思う。
人と接する上で、相手の事をわかろうとすることは
コミュニケーションの基本・初期行動として必要な事なのに。
また精神病って、一度かかってしまうと治らないのだろうか。
映像の中では、多くの薬を処方されている人が映し出されていたが
症状を緩和・コントロールさせるために、薬を服用することは大切だが
それは対症療法に過ぎない。
カウンセリングや行動療法など、服薬以外の治療もあるが
なかなか精神病が完治したという例は聞いたことが無いのだが
完治は無理なんだろうか。
映像の中でも何十年と精神病院に通っている患者さんもいた。
映像の中の患者さん達は、みな自分の事について深く語ってくれている。
症状も慢性的なんだろう。
そんな、仲間同士で話されている状況を観ると「狂気」ではなく「正気」だ。
つまりこの映画が問うている、「狂気」と「正気」の境界線ってどこにあるのだろう。
精神病と病名が付くラインってどこなんだろう。
今の様な時代、本当に心の持ちようを自分でコントロールするのは難しいと思う。
誰もが、境界線辺りをウロウロすることもあり
何かの拍子で病名が付くとこまで行ってしまうことも十分考えられる。
ただ、いわゆる発病してしまうとなかなか完治は難しそうなので
発病前の予防対策がとっても、とっても大切なんだと思う。
自分の「精神」が悲鳴を上げる前に、
普段からの心の持ち方や疲れた精神のリラックス方法を
多くの人に啓蒙出来ればいいのにね。
これって、予防医療とかでないのかなぁ。
