今日、見た映画は「オリオン座からの招待状」というタイトルでした
特に映画については、話はありませんが、劇中で
映画技師の男が、料理を作っている妻の宮沢りえにかつお節を削ってあげるシーンがありました
懐かしいです、小学校時代はかつお節削りは私の毎日の仕事でした。みそ汁を作るにもダシが必要ですから
それと、まだ電気冷蔵庫がない時代です、氷冷蔵庫ですので、夏は夕方、私が駅前のお菓子屋さんに氷を1貫目買いに行かされました。約4kgですから、結構重たかったです
ある日、氷を買いに行くとき、妹を連れて行ったんですが、親父から15円もらって小豆のアイスキャンデーを買うつもりで行ったんですが、お金が足りないと言われてアイスキャンデーを売ってくれなかったですね、泣きながら家に帰ると親父が怒りだして、俺と一緒に来いと手を連れられて氷屋に怒鳴り込んで、子供だましをするとはなんだ、許さないぞいうわけで、氷屋の親父がびっくりして私(4年生)と妹(1年生)にあずきの割り箸キャンデーをもらって親父と一緒に帰ってきたことを覚えています。お父ちゃんは頼りになるなと感じました。
まあ昭和時代でも昭和32年前後です。
親父は酒好きで、大酒のみでしたが、飲むと少し酒乱まではいかないが、暴れるところがありました。勉強しないからこんな通信簿を持ってくるんだというわけでげんこつで良く殴られました
夜テレビを見ていると、酔って帰って来た親父が、俺を見て「馬鹿やろ、なんで勉強していない、こんなくだらない歌謡ショウなどを見るから小市民的な人間しかできないのだ」といわれてから、また殴られました。だから、深夜に酔って帰って来た親父には近づかないのが鉄則でした。
当時は会社の仕事が大変で、親父が荒れるのも今になれば理解できます。酒を飲まないとおとなしく、女性にもてましたよ。おふくろと良く喧嘩してました。
親父も1999年12月25日に亡くなり、15年経ちました。70歳位から緑内障にかかり、亡くなる前には全盲でした。そして胃癌から転移して肝臓がんで亡くなりました。
病院で死にたくない、家に連れて帰ってくれと、見舞いに行くたびに泣きながら懇願されてしまいました。
今日は、映画が昭和時代でしたので、すっかり子供時代を思い出したのでした。
特に映画については、話はありませんが、劇中で
映画技師の男が、料理を作っている妻の宮沢りえにかつお節を削ってあげるシーンがありました
懐かしいです、小学校時代はかつお節削りは私の毎日の仕事でした。みそ汁を作るにもダシが必要ですから
それと、まだ電気冷蔵庫がない時代です、氷冷蔵庫ですので、夏は夕方、私が駅前のお菓子屋さんに氷を1貫目買いに行かされました。約4kgですから、結構重たかったです
ある日、氷を買いに行くとき、妹を連れて行ったんですが、親父から15円もらって小豆のアイスキャンデーを買うつもりで行ったんですが、お金が足りないと言われてアイスキャンデーを売ってくれなかったですね、泣きながら家に帰ると親父が怒りだして、俺と一緒に来いと手を連れられて氷屋に怒鳴り込んで、子供だましをするとはなんだ、許さないぞいうわけで、氷屋の親父がびっくりして私(4年生)と妹(1年生)にあずきの割り箸キャンデーをもらって親父と一緒に帰ってきたことを覚えています。お父ちゃんは頼りになるなと感じました。
まあ昭和時代でも昭和32年前後です。
親父は酒好きで、大酒のみでしたが、飲むと少し酒乱まではいかないが、暴れるところがありました。勉強しないからこんな通信簿を持ってくるんだというわけでげんこつで良く殴られました
夜テレビを見ていると、酔って帰って来た親父が、俺を見て「馬鹿やろ、なんで勉強していない、こんなくだらない歌謡ショウなどを見るから小市民的な人間しかできないのだ」といわれてから、また殴られました。だから、深夜に酔って帰って来た親父には近づかないのが鉄則でした。
当時は会社の仕事が大変で、親父が荒れるのも今になれば理解できます。酒を飲まないとおとなしく、女性にもてましたよ。おふくろと良く喧嘩してました。
親父も1999年12月25日に亡くなり、15年経ちました。70歳位から緑内障にかかり、亡くなる前には全盲でした。そして胃癌から転移して肝臓がんで亡くなりました。
病院で死にたくない、家に連れて帰ってくれと、見舞いに行くたびに泣きながら懇願されてしまいました。
今日は、映画が昭和時代でしたので、すっかり子供時代を思い出したのでした。