ラムちゃんは、13日の午後4時28分に永眠しました
しかし、その中には考えられないラムちゃんの奇跡がありました.。
1)ラムが亡くなって、30分後にラムから家内の携帯に電話が来ました
かかりつけの医師に電話したら、遺体を診察するので来てくださいと言われ、私と家内、それに娘2人で後部にラムちゃんの遺体を乗せて病院に出発したら、家内の電話に突然着信音、家内が出ると留守番電話サービスへ繋がり、調べたら後ろの座席の下の娘からの電話であった。娘は電話していないので、勝手に電話がしてしまったとなりましたが、これは、ラムちゃんが家内へ、今しがた「虹の橋へ着いたことを知らせた」のではとしか考えようがない、ラムは携帯電話を持っていなかったので、娘の電話をたぶん借りてお母さん(家内)にさようならの電話したということになりました。
2)家族4人がこの3日間で介護できるようにラムちゃんが4人を集めてくれたのは奇跡
ラムちゃんは、10日の夜から体調がおかしくなり、11日には腎不全と診断され、13日には旅立ちましたが、私は8日が仕事に変更になり本来の仕事日の12日を入れ替わって、11、12、13日が空いてラムの看護に専念できました。
また12、13日の自宅介護では、注射や点滴など専門知識のある下の娘がたまたま産休中であり自宅看護ができましたのは驚きです。私たち夫婦では、とても静脈点滴から鎮痛剤の注射は出来ませんでしたから。
上の娘も12、13日と会社の休みが取れ、娘二人が仕事をしてくれた。このように偶然娘二人が手伝ってくれた
3)家族4人がいて、ラムの周りに集まっているようにしてさようならしていった。家族が出かけないようにしてくれたのは奇跡です
13日、午後1時半ごろ、病院から戻り、点滴と注射を行ったが、医師から3時間は持つと言う薬が、約30から40分となり、月曜日までの薬剤が大幅に不足して来た、そこでもっと薬をもらう必要が出て来ました。
取に行くか思案していた時にさらに家庭介護では限界があり、ラムの発作が激しい場合は、ラムの苦しさを除くためにも安楽死を考え、かかりつけの医師が急用で日曜日は不在のため、別の病院に安楽死の紹介状を書いていただいて、13日の夕方取に行く予定であったが、4時20分に電話した時点では紹介状はまだ書かれておらず、5時ごろに来てくださいと言われた。まだあと30分してから薬を取に行くことに変更した直後、
ラムに痙攣と息遣いが荒くなり、4時28分に小さく全身が痙攣したと思ったら息が無くなってしまい、口を見たこともないようなパクパクを4,5回繰り返しました。
私と、家内と、上の娘と下の娘で、ラムちゃん、頑張ったね、もう頑張らなくても良いよ。私たちにたくさん、幸せをくれてありがとうと体を触りながら泣いてしまいました。
ラムは、私と娘が病院へ、そして家内が夕飯の支度に買い物に行きそうだったのでそれを止めてみんながいる中で旅立って行ったのです。これも奇跡です。
そうしてあの「虹の橋」に旅立って行ったのです。
ラムは、当時の家族4人を奇跡でこの3日間(12,13,14)を 引き合わせて、くれました。
しかし、その中には考えられないラムちゃんの奇跡がありました.。
1)ラムが亡くなって、30分後にラムから家内の携帯に電話が来ました
かかりつけの医師に電話したら、遺体を診察するので来てくださいと言われ、私と家内、それに娘2人で後部にラムちゃんの遺体を乗せて病院に出発したら、家内の電話に突然着信音、家内が出ると留守番電話サービスへ繋がり、調べたら後ろの座席の下の娘からの電話であった。娘は電話していないので、勝手に電話がしてしまったとなりましたが、これは、ラムちゃんが家内へ、今しがた「虹の橋へ着いたことを知らせた」のではとしか考えようがない、ラムは携帯電話を持っていなかったので、娘の電話をたぶん借りてお母さん(家内)にさようならの電話したということになりました。
2)家族4人がこの3日間で介護できるようにラムちゃんが4人を集めてくれたのは奇跡
ラムちゃんは、10日の夜から体調がおかしくなり、11日には腎不全と診断され、13日には旅立ちましたが、私は8日が仕事に変更になり本来の仕事日の12日を入れ替わって、11、12、13日が空いてラムの看護に専念できました。
また12、13日の自宅介護では、注射や点滴など専門知識のある下の娘がたまたま産休中であり自宅看護ができましたのは驚きです。私たち夫婦では、とても静脈点滴から鎮痛剤の注射は出来ませんでしたから。
上の娘も12、13日と会社の休みが取れ、娘二人が仕事をしてくれた。このように偶然娘二人が手伝ってくれた
3)家族4人がいて、ラムの周りに集まっているようにしてさようならしていった。家族が出かけないようにしてくれたのは奇跡です
13日、午後1時半ごろ、病院から戻り、点滴と注射を行ったが、医師から3時間は持つと言う薬が、約30から40分となり、月曜日までの薬剤が大幅に不足して来た、そこでもっと薬をもらう必要が出て来ました。
取に行くか思案していた時にさらに家庭介護では限界があり、ラムの発作が激しい場合は、ラムの苦しさを除くためにも安楽死を考え、かかりつけの医師が急用で日曜日は不在のため、別の病院に安楽死の紹介状を書いていただいて、13日の夕方取に行く予定であったが、4時20分に電話した時点では紹介状はまだ書かれておらず、5時ごろに来てくださいと言われた。まだあと30分してから薬を取に行くことに変更した直後、
ラムに痙攣と息遣いが荒くなり、4時28分に小さく全身が痙攣したと思ったら息が無くなってしまい、口を見たこともないようなパクパクを4,5回繰り返しました。
私と、家内と、上の娘と下の娘で、ラムちゃん、頑張ったね、もう頑張らなくても良いよ。私たちにたくさん、幸せをくれてありがとうと体を触りながら泣いてしまいました。
ラムは、私と娘が病院へ、そして家内が夕飯の支度に買い物に行きそうだったのでそれを止めてみんながいる中で旅立って行ったのです。これも奇跡です。
そうしてあの「虹の橋」に旅立って行ったのです。
ラムは、当時の家族4人を奇跡でこの3日間(12,13,14)を 引き合わせて、くれました。