前書き
昭和二十年六月下旬、海軍飛行兵長落合雄一は、千葉県の大多喜町を走る小湊鉄道の上総中野駅近くにあった、或る小学校の分校に配属されていた。
雄一がいた土浦海軍航空隊が、六月十日にアメリカ軍艦載機の爆撃で甚大な被害を受けた為、急遽雄一達のような混成部隊が編成せれ、各々が各地に派遣された訳だが、その一つがこの分校への派遣であった。
課せられた任務は、当時秘密裏に開発されたロケット式特攻機の発射基地の設営だった。
アメリカ軍の艦隊が本土上陸の為に九十九里浜の沖合いに来たら、此処から爆薬を積んだ特攻機を発射して、そのアメリカ軍の艦隊を轟沈するのである。
その為、山の中腹に特攻機が入る大きなトンネルを掘り、レールを備えた滑走路を海に向けて築くのである。
それで・・・月日と共に作業は進み、山肌を削った八メートル四方のトンネルは二十メートルもの奥に達し、滑走路も土台だけは出来つつあった。
予科練の教科を卒業してはや三ヶ月、戦争の帰趨は未だ定かでは無かったが、既に、全員は飛行機乗りは諦め、今はスコップを握り、モッコを担ぎ、或る者はハッパの職人になっていた。
八月五日 日曜日 晴れ
今日は日曜日で作業は休み。
雄一は仲間と一緒に山に遊びに行き、通り掛かりの藪で大きな青大将を一匹捕まえた。
長さは一メートル、腹が太く、どうやら卵が詰っている様子だった。
蛇と云えば大概の人は怯むらしいが、雄一は割りと平気だった。
小学生の頃、遠足で多摩川の土手に行った時には、トカゲを捕まえては振り回し、尻尾を残して飛んで行くそのトカゲを見ては、大いに笑い転げたものである。
さて、雄一は仲間と一緒に山を降りると、校庭の片隅に陣取り、早速その青大将の料理に取り掛かった。
先ず、ナイフで頭を切り落とし、腹を割いて行くと、真っ白い卵が十個、数珠繋ぎになって現われた。
そのみずみずしい卵だけを取りだし、後は溝に捨てた。
次に、手分けして七輪・鍋・木炭が集められ、十個の卵を鍋に入れて茹でる事二十分、卸して水で冷やす。
そして、出来たての茹で卵を一個、雄一が手に取って割って見た。
鶏卵と違って硬い殻はなく、簡単に二つに割れた。
中味は全部が真っ白。
妙な感じだが・・・一口噛む。
旨い。
続けて噛む。旨い、旨い。
味も舌触りも鶏卵の黄身と同じで、ほくほくとした食感であった。
「これは旨い!」と、雄一が云うと、周りから次々と手が伸び、瞬く間に茹で卵は空となり、あちこちで「これは旨い。これは旨い」の歓声が挙がった。
その歓声の中に、二班の猛者、宇田川と伊藤がいた。名前は後で知った訳だが、二人共満足気であった事だけは覚えている。
噂では、二人は柔道二段の腕前だと云う。
何でも、土浦航空隊が空爆されたその少し前、二人の靴下が物干し場で盗まれた事件があり。
怒った二人がその部隊に押し掛けて五六人を投げ飛ばし、盗られた以上の靴下を持ち帰って来たと云う、武勇伝の持ち主なのである。
ところで、青大将の宴の方はやがてお開きとなった。
(続く)