1. 全日空機・自衛隊機雫石上空衝突事故(Eタイプ)

                        文献50参照

(概要)

1971年7月30日定刻より48分遅れて千歳空港を離陸した全日空58便は、函館DNB1316分に通過し、巡航高度22,000フィートに上昇して飛行していた。一方航空自衛隊松島基地所属のF-86F戦闘機2機は1328分に松島基地を離陸し、有視界飛行で訓練を行っていた。142分ころ雫石町上空を飛行していた全日空機に、旋回飛行していた教官機がニアミスし、ついで訓練機が衝突した。58便は乗員乗客162名全員が死亡した。

運輸省の事故調査委員会は1972年に、自衛隊機がジェットルートに侵入していたこと、58便パイロットがニアミスの危険性を認識せず回避行動をとらなかったこと、そして自衛隊機の視認が遅れたために回避行動が間に合わなかったという報告を出した。

事故後教官と訓練生が起訴されたが、訓練生は二審で無罪、教官は最高裁で執行猶予付き禁固刑の判決になった。民事では二審で国は全日空に7.2億円、保険会社に15.2億円、全日空から国へ6.5億円の支払い判決が確定した。つまり自衛隊機に責任を負わせる判決である。

(問題点)

事故原因については今でも自衛隊機原因説と全日空機原因説があって、完全な決着はついていないともいえる。結局のところレーダーや空域について十分な監視が技術的にできない時代に、近接した空域で訓練を行っていたという点が問題であったと考える。