江戸の理系力シリーズ

今日から、数学の具体的な人に入っていきます。

■■吉田光由■■
よしだみつよし 数学者 1598~1672

和算という言い方は、西洋から入ってきた「洋算」に対する概念なので
当時から和算と言っていた訳ではない。

ただ、振り返って、思えばここが和算の始まりだなあと思えるポイントがある
中国から伝わったそろばんが日本でも普及し
京都でそろばん塾を開いていたのが毛利重能(しげよし)
元和8年(1622年)に日本最古の「割算書」という本を書く

これが和算のスタートかとなるとちょっと厳しい
計算、の域を余り出ていない。

このそろばん塾に入ったのが吉田光由
家業が土木業なので、算術は必要不可欠

毛利先生のおかげてそろばんはバッチリ。
仕事はスムーズに進められる。

目的は達せられたので、普通はそこでやめちゃうけど
吉田光由はそうじゃなかった。

これは面白いかもよ

中国の「算法統宗」という本を手に入れ、徹底研究

■■塵劫記■■
塵劫記(じんこうき)という本を書き、大ベストセラーになる

上中下に分かれる
上は基礎編
そろばんを使った加減乗除
中は応用編
実際の生活に即した例題をあげ
実践的な利用方法
下はさらに発展編
ここでは、そろばんを離れ
平方根や立法根の求め方まで書いてある。

塵劫とは、塵がチリのようなちっちゃな数、劫が逆に大きな数という意味。

ベストセラーになったのは、寺子屋の教科書として使われたからなんだけど
それだけじゃなく、大人にまで大流行になった。
絵入りで分かりやすく解説してくれているから
独学でも理解できる



それにしても、これがベストセラーになるって
江戸時代の庶民はどれだけ向学心があったんでしょう

それまで掛け算の九九が一部の知識人の遊びの世界の中だけだったのを
広く普及させたのも、このベストセラーのおかげ。

■■経済と表裏■■
この塵劫記の大流行は、当時の経済の発展と裏表でしょう。

経済が大きく発展するにつれ
流通の及ぼす地域が飛躍的に拡大した
それまで、ごく限られた地域の内部的な経済活動が
全国規模に広がった

そうすると関西で使われていた銀貨と、関東で使われていた金貨を
その時々の相場で換算する必要がある

相場の変動を見極めつつ
いつ交換した方が得かというような計算も

商売の側面もそうだし
工業建設機械等、複雑で精密な仕事が求められるにつれ
高度な計算が必要になる

そんな経済背景があるから、塵劫記がベストセラーになった
逆に塵劫記で数学が広まったから、産業が進んでいけた。
相乗効果ですね。

当時は著作権が確立されていないから
類似のなんちゃって塵劫記がなんと300種類も作られたらしい。

■■熊本藩■■
塵劫記で有名になった吉田光由は熊本藩に招かれた

藩主、細川忠利の家庭教師
みんな勉強好きですね

■■また京都■■
細川忠利が亡くなったので、また京都に戻る
そして執筆活動

吉田光由の偉いところは
それだけ有名になったんだったら左うちわで暮らしていけそうなものなのに
今で言う社会貢献をしている

京都嵯峨地方は、保津川が低いところを流れているので
農地に水が引けず、常に水不足に悩まされていた。

吉田先生、何とかなりませんか

それ、私に言う?

元々の家業が土木業なので、全く知らない世界ではない。

よし、じゃあ上流にダムを作り、各農地に水道のトンネルを作って水を流そう

得意の数学でサインコサインタンジェント
この設計図でいきまひょか

こうして作られたのが菖蒲谷池と水道トンネル

何と今でも現役で使われているそうです。