昨日、ペリー来航を書きましたね
ペリー来航。どんな人?その1

■■再来航■■
一旦、引き下がったペリー

将軍急死の報せを聞きます。

国の中が不安定になっているかもしれない
これは、チャンスかもよ

一年を待たず
半年で再来航します。
1854年2月13日

今度はスケールアップ
蒸気船3隻と帆船6隻

贈り物の交換
さあ、クイズです。
◆◆問題◆◆
その時、日本は、ある職業の人を連れていきました。
さあ、どういう職業の人でしょう。

これ、一年くらい前に、ある人に出してもらったクイズなんだけど
どうしても分かりませんでした。
答えを聞くとなるほど!
間を空けるので考えてね
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◆◆答◆◆
相撲取り

贈り物だけじゃなく、出し物も用意したんです。
当時の大関小柳を始めとしたそうそうたるメンバー
実際の取り組みを披露しました。

体の大きな外国人に、威圧されないようという心理も働いていたでしょうね

一生懸命考えたんでしょうが
ペリーにはすこぶる不評
残りの米兵たちには受けたんですがね

ペリーは力士を「栄養過多の怪物」
取り組みを「胸のむかつく見世物」と表現している。

容貌と振る舞いから、部下たちに「熊おやじ」とあだ名をつけられていたんですが
意外と繊細。

相撲と違って気に入ったのが
日本の絵画や織物、漆器など
後に以下のように書いています。
「実際的および機械的な技術において、日本人は非常に器用であることが分かる。
道具が粗末で、機械の知識も不完全であることを考えれば、
彼らの完璧な手工技術は驚くべきものである。
日本の職人の熟達の技は世界のどこの職人にも劣らず、
人々の発明能力をもっと自由にのばせば、
最も成功している工業国民にもいつまでも後れをとることはないだろう。」

また、日本の教育についても言及しています。
「下田でも箱館でも印刷所を見かけなかったが、本は店頭に並んでいた。
たいていは安価な初歩的実用書、通俗物語や小説だった。
人々は全般的に読み方を習っており、情報収集に熱心なので、明らかに本の需要は大きかった。」
日本では女性も男性と同じように高い教育を受けており、
特に女性は「日本の文学によく通じていることが多い」と記しています。

■■サム・パッチ■■
実は、ペリー艦隊には、一度目も二度目も、日本人が乗っていた。
サム・パッチ
本名は仙太郎。

かつて、漁船が難破し漂流していたところをアメリカ船によって救出された。

性格が良かったので、みんなに好かれていた。

その事実を知った日本の役人たちが、サムの日本残留を認めて欲しいと言ってきた。

本人の希望なら良いですよ
一度話してみてください。

日本の役人とサムの話し合いが持たれた。

嫌です。
日本には、戻りたくありません。

は?
君は何を言っているんだね
日本に戻ると処罰でもされると思っているのかい?
そんな筈、ある訳ないじゃないか

役人の言葉に嘘はないだろう
ただし、それはキリスト教に帰依していなければ、の話。

断ったそうだねえ
産まれ育った祖国・故郷を捨てることになる
それでも良いんだな

はい
私は、信仰の道を捨てられないのです。

まあ、そういう事だろうとは思っていたよ

以降、サムについての日本側の再三の申し入れに
ペリーは強い態度で突っぱねた。

サム本人が選んだ、アメリカ人という選択
彼の上司として、その選択を尊重し
全力で庇護しよう

索引はこちら
[外国人から見た日本]シリーズはこちら(少し下げてね)


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