シャタックセントメリーズフォレストシティへようこそ。
1858年6月3日、ジェームズ・ロイド・ブレック牧師博士は米国ミネソタ州ファリボルトの小さな建物を借りて、
Shattuck St.Mary's Schoolが発展・繁栄してきたエピスコパルのミッションスクールとセミナリーを設立しました。
聖公会は、世界的な聖公会の加盟教会で、米国を拠点としています。
開校当初は、45人の少年少女と6人の神学生(ネイティブアメリカンと白人)がいました。
初代ビショップとしてヘンリー・ベンジャミン・ウィップルが選ばました。
ホイップル司教はファリボルトに家を構え、
1860年には学校の運営を引き継ぎ、
ブレックの野心的な計画であった「ビショップ・シーベリー大学」を「誠実な学校」
というものに進路変更しています。
1864年、シーベリー・ホールが完成すると、
本校はファリボーのストレート・リバーの上の断崖にある現在の場所にキャンパスを移しました。
1865年、南北戦争から戻ってきたばかりのイギリス人神学生トミー・クランプが、
棒を使った訓練を少年たちに始めたことがきっかけで、1世紀以上続く軍隊プログラムが始まったのは
この頃となっています。
1866年には、より広いスペースが必要となり、ボストンのジョージ・シャタック博士の寛大なご好意により、
学生たちのためにShattuck Hallが建設されました。
まもなく、グラマースクールは単に「シャタック」と呼ばれるようになりました。
同年、ウィップル司教は、ファリボーのダウンタウンにある自宅に女子校である
「セント・メリーズ・ホール」を開設。
1883年には、St.Mary'sの施設が手狭になり、
Shattuckから南に0.5マイルも離れていない断崖絶壁の上に、「ラインの城」と呼ばれる壮大で華麗な建物が建てられた。
このユニークな建物は1924年に焼失しましたが、
それから1年も経たないうちに現在のライムストーン製のキャンパスへが建て替えられています
1866年にブレック博士の後を継ぎ、1914年までシャタック校の学長を務めたジェームズ・ドビン博士は、
初代ウィップルホールや現在のシャムウェイホールなど、多くの美しいライムストーンの建物の建設に携わりました。
1901年、ドビン博士はシャタック・スクールの半マイル北側に少年のためのSt.Jamesスクールを設立、
1932年、シーベリー神学校はウェスタン神学校と合併し、イリノイ州エバンストンに移転しました。
1972年、シャタック、セント・メリーズ、セント・ジェームズの3校が統合され、
現在のシャタック・セント・メリーズ・スクールとなりました。
1974年には、当初から続いていた軍事プログラムが廃止されました。
1988年、居住区とアカデミックプログラムが再編成され、ミドルスクール(6~8年生)はSt.Mary'sキャンパス、アッパースクール(9~12年生)はShattuckキャンパスで学ぶことになりました。
そしてそんなShattuck St.Mary'sが2018年、マレーシアへ進出。
フォレストシティにキャンパスを構え、
世界中から多くの学生を受け入れています。
2021年にはマレーシア校初の卒業生を輩出し、
今後さらに多くの学生へ質の高い教育を提供していきます。