075.これ結構、知られてない日本朝鮮の歴史


【武田信玄と朝鮮半島.07.金山】

武田信玄は山に囲まれ平地が少ないながらも、国の経済力が強く、大きく影響をもらったのが『金山』を多く持っていたからだと言われています。『武田信玄の隠し金山』とも言われています。信玄は隠し金山が、いくつもあったと伝えられていまが、それらの中で、塩山市北方の「黒川金山」と、身延町の「湯之奥金山」が有名です。

現在日本に『金山神社』といわれる神社が23箇所ありますが信濃・甲斐(現在の長野・山梨県)だけでも12箇所もあり、半分以上が信玄の国に祀られ、金に対する信仰と、どれだけ金山が多く当時の産出量が多かったかをうかがえます。

さてこの金を掘り起こし、金に加工する技術はどのようにして伝わり、磨かれていったのでしょう。

もともと甲斐の金山師は、古代の奥州藤原氏からの渡来系工人の家系が多く、ゆえに鉱山師というと渡来系氏名を持ったものが多いことが分かっています。これは朝鮮半島の百済国よりもその隣にあった伽耶国の影響が大きいとされています。伽耶(かや)と聞くと、『楽器のカヤグム』を思い出すのですが、実は伽耶国は、朝鮮半島で滅亡を迎えるまでのあいだ、製鉄技術や金の製造に長けていたといわれています。またこの技術は、福井県の敦賀港から入り滋賀県や、京都、奈良、そして長野県や山梨県へと伝わったとされています。

さてここで、1人の人物を取り上げようと思います。『大久保長安:おおくぼちょうあん』さんです。

彼は武田信玄の部下で金山や鉱山開発、税務などで活躍し、その後、徳川家康の時代には金山・銀山奉行も勤め、当時日本で第一級の鉱山技術者でした。大久保長安といえば、武田家から徳川家に至る歴史書には、必ず顔を出すという、超有名人です。彼は1545年に甲斐で生まれます。そのあと信玄の目にとまり武士として、とりたてられます。

さて彼の出身が面白いのですが、父は奈良県の『金春座:こんぱるざ』という土地の出身で『秦氏』の渡来人が多く住んだ地域でした。そして仕事は猿楽師でした。猿楽師とは『能』をする人のことで、能の始まりを調べると、日本で一番勢力を誇った渡来人・秦氏にたどり着きます。そしてこの大久保長安のお父さん、金採掘の技術を持っていたそうなのです。もうお分かりのように大久保長安さんの先祖は渡来人の可能性が非常に高いのです。