第11章 おわりに


スサノオは母に会えなかった。
しかし、母が眠る山の気配を感じられる土地に辿り着き、そこで安らいだ。
会えなくても、感じられる。
その距離が、安来だった。

この物語は、好きな山歩きから見かける神話、古事記・出雲国風土記をもとに、安来という土地に立って、再構成した神話物語です。

【風土記の記録】として確認できる事実と、【考察】として地図や文脈から結びつけた想像が混じっています。
典拠の層を次のように整理した。
第一層は『古事記』(712年)『日本書紀』(720年)『出雲国風土記』(733年)という奈良時代の文字記録。
第二層は延喜式神名帳や『雲陽誌』などの古代〜近世の公的記録・地誌、および各社の社伝。
そして第三層として、出雲の旧家に伝わるとされる口承『出雲口伝』(いわゆる富家伝承。
斎木雲州氏らの著作で紹介される伝承体系)がある。
出雲口伝は学術的に検証された一次史料ではなく、記紀と大きく食い違う独自の内容も含むため、本稿では事実認定の根拠としては用いない。ただし「出雲在地勢力の側から見た歴史」という視点を提供する参考素材として、ツアーガイドの語りに厚みを加える材料になり得る。

結論から言えば「安来」という地名を直接語る下りは、現時点でウェブ上に流通する口伝紹介からは確認できない(原典である大元出版の書籍群『出雲と大和のあけぼの』『出雲と蘇我王国』『サルタ彦大神と竜』等の精読が必要)。
しかし、安来に深く関わる記述は複数取り出せる。
以下に整理する。
なお、いずれも口伝とその読者による紹介に基づく未検証の伝承であり、学術的事実ではないことを重ねて明記しておく。

(一)野城大神=「母神・幸姫」説。
富家伝承本『出雲と大和のあけぼの』(大元出版)によれば、安来の野城大神は、出雲族の国教「サイノカミ(幸の神)」三神のうちの女神。すなわち母神・幸姫(さいひめ)であるという。
サイノカミ三神とは、父神クナト(久那斗)ノ大神、母神・幸姫命、子神サルタ彦大神の家族神である。
これが本書にとって決定的に重要なのは、本書の主題は一貫して「母」だからだ。

スサノオが母の気配に安らいだ土地・安来。

その安来の大神が、口伝では文字通り「母なる神」だった。

風土記の物語(スサノオの安らぎ)と口伝の神格(母神・幸姫)が、別々の伝承系統から同じ一点「安来は母の土地である」を指している。これは本改訂作業における最大の発見である。

(二)サイノカミ家族神の地図上の配置。
口伝系の解釈を四大神に重ねると、北の佐太大神はサルタ彦(子神)とされ、これは通説の解釈とも一致する、東の野城大神は幸姫(母神)となる。
そして父神クナトノ大神について、谷戸貞彦『サルタ彦大神と竜』(大元出版)は、伯耆の神名備山・大山こそ「久那斗の大神が宿る山」であり、その遥拝所として大神山神社(米子市尾高)が建立されたと述べる。
ここで第9章のレイラインを思い出してほしい。
御来光の道の東西軸上には、
出雲大社—来待—能義神社—大山が並んでいた。口伝のレンズを通すと、この東西軸の上に父(大山)と母(能義)が並び、その北に子(佐太)が見守る。
サイノカミの家族が、出雲の大地そのものに配置されていることになる。
そしてその中心に近い場所が、安来である。
緯度帯の符合と口伝という二階建ての仮説であることは承知の上で、これ以上の物語はない。

(三)クナト大神とイザナギ・イザナミの置換説。
口伝では、出雲王国滅亡後に、クナトノ大神がイザナギに、幸姫がイザナミに置き換えられて神魂神社に祀られ、記紀の神話体系に取り込まれたとされる。
この説に立つなら、本書第7章で触れた都辨志呂神社(安来市広瀬町)に配祀される岐神(くなどのかみ)は、記紀の解釈(黄泉比良坂で生まれた道の神)より遥かに古い、出雲族の主神クナトノ大神の痕跡そのものということになる。
安来・広瀬の山あいに、出雲族の原信仰が名前を変えずに生き残っている。口伝のレンズはそう読ませる。

(四)東出雲王家・富家の勢力圏。
口伝の語り部の家系とされる富家(向家)は「東出雲王家」と呼ばれ、その本拠は意宇地方、国府が置かれた松江市大庭から東出雲にかけて、であった。能義郡(安来)は、まさにこの東出雲王家のお膝元の圏域にあたる。「スサノオのモデルとなった大勢力が安来を中心に形成されていたのではないか」という本物語の大仮説は、口伝が語る「東出雲王家の本拠圏=意宇・能義」という構図と、方向において一致する。
記紀・風土記・古墳・口伝という性質の異なる四つの情報源が、いずれも「出雲の東、安来周辺に強大な何かがあった」ことを指しているのである。

この物語の到達点:大仮説と、安来発「神話の道」ツアーライン
スサノオのモデルとなった大きな勢力が、安来を中心に形成されていたのではないか。
鉄の道(奥出雲—広瀬—安来港)を制し、中海の水運を握り、大成古墳の王として実在した在地勢力。その記憶が、長い年月を経て「荒ぶる旅の果てに安来で安らいだ神」の物語へと昇華された。
出雲国風土記が四大神の東の一柱を安来(野城)に置いたことも、御来光の道の緯度帯に能義神社が乗っていることも、この仮説と矛盾しない。 

これは証明された歴史ではない。

しかし、文献・古墳・地理がひとつの方向を指している大仮説である。

そしてこの仮説は、そのまま観光の設計図になる。
①南北の「スサノオ・ライン」
(船通山—奥出雲—広瀬・磐船神社—金屋子神社—安来神社・十神山)

②四大神レイライン
東の要・能義神社と、国府跡・六所神社

③東西の「御来光の道」延長線
(出雲大社—来待—能義神社—大山)。
この三層のラインを、安来を結節点として組み合わせれば、出雲観光の主流(出雲大社・松江)

安来に来て、自分の目で確かめてください。
神が安らいだ場所で、人は唄い踊った。 その踊りは、今も生きている。

 安来節演芸館。

 訪れることのできる場所
この物語の舞台となった場所の多くは、山の中にある。
山岳信仰の色濃い土地柄で、社殿へは登山道や石段を登っていくものがほとんどだ。
歩きやすい靴と、余裕のある時間で訪れてほしい。

【鳥取県南部町】

母塚山 (自動車で山頂までいけます)

イザナミが焼け死んだ地の伝承を持つ山。安来側からアクセスする場合は、安田要害山から尾根伝いに歩く。稜線の途中に、イザナミが火傷を負った現場と伝わる場所がある。

【島根県安来市】

比婆山・比婆山久米神社(熊野神社)

イザナミが葬られたとされる比婆山。
山頂の奥宮(上の宮)にはイザナミの御神陵が御神体として祀られ、登山道を登っていく。
麓の里宮は安来市伯太町横屋に鎮座。
本殿は神明造。
出雲では珍しい、伊勢神宮と同じ様式。
出雲国風土記所載の古社。

上の台(うえのだい)(伯太町)

比婆山と正面から向き合う標高330メートルの山。イザナミの御神陵を遥拝するのに適した場所として、かつては「神の台(かみのだい)」とも呼ばれた(説あり)。山頂付近に日向尾根古墳群が存在し、周辺には前方後円墳3基を含む40基近い古墳群が確認されている。東に大山、北に中海と島根半島を一望できる。


古代出雲王陵の丘(荒島)

安来市荒島町に位置する国指定史跡。弥生から古墳時代の四隅突出型墳丘墓が集中する。

月形神社(荒島)

 *三貴子(ツクヨミ)
ツクヨミを祀る神社。
御神体は拝殿裏の巨石。
金色のウサギのお告げ伝承が残る。
享保5年(1720年)の荒島八幡宮社伝記に記録。

伊勢神社(今津町)

 *三貴子(アマテラス)
アマテラスを祀る神社。三貴子の一柱が安来の地に祀られている。

能義神社

出雲四大神のひとつ。天穂日命(スサノオの甥・出雲大社国造家の祖)を主祭神とし、配祀に大国主命・事代主命、境内末社にはイザナミも祀られている。
出雲国風土記所載の「野城社」。
安来平野(能義平野)を見渡す田んぼの中の丘に鎮座する。

安来市能義町。

安来神社・十神山(砥神島)

 *三貴子(スサノオ)
スサノオが「安らかになった」安来の中心地。旧地は中海に浮かぶ砥神島(今の十神山)。
神在月の神々の集結地。
月の輪神事(674年起源)の地。
住宅街の路地の奥に静かに立つ。

日本台・世界平

安来の展望地。
安来平野(能義平野)と中海・十神山を一望できる。

磐船神社(広瀬町比田)

スサノオが出雲に降り立った時の岩船の痕跡とされる巨大な磐座。
主祭神はスサノオ。
広瀬町西比田の金屋子神社の鳥居を背中に山道に入り、看板を見つけたら少し車を止めれるところがある。
看板に沿って登山道と石段を登った山中に鎮座する。
岩の大きさは圧倒的だ。

金屋子神社(広瀬町)

全国1200社の製鉄神社の総本山。
75柱の神が祀られる。
スサノオ・ライン上に鎮座する鉄の神の総本山。

山狭神社(広瀬町山佐)

上山狭・下山狭の2社。主祭神は久志美気濃命(クシミケヌ=スサノオの別名)。
配祀にイザナギ・イザナミ・速玉男・事解男(熊野の神)を祀る。天狗山の東側に鎮座し、月山富田城域に近い場所に位置する古社。

都辨志呂神社(広瀬町広瀬)

主祭神はスサノオ。金山彦神(鉄の神)を合祀。
スサノオが峠を越えた後に休息した地と伝わる。

嘉羅久利神社(広瀬町広瀬)

主祭神はスサノオ。
韓国五十猛命(からくにいそたけるのみこと)を合祀。
延喜式の社名は「韓国伊太氐神社」神社名に新羅の記憶が刻まれている。
出雲国風土記・延喜式神名帳所載の古社。

青垣神社(伯太町東母里)

オオクニヌシが「八雲立つ出雲の国を守る」と宣言した母里の郷に鎮座する。
出雲国風土記所載の古社。
物語の締めくくりの場所。

安来節演芸館

安来節とどじょうすくい踊りを生で観られる。三味線の音が聞こえた時、神話は生きていると感じる。

【島根県松江市東出雲町】

黄泉比良坂

イザナギとイザナミが永遠に別れた場所。千引の岩が今も据わる。

揖夜神社

イザナミを祀る古社。
意宇六社のひとつ。
黄泉比良坂のすぐそば。

【島根県松江市(大庭)】

六所神社

意宇六社のひとつ。
出雲の総社。
主祭神はイザナギ・アマテラス・ツクヨミ・イザナミ・スサノオ・大国主命の6柱
この物語のすべての登場神が一所に集まっている。
神在月に全国の神々が出雲へ集まる際、まずこの六所神社に集まってから佐太神社へ向かったとされる。

【島根県松江市(八雲・玉湯)】

熊野大社

出雲国一宮。
スサノオと同一視される熊野大神を祀る。

神魂神社(かもすじんじゃ)

日本最古の大社造。
国宝。
イザナミを主祭神とする。
出雲国造が継承儀式を行った場所。

八重垣神社

スサノオとクシナダヒメを祀る。
縁結びの神社として知られるが、その本質は「守った愛」の物語だ。

そう、ここがスサノオが安らいだ場所、やすぎ

出雲神話の始まりはここ安来にあります。

日本の失われた300年の歴史の舞台が安来あった
 日本の神話を読み解く

母の山の見える場所で、息子は安らいだ

—イザナギ・イザナミ・スサノオ 神話の現場をめぐる、ひとつの考察

悲しみと怒り、やすらぎ、喜び、そして愛
—古事記や出雲国風土記をもとにした、安来(やすぎ)の神話物語です。

これは、母に会えなかった男の話だ。



第10章 守ると言った神

安来市伯太町東母里(ひがしもり)に、青垣神社(あおがきじんじゃ)がある。
祀られているのは大穴持命(おおなもちのみこと)大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名だ。1300年以上の歴史を持つ古社であり、大穴持命が出雲の守護を誓ったこの地に、今も静かに鎮座している。
出雲国風土記の意宇郡「母理郷(もりごう)」の条には、大穴持命が「越の八口」を平定して帰還した際、長江山(ながえやま)でこう言ったと記されている。
「わたしが造り治める国は、天津神のご子孫である天皇が平安に治められるようお任せする。ただし、この八雲立つ出雲の国は、わたしが鎮座する国として、青々とした垣根のような山々(青垣山)を周囲に巡らせて、玉を愛でるように心をかけて守っていこう」
「八雲立つ出雲の国」
この表現は、古事記においてスサノオが日本最初の和歌に詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣…」と同じ言葉を含む。スサノオが「八雲立つ出雲」と歌い、その子孫にあたる大国主が「八雲立つ出雲の国を守る」と宣言した—二つの言葉が、時を隔てて呼応している。
そして、その宣言が地名となった。
大穴持命が「守ろう」と言ったことから、この地を「文理(もり)」と呼ぶようになったと風土記は記す。神亀三年(726年)には字を「母理(もり)」と改め、現在の「母里(もり)」へと伝わった。青垣神社が鎮座し、青々とした山々に囲まれたこの母里の地は、出雲国風土記・意宇郡の郷の一覧において、最初に名の挙がる郷である。
つまり、意宇郡の郷の筆頭に記されたのが、安来市の母里だった。
スサノオから、大国主へ
かつてスサノオが安来の地で安らいだ。
出雲国風土記の安来郷の条には、スサノオがこの地を訪れて心が落ち着いたと言ったため「安来」と名付けられたと記されている。
その後、古事記によれば、スサノオは根の国でさまざまな試練を通じて大国主を鍛え、その力と器を認めた。
神話の舞台は、スサノオから大国主へと力強く引き継がれていった。
そして大国主は、ここ安来の地で「この出雲の国を守る」と宣言したのだ。
スサノオが安らいだ場所で、次の世代の神が守護を誓う。
安来という土地は、神話における「安らぎの地」であると同時に、出雲を守り抜くという「守護の誓いの地」でもあったのである。

そして、ここには、古代における巨大な「産業の転換(パラダイムシフト)」が見て取れる。

鉄を求めて山を削り、自然を切り拓いたスサノオ(開拓・資源開発)の時代から、青々とした山々を保全し、豊かな農業を中心とした持続可能な国づくりを宣言したオオクニヌシ(定住・国土防衛)の時代へ。
安来という土地は、資源採掘の拠点から、持続可能な国家運営の最前線へと見事な転換を話した土地だったのだ。

第11章 おわりに。。。つづく



日本の失われた300年の歴史の舞台が安来あった
 日本の神話を読み解く

母の山の見える場所で、息子は安らいだ

—イザナギ・イザナミ・スサノオ 神話の現場をめぐる、ひとつの考察

悲しみと怒り、やすらぎ、喜び、そして愛
—古事記や出雲国風土記をもとにした、安来(やすぎ)の神話物語です。

これは、母に会えなかった男の話だ。



第9章 三貴子、安来に揃う

安来市荒島町に「月形神社(つきかたじんじゃ)」がある。
ツクヨミ——月を読む神——を祀る神社であり、御神体は拝殿裏の巨石とされている。
江戸時代に書かれた『荒島八幡宮社伝記(享保5年)』には、興味深い伝承が残っている。
かつて中海が荒れて田畑や民家に被害が出た際、兎山(うさぎやま)に金色に輝くウサギが現れ、こうお告げをしたという。
「日と月の神様をお祀りすれば、荒波が静まるでしょう」。
住民がお告げの通りに日の神と月の神を祀ったところ、荒波は治まったと伝えられている。
古来、月には兎がいると言い伝えられてきたが、その兎が荒島の山に現れたというのだ。
かつてアマテラス(日)を祀っていたとされる日形神社は、現在その所在が分かっていない。しかし、ツクヨミを祀る月形神社は今も荒島の住宅街に鎮座している。
太陽は姿を消し、月だけが残った形だ。

その荒島からは、かつて『出雲国風土記』で「夜見嶋(よみしま)」と呼ばれた、中海と美保湾の間にあった島(現在の弓ケ浜半島)が見える。

「夜見」と「黄泉」。

同じ音を持つこの海の向こうに、死者の世界の記憶が重なって浮かび上がる。

ここで少し立ち止まって、現在の地図を眺めてみてほしい。
安来市今津町には、アマテラスを祀る「伊勢神社」がある。
安来には古くから「伊勢」という地名(小字)があり、そこに太陽の神が鎮座している。

そして安来市安来町の「安来神社」には、スサノオが祀られている。

アマテラス(日):伊勢神社(今津町)
ツクヨミ(月):月形神社(荒島町)
スサノオ(海):安来神社(安来町)

イザナギの「みそぎ」によって生まれ、彼が最も尊んだとされる「三貴子(みはしらのうずのみこ)」。
高天原を治める姉、夜を治める弟、海原を治めるはずだった末弟。彼らを祀る神社が、安来の市内に散らばって存在している。
これは、現在の安来で確認できる客観的な事実である。
この3社を巡ることで、神話の源流ともいえる三貴子の記憶を、安来という一つの土地でたどることができる。

場所は変わるが、安来から車で20分ほどの松江市大草町に「六所神社(ろくしょじんじゃ)」がある。
出雲国府の跡地に隣接し、出雲の総社とされてきた意宇六社の一つだ。
神話の時代から律令国家へと移行し、歴史の時間が始まった政治の中心地にこの神社は立っている。
主祭神は、イザナギ、イザナミ、アマテラス、ツクヨミ、スサノオ、大国主命の6柱。
三貴子とその親、そして大国主が一所に集まっている。東出雲・意宇地方の伝承では、神在月に全国の神々が出雲へ集まる際、まずこの六所神社に集まってから佐太神社へ向かうとされている。
現在の地図を開くと、興味深い地理的な符合が浮かび上がる。

『出雲国風土記』において「出雲四大神」と称される4つの神社がある。

西の「出雲大社」
東の「能義神社」
北の「佐太神社」
南の「熊野大社」

この四大神の「西と東」「北と南」を地図上で直線で結ぶと、広大な出雲国を貫く2つの直線は、出雲総社である六所神社の付近で見事に交差するのだ。

これが古代において意図的に設計された配置であるという公的な記録や考古学的根拠は確認されていない。
しかし、神話の時代から律令国家への移行期に、出雲の神域がこの地を中心に再編された可能性を想像させる、ロマンに満ちた符合である。

文字記録がほぼ存在しない空白の時代、安来の荒島には、出雲地方最大級の竪穴式石室を持つ「大成古墳(おおなりこふん)」が築造された。
鉄の道を制し、中海の港を押さえた強大な王がこの地にいたことは、出土品が証明する客観的な事実だ。

スサノオがこの地で「安らいだ」という物語は、単なる心情の描写ではないのかもしれない。
鉄と海運を握る安来の強大な在地勢力が、ヤマト王権や他勢力と無用な争いを避け、平和的な「経済・軍事同盟」を結んだという、したたかで合理的な歴史的合意の暗喩とも読み取れる。

神話の背後には、語られなかった歴史がある。
安来市荒島町には、先ほど名前の出た古墳時代前期(4世紀頃)に築造された全国最大級の方墳「大成古墳(おおなりこふん)」がある。
東西約60メートル、南北約44メートル、高さ約6.5メートル。
その竪穴式石室は長さ7.5メートルで出雲地方最大を誇る。
そこから出土した三角縁神獣鏡などの豪華な副葬品は、この地に「当時出雲地方で最も強大な勢力を持った豪族」がいたことを証明している。

『古事記』が編纂された712年より300年以上前の、文字記録がほぼ存在しない空白の時代。
空白の300年。
鉄の道を制し、中海の港を押さえ、出雲を治めた巨大な権力者が安来にいた。
その強大な王の記憶が、長い年月を経て「スサノオが荒ぶる旅の末に安らいだ」という神話に昇華されたのではないか。私はそう考えている。
語られなかっただけで、安来はずっとここにあったのだ。

📍 現地ガイド
●能義神社(出雲四大神・東の要):島根県安来市能義町366。
安来駅から車で約20分。
「野城社」として出雲国風土記所載。田んぼの小高い丘に鎮座。駐車スペースあり。

●大成古墳(荒島古墳群):島根県安来市荒島町2044。
山陰本線・荒島駅南側の丘。国指定史跡。
入場自由。

●六所神社(出雲総社):島根県松江市大草町496。
出雲国府跡に隣接。
三貴子ほか6柱を祀る。

出雲大社:島根県出雲市大社町杵築東195。
佐太神社:島根県松江市鹿島町佐陀宮内73。
熊野大社:島根県松江市八雲町熊野2451。


第10章へ  つづく。。。

日本の失われた300年の歴史の舞台が安来あった
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母の山の見える場所で、息子は安らいだ

—イザナギ・イザナミ・スサノオ 神話の現場をめぐる、ひとつの考察

悲しみと怒り、やすらぎ、喜び、そして愛
—古事記や出雲国風土記をもとにした、安来(やすぎ)の神話物語です。

これは、母に会えなかった男の話だ。




第8章 安来節

—鉄の積出港として栄えた安来で生まれた民謡だ。どじょうすくい踊りと三味線の音は今も安来節演芸館で生きている。
安来節には、十神山が歌われている。「港と見下ろす十神山は、出船入船を見守り」
—砂鉄を積んだ船が中海に出ていくのを、十神山が見守っていた。スサノオが安らいだ土地の、その山が、民謡になった。

神話の道の終点に、踊りが残った。
安来節もまた、日本遺産「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~」(鉄の道文化圏)の構成文化財のひとつとして認定されている。
安来市街地の南の里山に「日本台」という展望台がある。
この先に「世界平」と呼ばれるこの場所から北を見ると、安来節で歌われた十神山が中海に浮かんでいる。
その手前に広がる大きな工場がプロテリアル安来工場は、特殊鋼の製造を今も続ける現代の鉄の最先端の拠点だ。
神話の時代、スサノオが鉄の道を拓き、大成古墳の王がその富を握り、中世の月山富田城が鉄の産地を押さえ、近代、現代の日立金属が先端技術へと継承し、今のプロテリアルへと至る。神が愛したこの土地は、同時に「鉄を制した経済都市」として1000年以上の系譜を持つ場所だ。

スサノオの鉄の道は、今も安来に生きている。

そして、安来で産まれた鉄の行方を辿ると、一つの仮説が浮かぶ。スサノオがヤマタノオロチを斬った剣
—天羽々斬(あめのはばきり)は、出雲から岡山(血洗神社)を経て、最終的に奈良・石上神宮(いそのかみじんぐう)に収められたと伝わる。
石上神宮を管理したのは、古代日本最大の軍事氏族・物部氏だ。
物部氏はこの剣を権力の象徴とし、「あのスサノオがオロチを倒した神剣を我々が持っている」という形で、スサノオの武勇を自らの威信に結びつけた。
安来の山で産まれた鉄が、日本の軍事の中枢へと繋がっていったという読み方ができる。

つづく


日本の失われた300年の歴史の舞台が安来あった
 日本の神話を読み解く

母の山の見える場所で、息子は安らいだ

—イザナギ・イザナミ・スサノオ 神話の現場をめぐる、ひとつの考察

悲しみと怒り、やすらぎ、喜び、そして愛
—古事記や出雲国風土記をもとにした、安来(やすぎ)の神話物語です。

これは、母に会えなかった男の話だ。


第7章 鉄と鍛冶の記憶

安来市広瀬町に、2つの古社が並んでいる。

都辨志呂神社(つべしろじんじゃ)。

主祭神はスサノオ。
社伝に、こう記されている。
「素盞鳴尊が岩坂から峠を越えて巡行され、当地で休息をした。腰かけた石の脇に杖をお忘れになり、里人がその石と杖を霊代として杖代神社として祀り、その巡行の道案内をした岐神(くなどのかみ)を配祀したという」。
「岩坂から峠を越えて」
その岩坂とは、磐船神社(いわふねじんじゃ)のある広瀬町上山佐の山坂だという。
スサノオが磐船(岩船)で降り立ち、峠を越えて広瀬の地に来た。その休息の場所が、都辨志呂神社だ。
「杖を忘れた石」が今も霊代として祀られている。スサノオがここを通った、という記憶が石に残っている。

道案内をした岐神(くなどのかみ)は、道の分岐点を守る神だ。黄泉比良坂でイザナギが黄泉を封じた際に生まれたともされる。

スサノオの峠越えを導いた神が、今も合祀されている。
さらに合祀されているのは、大山祇神(山の神)と金山彦神(かなやまひこのかみ)
鉄と鍛冶の神だ。
スサノオと鉄の神が一社に祀られているのは、この物語の文脈と一致する。

嘉羅久利神社(からくりじんじゃ)。

こちらも主祭神はスサノオ。
合祀されているのは「韓国五十猛命(からくにいそたけるのみこと)」
—スサノオの息子で、新羅と深く関わった神だ。

延喜式神名帳での名は「韓国伊太氐神社(からくにいたてじんじゃ)」。神社名そのものに「韓国(からくに)=新羅」の記憶が刻まれている。
出雲国風土記・延喜式神名帳の両方に記載された古社だ。

拝殿の額には「嘉羅久利神社 佐久多神社」と2つの名が並んでいる。風土記の「佐久多社」にあたるという。

「嘉羅久利(からくり)」という名前の語源を追うと、面白いことが分かる。

天平以前、この神社は三笠山の頂上にあった。
山頂に鎮座していた古社が、1784年(天明元年)にようやく山麓へと遷座した。

それほど古い時代から、この山が聖地として崇められていた。

「嘉羅久利」という名前は、もともと「加栗(かくり)」と呼ばれていたが、時代の移ろいの中で音が転訛して「嘉羅久利(からくり)」になったという。

この地名の変遷を辿ると、一つの仮説が語られることがある。「嘉羅久利(からくり)」と、機械の古語「からくり(仕掛け・機械)」の音が一致することに着目し、新羅から渡来した製鉄の精緻な仕掛けがこの語の源流ではないかという説だ。

ただしこれは学術的に確定した語源ではなく、この地の歴史的な重みを思わせるロマンとして語られているものだ。

たたら製鉄が精巧な仕掛けを必要とする技術であることは事実で、砂鉄を炉に入れ、ふいごで空気を送り、木炭で溶かし、鉄を取り出す。
その精緻な技術の記憶がこの土地に深く刻まれていることは間違いない。

日本書紀の一書(異伝)に、こうある。
スサノオは子の五十猛神を連れて新羅に渡ったが「この地は嫌だ」と言い、岩船で戻ってきた。五十猛神は多くの木の種を持っており、新羅には植えず、日本中に撒いた。
青々としていない山がないほど植えた。
この話は日本書紀の一書(異伝)にのみ記されており、古事記には新羅への渡航の記述はない。
古事記においてスサノオの子・五十猛命(いそたけるのみこと)は、木の種を日本中に撒いた神として登場する。
日本書紀の記述によれば、新羅から戻ってきて最初に上陸した地が、
大田市五十猛町
—韓神新羅神社が鎮座する場所だという。

「韓国(からくに)から戻ってきた神」の記憶が、地名として今も残っている。


そしてその息子・韓国五十猛命を祀る嘉羅久利神社が、スサノオ・ライン上の広瀬に鎮座している。

鉄を作るには大量の木炭が必要だ。
木炭には木が必要だ。

スサノオが鉄の道を切り開き、息子が木で山を覆った。

中国山地のたたら製鉄を支えたのは、山の木だった。

鉄と木は一体だった。

この鉄の道は、現代まで認められている。
安来市・雲南市・奥出雲町の2市1町が申請した

「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~」

は、2016年に文化庁より日本遺産に認定された。

この地域のたたら製鉄の歴史と文化を継承する取り組みは「鉄の道文化圏」として広く知られており、スサノオが歩いたとされる鉄の道が、神話の時代から今日まで途切れることなく続いていることの証だ。

鉄で栄えた安来港に、やがて人が集まり、唄が生まれた。

つづく。。。