今日は、浦和の介護老人ホームにいる母を訪ねて、いつもの輪行をしてきました。
果物、サラダ用カット野菜、煮物や釘煮やお菓子を途中の大泉のスーパーでたくさん買って届けました。
母と話していて、昔の話になり、40年前に我が家で飼っていた真っ白なスピッツのバロンの話になりました。私がまだ学生でした。バロンは利口な犬で、私が小さいころはよく遊んだのですが、私も大きくなり、受験やさらに大学入学後は実験や論文のためにほとんど相手ができず、毎日、裏の台所のたたきのワラで寝ていました。すっかりバロンの存在を忘れていたのです。母の話では14歳という高齢で、だんだん散歩にも行けなくなり毎日、裏のコンクリートの藁の上で寝ていたそうです。母が特に面倒を見ていたようです。ある日、体がおかしいとのことで、近くの獣医さんに診てもらったのですが、1週間たっても良くならず、その後、獣医さんからガンでもう助からない、あと3日間は持たないとの話が出て、家族で話したところ、苦しむのは可哀そうだということになり、獣医さんの言うとおりに注射で安楽死させました。獣医さんが、注射をして帰ったあと家族全員で、バロンを囲んで泣きながら、なぜていました。そして、10分ほどでバロンの目は徐々に光を失って亡くなりました。みんなで、泣きました。目の輝きが失われていくのはとても悲しかったです。
「みなさん、ありがとうさようなら」と言っていました。
翌日、父と私で、庭のモミジの木の下に、一生懸命掘ってバロンの遺骸と好きだったおもちゃを弔いました。
今日、その話をまた、母から聞いて当時を思い出しました。
バロンよ、10歳を過ぎてからまともに遊んであげられずごめんね。
そして、当時の家は、売却してもうありません。あのモミジの木も無いでしょう。
果物、サラダ用カット野菜、煮物や釘煮やお菓子を途中の大泉のスーパーでたくさん買って届けました。
母と話していて、昔の話になり、40年前に我が家で飼っていた真っ白なスピッツのバロンの話になりました。私がまだ学生でした。バロンは利口な犬で、私が小さいころはよく遊んだのですが、私も大きくなり、受験やさらに大学入学後は実験や論文のためにほとんど相手ができず、毎日、裏の台所のたたきのワラで寝ていました。すっかりバロンの存在を忘れていたのです。母の話では14歳という高齢で、だんだん散歩にも行けなくなり毎日、裏のコンクリートの藁の上で寝ていたそうです。母が特に面倒を見ていたようです。ある日、体がおかしいとのことで、近くの獣医さんに診てもらったのですが、1週間たっても良くならず、その後、獣医さんからガンでもう助からない、あと3日間は持たないとの話が出て、家族で話したところ、苦しむのは可哀そうだということになり、獣医さんの言うとおりに注射で安楽死させました。獣医さんが、注射をして帰ったあと家族全員で、バロンを囲んで泣きながら、なぜていました。そして、10分ほどでバロンの目は徐々に光を失って亡くなりました。みんなで、泣きました。目の輝きが失われていくのはとても悲しかったです。
「みなさん、ありがとうさようなら」と言っていました。
翌日、父と私で、庭のモミジの木の下に、一生懸命掘ってバロンの遺骸と好きだったおもちゃを弔いました。
今日、その話をまた、母から聞いて当時を思い出しました。
バロンよ、10歳を過ぎてからまともに遊んであげられずごめんね。
そして、当時の家は、売却してもうありません。あのモミジの木も無いでしょう。