Kさんの体験談~①母親の手で警察に通報~ | はあもにい~セルフ・サポート研究所のブログ~

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『誰にも言えずにひとりで悩んでいませんか?』
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  私たちの家は当時、新築中でした。7月になると息子はその家に移りたいと言い出しました。まだ建築会社からの引き渡しが済んでいなかったのですが、会社の方は構わないというので、息子だけがその家に移りました。今にして思えば・・・

 

「どうぞ自由にクスリをやめなさい」

 

 と言わんばかりの環境を与えてしまったわけです。

 

 本格的な引っ越しは9月でした。引っ越しの日は、親戚が集まって手伝ってくれているのに息子は、3階の自分の部屋に閉じこもっていました。どんなに呼んでも、

 

「うん、うん、分かった」

 

 と言うばかりで、いっこうに出てきません。まさかクスリのためにカラダが動かずにいるとは夢にも思わなかった私は、息子は3階、母は2階、私は1階、集まるのは2階のリビングと、それぞれが独立した間取りでしたから、同居していてもクスリは自由に使えてしまう環境でした。息子は麻薬中毒になっているらしい、なんとかしなければ・・・と、焦りはつのりましたが、どうしてよいのか分かりません。私の弟や妹に話すことも憚られて、一人で悶々と悩み続けました。フラフラと出かけていく息子に懇願して引き留めようとしてみたり、親がこんなに心配していると知らせたら止めてくれるだろうかと彼が出かけた後、真冬の一晩中、毛布に包まって震えながら玄関で帰りを待ったりしました。もちろん何の効果もありません。

 

 どうしようもなく、私の弟や妹にも集まってもらって相談しました。そして、回復した依存症者たちが運営している施設を弟が探し出してくれました。私の体調は悪化し、下痢が止まらない状態になっていましたが、自分のことなど考えてはいられません。とりあえずは親である私が相談に行く事になり、弟と妹が付き添ってくれました。

 

 古ぼけた倉庫のようなところでやっているその施設を訪れた私が、家族の相談を担当していたカウンセラーから言われたのは、

「お母さん、あなたの生きがいは何ですか」

 という言葉でした。

「息子がクスリを止めてくれることです」

 私は、はっきりとそう答えました。

「家族の集まりが毎週土曜日にありますので、少なくとも10週は続けてきてください。」

 カウンセラーから言われた言葉で覚えているのはそれだけです。無我夢中でした。帰りがけに妹に

「お姉さん、なに言ってるの。ばかじゃないかと思ったわ」

 と言われましたが、妹がなぜそんなことを言うのか、その意味が私にはまったく分かりませんでした。

 

 何がなんだか分からないままにも、10回通いさえすれば息子がクスリをやめてくれるかな、などと今から思えば本当にばかみたいなことを思いながら、必死の思いでその施設の家族会に通い続けました。

 

 家族会に集まる家族たちの話は、身の毛のよだつような話ばかりでした。刑務所に入ってくる子どもの話、子どもの体に刺青を発見してショックを抑えきれずにいる話、などなどあげたらキリがありませんが、とにかく強調されていたのは「本人が底つきにならなければ回復しない」ということです。このことは私の頭にしっかりと入り込みましたが、

「底つきとは、生きることも死ぬこともできなくなった状態」

 と説明されても、私にはなんのことだか理解できませんでした。

 家族会に通う中で、真っ先に私が飛びついた答えは、

「施設に入寮すれば息子は治るに違いない」

 

 というものでした。そこですぐに沖縄の施設の話を息子にしたのですが、まったく聞く耳持たずで取り合ってもらえません。

(なぜこんなことになってしまったんだろう。私が仕事にのめりこんで子育てを放棄していたからだろうか・・・)

 私はこの頃、そんな風に自分を責めてばかりいました。

 年が明けて、平成8年の2月頃、母が階段から足を踏み外して救急車で運ばれ、大腿骨複雑骨折で入院、手術ということになりました。息子が何かしたのかと思いましたが、そうではなくてホッとしました。しかしそれもつかの間、母が入院して行動に歯止めが利かなくなった彼は、クスリの量が増えていったのでしょう、わけの分からない行動に走るようになっていきました。

 

 近所の材木屋や、工場の入り口の前に車を放置駐車して交番から呼び出されたり、道路の入り口に車を止めて110番されたり、そのたびに私は自分がやったことのふりをして尻拭いをし続けました。接触事故すれすれの乱暴な運転を息子がするので、人身事故を起こすよりはと思い「生活が苦しいから車を売った」と言って、私は妹に車を預けました。すると息子は、家に来てくれた友人の車に無断で乗って出かけてしまったり、友人のお父さんが出かけに忘れ物を取りに家の中に入った瞬間に、家の前でエンジンが掛かりっぱなしになっていた車に乗り込んで走り出し、110番通報で探索されて千住のあたりを走っているところを見つかって逮捕されたりしました。警察では統合失調症の気味があって医者に行くところだったと説明し、友人宅でも犯人が私の息子と分かって被害届を取り下げてくれたので息子は釈放されましたが、申し訳程度に医者に行ったっきりで息子は治療につながろうと決してしませんでした。

 

 息子の妄想と幻覚は激しくなっていく一方でした。

 一緒に食事をしていても幻聴と会話して一人で笑っていますし、けらけら笑いながら右に左にと転げまわってみたり、自分の部屋のCDの山に火をつけて火事寸前になったりしていました。覚せい剤の影響なのか、それとも本当に気が狂ってしまったのかと戸惑いながらも、とりあえずはクスリをやめさせなければと思って彼の友人、先輩、彼が信頼していそうな人々に連絡を取っては、クスリをやめるように彼を説得してほしいと頼みまわっていました。警察官の友人にも相談しましたが、使っている現場とか所持しているときとか、証拠がなければどうしようもないと言われました。

 

 そうしながらも私は、自分自身が本人と向き合って直接話そうとは決してしませんでした。狂気の彼と話すことが怖かったのです。情けない親でした。その自分の情けがまた嫌で、罪悪感や自責の思いは強まる一方でした。

 

 彼が15.6歳の頃からお付き合いしていた女の子がいます。息子がそんな風になってからも心配してよく家に来てくれました。その頃のことで忘れられないことがあります。

 

 息子は私に対して暴言を吐くようになり、私には手を出さなくても、家具にあたったりするようになっていました。ある晩のことです。その夜も彼女は家に来てくれていました。花でも飾ったら少しでも息子の心が和むのではないかと思い、大好きなバラを買って帰りましたところ、息子はそれを取り上げてむしり捨ててしまったのです。息子は残った花で私をたたこうとしました。彼女は「やめて」と叫んで、彼と私の間に立ちはだかってくれました。すると息子は大粒の涙をボロボロと流しながら、

 

「俺がお前を殴るわけにはいかないんだよ。だからこいつを殴らせてくれ」

 と叫んでいました。今思うと、親の私にも自分自身にも怒りがあって、どこにぶつけてよいか分からなくて暴れていたのだと思います。その頃の彼は、手にも足にも震えがきていました。お茶碗やコップを持っても手が震えるし、足が震えだすとたってもいられないような状態になります。

 

 彼の友人が、一人の先輩を連れてきてくれました。その人がこう言いました。

「おばさん、彼を早くなんとかしないとヤバイですよ。覚せい剤を使っていたやつが俺の知り合いにいるんですが、やめて4年もたつのに頭のおかしいのが治らないんです。今の彼は、そいつがクスリをやっていたときと同じ状態ですよ」

 私はその時に、警察に息子を逮捕してもらおうと決心しました。

「刑務所に行くのも悪いことばかりではないですよ。その間はクスリは使えないし、規則正しい生活が身に付きますよ」

 カウンセラーからはそう言われていたのですが、息子を犯罪者にしたくない一心でそれを避けてきました。しかし、このまま手をこまねいていて息子が完全な狂人になってしまうよりは、自分自身で警察に通報したほうがいいと思ったのです。

 ちょうどビニール袋に入った白い粉を、一階のトイレに発見していましたので・・・。

 自宅で息子が逮捕されたとき、彼女も来ていました。

 彼らがいなくなったとき、「ごめんね」と私は彼女に謝りました。「ううん」と彼女は首を振りました。

 それから、涙がこんなに出るものかと思うほど二人で泣きました。

 

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