前回、初代イギリス公使、オールコックの話をしました
イギリス公使、オールコック

パークスはオールコックからたすきを受け取った二代目英国公使です

■■パークス■■
パークスは不遇な少年時代をおくる
4歳にして母親が、さらに翌年父親が亡くなって孤児に。
引き取ってくれた叔父さんも5年後に亡くなる

13歳になったパークス少年は、
マカオに移住していたいとこに呼び寄せられる。

極東ではイギリスと中国のアヘン戦争の真っ只中
交渉事に通訳が必要であったため、パークスは戦地中国へと移住

同じく、中国にいたオールコックの部下として働くことになる

戦争状態な訳ですから
ずっと何事もなくことが進むということはありませんでした。

パークスは中国軍にとらわれてしまいます。

イギリス本国へ、停戦の勧告をしろ
そうしたら釈放してやる

そんなこと出来るわけなかろう

つべこべ言ってないで、やれといったらやれ

嫌だ

拷問を受けますが
ついに最後まで耐え抜き
イギリスが勝利という形で戦争は終結します。

■■日本へ■■
オールコックは、下関沖での四国連合艦隊での長州戦争にて
かなり強硬な行動に出たために
イギリス本国から、解任されてしまう。

1865年
かつての上司、オールコックから指名を受け
パークスが二代目イギリス公使となるのです。
明治維新の3年前

パークスの代になって、イギリスは、新政府側に付きますので
明治維新は、パークスあって成り立ったとも言えます。

■■兵庫沖■■
1865年11月4日
英米仏蘭の4か国はまた統一行動を取り、兵庫沖に連合艦隊として現れます。
まだ、条約の勅許がなされていなかったんです。
天皇がOKを出していなかった

結果として、この強硬姿勢で、天皇もOKを出すことになります。
オールコックと同じことをやった訳ですが
結果オーライで、本国からはおとがめなし。

これ以降、統一行動を取ってきた4国が少しずつ方向を変えていきます。

元々、4国が日本と条約を締結出来たのは、アメリカのペリー来航の功績であることは明らか
アメリカが主導権を取りそうなもんだけど
一番肝心な時期に、一旦、日本どころではなくなる
アメリカ国内で、南北戦争が勃発

オランダは元々日本と唯一貿易をしていた訳だから
これまた、主導権を取りそうなもんだけど
長い歴史が逆に仇になった。
地の利がある長崎を中心に動き
江戸や京都にあまり出ていかなかった。

残ったのが英仏
さあ、どうなるか

■■ロッシュとの仲■■
フランスは次第に幕府に肩入れする傾向を強めていき
イギリスと方向が違ってくる

パークスは、表向きはあくまでも中立を装うものの
裏では、薩摩長州と結び付いていく。

もちろん国としての方針な訳だけど
どうも、パークスとフランス公使ロッシュとの個人的な仲の悪さが多分に関係している。

ロッシュが幕府に近づいていくのを感じ
じゃあ、こっちは薩長

二人ともすごく気が強いんです。

そうこうしているうちに大政奉還
刻一刻と、状況を見て判断していく必要があります。

■■天皇陛下への謁見■■
かねてから要請していた、天皇陛下への謁見がついに認められます

さあ、馬にのって誇らしげに御所に
ところが、角を曲がったとき
二人の男に襲撃される

護衛についていた、中井弘と後藤象二郎は果敢に立ち回り
暴漢は一人は逃げ
もう一人の三枝しげるは捕まります

汚れた外国人が聖なる御所に近づくのが許せなかったというのが動機

三枝は、イギリス公使館員に、怪我の治療をしてもらい
お茶や食事や煙草まで、丁重に扱われます。
これには、三枝も驚き、感激する

外国人にもこういう人たちがいたのか
我が身が恥ずかしい。

数日後には斬首されてしまいますけどね。

パークス自身も事件に堂々たる対応
そりゃあ、拷問に耐え抜いた身です。

暴漢の一人や二人、どうっちゅう事はありません。

■■フランス■■
一方のフランス
あくまでも幕府にこだわり
戊辰戦争で、函館までついて行っちゃいます。

榎本武揚に促され
すぐにフランスは函館を離れますが

パークスはこれに噛みつきます。

ロッシュは意気地無しだ
幕府につくというのなら
とことん戦うべきじゃないのか
逃げ帰るとは情けない。

■■部下■■
イギリスが終始優位に物事を進めていけたのには
もうひとつの要因があります。
優秀な部下の存在

アーネストサトウとA・Bミッドフォード
彼らについてはまた、書きますね

索引はこちら
[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)


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