癌の宣告を受けたとき、だいたいの人はショックを受ける。
絶望の淵で悲しみ怒り、どん底でもがき苦しむ。
そんな状態から、人はどうやって立ち直るんだろう。
こんなこと言うと叱られそうだけど、私は死ぬ事にはあまり恐怖を感じない。
死=恐怖じゃなくて、死=安堵のイメージが強いんだ。
生きてくって、辛いじゃない?大変じゃない?
楽しいこと幸せな事もたくさんあるけど、私は10のうち9幸せな事があっても、
1の不幸な事でチャラになってしまう、そんな悲観的でへタレなヤツ。
だから、私にとって生きるということは修行のようなものなんだろうと思う。
死ぬ時は死ねるとき、神様から頑張ったねもういいよと言って貰える時だと思うんだ。
そんな私が一番恐れているのは、家族を悲しませる事。
私を必要としてくれて心配してくれる家族が、悲しむ事になるかと思うと、
それが申し訳なくて途方に暮れる。
家族に病人がいることが、どんなに不安で悲しいか私はよく知っているから。
そんな思いを、誰にもさせたくない。
だから、私が癌の宣告を受けた時真っ先に、私が死んだら残された家族は
どうなるんだろうと、そればかり考えていた。
だけど考えても考えても、どうしようもなく、そのうち思考は停止した。
私は精神的に追い詰められると、心を守るためなのか無性に眠くなる。
ずっと、検査結果を待っている間、眠かったのを覚えてる。
でも当時息子は3歳、家事・育児で寝るわけにもいかず、
重い体と心を引きずって、毎日を過ごしていた。
一度だけ夫の前で泣いたけれど、解決策があるでもなく、どうしようもなかった。
そんなある日、両親と弟と甥っ子が突然家に来てくれた。
お昼ご飯に色々な差し入れを持って、顔を見に来てくれた。
子供の相手をしてくれて、賑やかに一緒に過ごし、本当に嬉しかった。
一言だけ「私に何かあったら、頼むね」と頼んだ時、弟の目は真っ赤だった。
何も言わなくても、みんなが私を心配して寄り添ってくれていた。
その日から母が泊り込んでくれて、食事の用意や家事を殆どやってくれた。
3月の寒い時期だったのに、子供の外遊びの相手もしてくれて、
その間私はずっとコタツで眠っていた。
何日もそんな状態が続き、それでも母は何も言わずにずっとそばに居てくれた。
そうしてようやく、私を心配してくれる母を悲しませたくないという思いが、心の中に芽生えた。
何だかんだとやる事を見つけてくるくると働く母に、何もしなくていいからそばに居てと言う私を、可愛いと言ってくれた母。
悲しませちゃいけないんだ、私は大丈夫なんだって、安心させてあげなきゃ。
そこから、私は一気に立ち直る。
すべてが吹っ切れて、走り始めることが出来たのは母のお陰なのだ。
母親ってすごい、何度でも命をくれるんだね。
私はこの2年後、乳癌と全く別の事で、死を意識する事になるのだけど、
その時もやっぱり、黙って支えてくれた。
母にもらった大事な命、何が何でも母より長生きしなきゃ。
生きていくことは修行で、辛い事が多いけれど、
いつかずっと遠い未来、あの世で両親に「よく頑張ったね、えらかったね」と、
褒めてもらえるように、行けるとこまで頑張るのだ!