60年前に遡ります
小学生の時に、我が家に空き巣が入り、それを機に両親が新宿のペットショップ(ワシントン?)で、突然白い子犬を買って来ました。
スピッツでした。私と妹は喜びました。3人で良く遊びました。鬼ごっこやかくれんぼでした。最初は、家の中に居たのですが、しばらくして不潔ということで(当時はチッコシートなどというものは存在しませんでした)、台所の勝手口にお米屋さんから買ってきた藁を敷いてそこがバロンの寝床となりました。
私も中学になり、学校生活に忙しく、たまにはバロンの散歩に行きましたが、ほとんど台所の薄暗い勝手口で1日を過ごすようになり、母親が作る豚の水煮(当時はペットフードはあったでしょうか?、街のスーパーでは見かけませんでした)を食べさせ、寂しい毎日を過ごして居たかもしれません。たまに台所に行ったときに、「バロン」と声をかけると嬉しそうに尻尾を振っていました(パピー時代は色々遊んでくれたのに、にーちゃんは最近は全然遊んでくれないな?と思って居たかもしれません)
そうして、私が高校、大学と進み、大学院の2年のときの秋でした、次の年は社会人となり、会社も決まって遙々としているとき母から家族に話があり、バロンの調子が悪いので近くの獣医に見せたら癌になっていてもう助からないと言われたと言うのです。
母から、バロンは最近伏せっていることが多くどこか悪いのかねということは聞いていました。
そして明日の午前中に中井先生(掛かり付けの獣医さん)が、安楽死させるため家に来るかみんなで看取ってあげてくれというのでした。母のバロンに苦しい思いをさせたくないという話を聞き入れ翌日を迎えました。
中井先生は黒いカバンを持って我が家に来て、これから安楽死をさせます。苦しまずに眠るように亡くなって行きますよろしいですねと両親に話しました。
悲しかったです
我が家に来て14歳となるバロンちゃん
助からないなら苦しむのはかわいそうだ
先生が、注射器と薬瓶を取り出し、注射器に薬を吸い込ませてバロンに注射しました
そして先生は、「30分ほどで亡くなります」と話して家を出ていきました
家族4人で玄関の廊下で横になっているバロンに、「バロンちゃん、長い間ありがとうね、ありがとう」声をかけました。バロンは、嬉しそうに尻尾を振って居ました。
しかし、時間とともに目の輝きが、目の動きが無くなって来ました、「バロン大丈夫!」「ごめんね」家族4人が泣きながら声を掛け、撫でていました
泣きました、殺してしまった
もう戻ってはこない
死ぬ時は、目の輝きがあんなにも失われることを初めて知りました
そして、父と私は、庭のもみじの木の横に穴を堀り、毛布に包んだバロンちゃんの遺骸を埋めたのでした
もみじの木が目印となり、バロンを思い出せると
安楽死させた時、母が苦しい思いをさせたくないという意見でしたが、私の心の中は今思えば反対の気持ちだったのかもしれません
その後、両親は二度と悲しい想いはしたくないということで、犬を飼うことはありませんでした
もう45年前の悲しい記憶です
父は17年前に86歳で他界し、母は93歳で存命しております
妹は、結婚し埼玉に在住しネコ2匹を飼っている猫好きです
また東京の家も売却して、もみじの木がどうなったかはわかりません
今でもバロンちゃんは、家族の話の中で利口な犬だったと思い出が出てきます
バロンちゃん、親父とは天国で会えたかな?、そして去年亡くなったキャバリアのラムちゃんにも会えたかな
バロンは、真っ白でした。母が、定期的に勝手口でシャンプーして、ブラッシングすると本当に綺麗で、散歩に連れていくと、周りの人から褒められていましたね。
お空の白い雲はバロンのようでした!
さようならバロン、忘れないよ45年前を
